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2006年3月31日 (金)

小説版「機動戦士ガンダムSEED DESTINY(5)選ばれた未来」

小説版もいよいよ最終巻となってしまった。
「FINAL PLUS」のおかげで5ヶ月待ち・・・いえ、いいんです。
それがなかったら小説5巻は悲しいだけのものになってしまいそうだったし。

本宅で、少しだけアスカガも含めて速報記事をアップした。
(こんな記事をアップしているから、なかなか読破に至らないのだが・・・)
ここでは、じっくり読み込んでから”アスランがらみのみ”を語りつくそうかなーなんて思ってたりしてぇ。(予定は未定) まぁ、やっぱり、ぼちぼち行くとしよう。

アスラン回顧録もなかなか進まない・・・次はあの方出番、と少しずつ纏めてはいるのだけどねぇ。

今はとにかく5巻の読破から。
”DESTINY”のサントラをそのまんままBGMにし、”Ⅰ”から始めて”Ⅳ”まできたら同時に終了!なんて進み具合でいけたらいいなぁ。
(時間的にもそのくらいだしね。・・・速読できない私。。。^^;)

2006年3月22日 (水)

君らしからぬ行動。アスランらしいとは?

ヘリオポリスでの”キラ”との遭遇は、アスランにとってこれ以上ないという想定外の出来事だった。
まさかのキラとの再会。「戦争」がどんなものかは知っていたつもり。
再会直前には、自らの手で人を殺める行為をしているのも事実であり、ラスティを失うことでさらに”戦争=命のやり取り”であることを強く感じたことだろう。
「血のバレンタイン」によって”ザフト入隊”を即決したのは以前に書いたとおり。
1週間で、というのはおそらく辻褄合わせの後付だとは思うけれど、とにかくアスランは”優柔不断”なんかではなく、昔から”決断力ある人物”であることは間違いなく、それは今も変わっていない。それも誰の指図を受けたわけでも、流されてのことでもなく、紛れもない自分自身での決断でのこと。

自分だけではない、大切な”誰か”の家族が一瞬にして奪われてしまったユニウスゼブンの惨劇。そんなことをもう繰り返させない為に決意した”地球軍(ナチュラル)”との戦い。けれどアスランに”人種”としての差別意識は毛頭ない。(あるのはやっぱりイザークかw)

(それなのに、どうしてこうなるんだ?)
『やめろ、ぼくらは敵じゃない、そうだろう?』『(コーディネイターの)お前がなぜ地球軍にいる。何故ナチュラルの味方をするんだ』『(一緒に)来るんだキラ、でないと俺はお前を撃たなきゃならなくなるんだぞ』
説得であり、願いでもあり、悲痛の叫び。
もう誰も、誰かの身近で親しい人間や大切な家族がこれ以上失われることがないようにと戦うことを決めたのに、どうして自分の”失いたくない大切な友達”が撃つべき”敵”として目の前に現れ、戦わなければならない存在になってしまったのか。なんて皮肉な廻り合せなのか。
本末転倒。想いと矛盾してしまった現実。

『君こそ...なんでザフトになんか!戦争なんか嫌だって、君も言ってたじゃないかっ』『でも、あの船には仲間が...友達が乗っているんだ!』

アスランもキラも”基本的な思い”は同じ。
けれど、この時点で既にアスランとキラの守るべきもの(見ている世界)に微妙な違いがあることがわかる。戦争に関わるそもそもの経緯(&やっぱり家庭環境)であり、その対象の大きさの違い、ということ。
で、この視点の違いからくる差異は、この先どこまでいってもそのまま残り続けるんだよなぁ(笑)
さすがにここまでくると”環境”というより、本来の二人の性格、個性の違いだから、どちらが良いとかそういう問題ではない。
(キラも、カガリに”オーブが撃たれなければそれでいいの?”と言えるくらいに広い視野を持つようになるけどね。それでもまだちょっと違う)

14歳のアスランは確かに”戦争は嫌だ”そう思っていた。”戦争になんかならないさ”そうとも思っていた。それなのに”戦争”は起こってしまった。
「自分も何かしなければ...。一体今の自分に何ができるだろうか?いつまでも昔のままじゃいられない」それが16歳のアスラン。

”敵”として現れた”大切な友達”であるキラ。
(なら、敵でなければいい。敵でなければ戦う理由がない。)
今の自分には自分の使命があり、勝手に戦いをやめることはできない。けれどキラを撃つなんて考えられないし、考えたくもない。だからあのまま放って置くわけにはいかない。このままではいつか”敵であるキラ”に撃たれる時がくるかもしれない。それでも仲間に撃たせるわけにはいかない。かといって仲間が撃たれても困る。もし、そんなことになったなら・・・・自分が撃つしかないのか?
一次的に動揺し、命令違反までも犯したアスラン。とはいえやや平常心を取り戻せば、「撃つ以外に、この事態をどう回避するか」を冷静に考えることができるようになるあたりは、さすがアカデミー主席卒業のエリート”ザフト・レッド”のアスラン・ザラ。(この件に関しては多少クルーゼの誘導も感じられるがw)
命令違反で出頭して事情を聞かれ、そのまま(キラのことを)「説得したいんです」とクルーゼに必死に訴えるあたりは、まだ平常心とはいえない...どころか感情的ですらあるアスラン。
・・おや?デュランダル議長に訴えていた時のアレックスと似ている?(同じ人間だってばw。)
ともかく、少ない選択肢の中から、それでも最善策を選びたいと思うのは当然のこと。
めったなことで、己の感情だけの言動をするアスランではないけれど、それ故そういう時の行動パターンは変わらない。立場や名前がどうあれ、人間そうそう本質は変わらない。

”ストライク”がフェイズシフトダウンし、”デュエル”によってトドメを刺されそうになった時、”イージス”を割り込ませて”ストライク”を捕獲したこと。
咄嗟の行動はアスランの苦汁の選択。またもや命令違反。(命令は”撃破”に変更)
それでもその理由を即座に釈明できるあたり、アスランが総合的判断力に長けている証明といえる。(ホントのところはキラを救うことしか考えていなかったとは思うけど、ま、頭の回転がそれだけ速いってことだねw)
実際、クルーゼ機すら被弾させる”ストライク”は既に敵軍の脅威であり、撃破が打倒かも知れない。けれど捕獲が可能ならば、当初の目的どおり、そうしたほうがザフトにとっては有益である事は間違いないはず。(それとパイロットは無関係だけどw)ここでの”撃破”は今までヤラレッパナシだったことに対する私怨であり、単なる報復でしかない。(・・・というところまでは、さすがまだ考えてないよなぁ)

アスランが”ザフトの中”で、ここまで勝手なスタンドプレーに走ったのは、後にも先にもここだけ。(つい感情的な言動しちゃうことは、たまーにねw)
それがクルーゼに「君らしからぬ行動」と言わせ、ニコルにも「あなたらしくない」と言われてしまうアスランとなる。(今なら、アスランのこの手の行動は誰しもが”アスランらしいなぁ”って思うだろうにw)

この場で、キラのほかに”ただのアスラン・ザラ”を知る者はいない。
今、目の前に在るのは「ザフトのアスラン・ザラ」だから。

この頃のアスランは「ただのアスラン」と「ザフトのアスラン・ザラ」の狭間にいる状態。
「ザフトのアスラン・ザラ」として自分の信じた正義を貫こうとし、その為の努力は惜しまない。そんな中でのキラとの再会。キラの言葉で、自分の中の「ただのアスラン」を少しだけ思い出す。そのことで「戦う理由」について、もう一度初めから考え、その後何度となく繰り返すことになる。(ラクスの言葉も相乗効果をもたらすけれど)

パトリックやクルーゼの言動に違和感をまったく感じないアスランではない。
評議会の査問委員会での出来事。
パトリックとの口裏合わせから始まり、(そのシナリオどおりに)ヘリオポリス崩壊の事態説明から、連合の機密兵器、XナンバーのMSの脅威へと話をまんまとすり替え、恐怖心をあおり、その行為自体を正当化させてしまったことに対して、アスランは、評議会でのその光景を目の当たりにしたことでより釈然としない思いを感じたはず。はじめて政治の裏舞台を垣間見たそんな気分。それでも、そこでパトリックが示した「戦う理由」
『我々は我々の為に戦う、戦わねば守れぬのならば、戦うしかない』
の言葉は、どうしたってそのとおりだと思う。
戦争は嫌だ・・と叫んでいても、待っていても平和はやってこない。だから戦う”しかない”のだと。(実はムウもキラに同じことを言っているんだよね)

まだまだ16歳のアスランの思考の終着点はここ。(キラはそれ以前。まだ逃げ回っている状態)もともと正義感そのものは持ち前だし、素質を生かした能力的な優秀さは言うまでもなく、昔も今も変わりなし。
やっぱりこの”男の子”二人を大きく成長させるのはラクスであり、カガリなんだなぁ。
ラクスはアスランの中のアスランの覚醒を促し、自分で殻を破らせる。
カガリはカガリでアスランの心に直接触れて対話し、解きほぐす。
アスランっていい女に囲まれてるよなぁ。
”アスランだから”なのかもしれないけどね。


”アスランらしい”とはなんだろう?と思う。
私は「ザフトのアスラン・ザラ」もアスランらしいと思う。(結果的良し悪しは別の話)
もちろん、キラキラ言うアスランもアスランらしいと思う(笑)
アスラン自身、「自分らしいとはなんだろう?」きっと答えは出せないだろうし。

普段と違う言動をしたからといって「らしくない」とは言い切れないと思う。
人って、人の心ってそれだけ複雑なもの。
起こった”事実”はひとつ。でもその”事実”が”真実”とは限らない。
”真実は人の数だけある”(らしいw)
けれど、ひとりひとりの”真実”はいつもひとつww
そういうことだと思うし、それでいいと思う。(それを他人に押し付けなければ)

だからね、ほんとうは何かを前提にしたものの言い方は好きじゃないんだよね。
それで毎回最後はこんな風に締めくくることになる。
「この考察は私のものであり、そのなかで仮定し断定したものだ」と。
それを踏まえた上で一理あると思ってくれてもいいし、そうではないと思ってくれてもいい。(それにしても、自分の中に漠然とでも何かがなければ肯定も否定もないと思けど)
ただ私の中の”漠然とした思い”の形づけでこんな書き方になっているけど、自分の考えに固執しているわけではない。何かに触れて変わることがあるかもしれない。まだ知らない事実もたくさんあるだろうしね。

人は変われる、考え方も変化する。そういうものでしょ?それでいいじゃない?
それこそアスランのようにね。

2006年3月18日 (土)

アスラン・ザラとキラ・ヤマト(幼少期)

※アスキラの二人を語る上で、明らかになっていない部分(設定)はまだまだたくさんあると思う(私が知らないだけという可能あり)、ましてや、その心情においては、言うまでもないだろう。

アスランに大きく影響を与えた出来事。その序章ともいえたのが、月でのキラとの別離。
まだ親に言われるがままでしかない”子供”時代の出来事であり、どんなに寂しくても辛くても抗いようがない。
兄弟のように育った二人であり、いつも一緒だった二人にしてみれば、その時は身を引き裂かれる思いだっただろう。それでも「そのうちまた会えるさ」と気楽に考ることも出来る子供感覚の別れだったのかもしれない。
実際、それが実現したのは「血のバレンタイン」後の話。お互いを取り巻く環境は大きく変わってしまっていた。
もちろん、”月”にいたころからザラ家とヤマト家は全然違っていたのだけど。。。。

アスランはその幼少時には”家族とはあまり一緒に過ごせていない”と本人が語っているし、ヤマト家との関係性からも、そのことに相違はないだろう。
アスランの父、パトリック・ザラは身勝手な地球側(ナチュラル)のやり口に反発し、”プラント独立”(自治権、貿易自主権の獲得)の為に、シーゲル・クラインと共に尽力してきた人物。
その為に家庭がおろそかになっていたであろうことは想像出来る。
婚姻統制などなかった一世代目のコーディネイターであり、アスランの母であるレノアとどのようなロマンスがあったのかはわからないけれど、執務室のデスクに”レノアと幼いアスラン”の写真をずっと飾っていた事を考えると、彼は彼なりにまず”家族の為の確かで平和な未来”を望み、”家族を愛していた”と信じたい。(アスランを月に移住させたのもアスランの身を守る為だし)
一方、レノアもレノアで、”プラントの食糧事情の改善”の為に、その分野での自分の持てる能力をフルに活用させよう考えていた人なのではないか思う。その姿勢は”みんなの為に”というものが感じられ、その姿を見て育ったアスランに多大な影響を及ぼしていたのではないかと推測。
「大切な誰かの為に、世界の為に、今自分が出来ること」
アスランの現在の思考の基盤は、既にこの頃から形成され初めていたのではないだろうか?
それでも母親として、多忙な中にも小さなアスランにはできる限りの愛情を注ぎ、教えるべきところはきっちりと教育し、ちゃんと導いてあげていたのだと思う。それはそれでちゃんとアスランにも伝わっていた。
「(コーディネイターは)ただ単に入れ物が大きくなったってだけよ」という言葉からの想像。少なくともここでは2つの事を示唆していると私は思う。
まず、「ナチュラルとコーディは違うものではない」ということ。(お互いに差別や優越感を持つべきものではない)。そして(より新しい可能を持つコーディネイターとしては)「その能力をただ遊ばせていてはいけない、それに甘んじていては駄目なのよ」ということ。

一見放って置かれているようであり、グレても不思議ではない家庭環境の中でありながら、アスランがあんなに聞き分けの良い(良すぎる)大人な子供になってしまったのは、幼いながらに感じた父の”志の大きさ”を誇るものであり、母に対する愛情と尊敬の念からの理解、と判断するのが妥当ではないだろうか。
(理解しすぎ・・・逆にそれが現在にも影響を及ぼし続け、災いの元(?)になりえているのが、なんとも言い難いのだけどね)

一方、キラ。
ブルーコスモスの標的となっていたヒビキ家。研究所の襲撃を事前に察知したことで、キラ・カガの母親であるヴィアは、実の妹カリダ(現在のキラママ)に密かに赤ん坊のキラとカガリを託す。そしてカリダはそのままキラを手元で育てる事になる。(カガリがどのような経緯でアスハ家に引き取られることになったのかは不明)
カガリではなくキラを手元に残したのは、キラがコーディネイターであり、その出生の特異性によるものだったから、という想像は難くない。
二人一緒に、ガカリを手元に残さなかったのは、やはりナチュラルである自分たち夫婦には”未知の存在であるコーディネイター・キラ”だけで精一杯だと判断してのことだろう。
ヤマト夫妻がキラを”実の子供”として愛情いっぱいに育てただろうころはキラを見れば良くわかる。一言でいうなら”自由奔放”なキラ。ごく普通に、ナチュラルの子供と同じように育てたのであろう。甘やかしつつも、しつけも怠っていない(一応)。
それでもコーディネイターとしての基本的な教育を受けさせたのは、一概にキラの為といえよう。どんなに普通の子供として育てても、やはりコーディネイターはコーディネイター。その能力を彼自身が必要とした時、持てる能力を使えないのは彼の為にならないと。(結果的にどうだろう?幼少時の訓練がなかったら、キラはその能力を最大限に開花させることができただろうか?それでもキラなら・・という可能性は否定できないか?)

キラを”コーディネイターとして育てるため”という前提はあったけれど、そこにアスランとキラの接点が生まれた。レノアとカリダが親しい間柄だったことから、アスランとヤマト家との繋がりが出来た。
コーディのレノアとナチュのカリダがいつどこで意気投合したのかは不明。それでも子供を預けるほどの強い信頼関係があったことは間違いない。(これもレノアの人柄を想像できるものといえる)

アスランとキラの出会いは4歳の時。
その二人を取り巻くものは、スーツCDの1&2でかなり理解できる。(必聴!)
キラから見たアスラン、アスランから見たキラ。同じ出来事について語られているスーツ1&2は二人の関係性、同じようで微妙に違う、それぞれの考え方を知る上でもっとも有効なアイテムだと思う。
アスランが一人っ子にも関わらず、どこか長男的お兄ちゃん気質になってしまった理由が納得できるはず。
子供らしい部分を全てキラに譲ってしまった幼少期~少年期。
(しつこいようだけど)この時期からして”甘える”ということすらも、無意識下で抑制、または自己解決することの訓練がなされていた、ということなのかもしれない。

あぁ、もう!あすらんって子は、まったく!・・・・・・なんて可愛いヤツなのだろう。

再会時でのアスランのキラを表現する言葉。
「泣き虫で、甘ったれで、優秀なのに、いい加減なヤツ」 
本編だけしか見ていなかった時、友達を一生懸命に守ろうとするキラに「いい加減なヤツ」という表現がしっくりこなかった私。
けど・・このCDでまさにその通り!”なんと的を射た言葉か!”と思った次第(笑)
しかし。。。「~なのに、何」ってことは「~」は比較級として「~」<「何」
この頃のアスランにとってキラ評って・・・そうだったのか?(^^;)
ううん、そんなことはないから。単なる言葉のアヤ。
唯一なんでも言える友達だってことっ!
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なんだか話がちっとも進まないなぁー(^^;) けれど、「三つ子の魂百まで」
この時期のアスランをきちんと把握できていないと、SEEDでのキラに対する葛藤は半分くらいしか理解できないだろうし、その後の紆余曲折、続くDESTINYに於いてもね、ってことで。
人は年齢を重ね、経験を増やすことで成長はあれど”人格形成の基礎は幼少期にあり”でしょう?

とりあえずもう一度断っておこうかな。
これはあくまでも私の復習。事実からの想像(妄想)であり、解釈である。
この中に私の知らない事実があり、ここでの想像や解釈が正解だったり、間違っていたりしていたら、それは是非知りたいとは思うのだけど・・・・。(教えてください!)

2006年3月11日 (土)

甘えること。

前回、アスランとカガリの『甘えたいもの同士のすれ違い』は「まずいなぁ」という思いで終わらせていたのだけど、なんだか釈然としなくってちょっとだけ掘り下げてみた。

”甘える”とは何か。

まず、ひとつは社交辞令的”甘え”
「お言葉に甘えさせていただく」という場合のような、そのとおりに”そうさせてもらう”という甘え。

この場合は先方の寛容さ、親切、好意、気遣いなどに対するものでありごく一般的なもの。ほとんどの場合、断ることは無いだろうし、断る必要が無い場合が多い。(それでも断る場合はその理由をきちんと告げることが大事かな)
また、時にはそういったことをあてにする場合もある。

もうひとつは、依存する”甘え”
「○○して欲しい」とか、「××をお願い」とかそのとおりに”してもらう”という甘え。
簡単に言えば、可愛がってもらうこと。

欲求は男女の区別なくあると思うけど、どちらかというと”女性的”な甘え方だと思う。
所謂”甘え上手と甘え下手”は、この”甘え方”ができるかできないか、ということ。
ここから考えると、アスランはまず間違いなく”甘え下手”。相手のことを思いやる気持ちの強いひとだから、自分のことは2の次。
そういう意味ではカガリも”甘え下手”
キラとラクスは、誰にでもというのではなく、甘えてもよい存在には普通に甘えることができる感じ。だからお互いにワガママを口に出して言うこともできる。
ワガママに関して言えば、やっぱりアスランは無理っぽい。結局はどちらも性格の問題かな?(あー、カガリは姫様的ワガママし放題♪)


大抵”甘える”という言葉から受ける印象はこの2つだと思う。
けれど、もうひとつ別の”甘え”があることを私は知っている。

”なにもしない、してもらわない”甘え
放っておいてもらう甘え、必要な時はペースを合わせてもらう甘え。
楽で気ままな、居心地の良い、ある意味自分勝手を許してくれる、そんな癒し的な空間であり、それを作ってくれる存在に対するもの。
疲れているのだけど、何かをしてもらいたいわけではなく、何かをしたいわけでも、何かが欲しいわけでもない。そんな自分をいつもと変わりなく、遠くで静かに見守ってくれていて、けれど手の届くところにいてくれる存在。なにも言わずに手を差し出しても、そっと手を取ってくれる感じで。

この場合、甘えられているほうは”甘えられている”と気がついていない場合が多い。
普段どおりでいて、特に何もしていないわけだから。
それでも、甘えている本人は、心安らいでいく。なんていうかぼーっと好きな人の元気で笑っている姿を見ているだけで、充分元気になることってあるでしょ。エナジーを分けてもらう感じっていうのかな?
言うなれば、とても男性的な甘え方。


依存型が”積極的な「動」的甘え”だとしたら、こちらは”消極的な「静」的甘え”

両澤氏の言う<本当に疲れて大変なときにはカガリに甘えるのは難しそう >の甘えは「動」的甘えであり、”女性的視点”からみた”甘え”に関する見解ではないかと思ったりした。
でもね、案外アスランは「静」的な甘え方で、充分に”甘えている””甘えさせてもらっている”と思っているのではないかしら?と私は思う。
もともと”甘え下手”の男性ってそんなものじゃないかしら?(その根拠は私自身の経験に基づくものだけど、説明がながくなるのパス)
相手が誰であれ、大っぴらに甘えることなんてきっとできない。

そしてこの場合、カガリは甘えられていることにたぶん気がつかないし、わからない。
例えば気がついたら・・・その時はきっとそれとわからないフリをしながらさりげなく核心を突きつつ、さりげなくフォローするだろうね、いつもと変わらずに(ここがポイント)

だから<メイリンの側なら案外ゆっくり出来るかも>についてもあまりどうということはない。これも”女性的視点”からみた想像だと思うから。それに今のところ、アスランのメイリンに対する甘えは”一般的な甘え”のみだしね。これは普通のこと。
確かにメイリンは静かにゆっくり甘えさせてくれるとは思う。だからといって、メイリンに対してアスランが「動」的甘えをするとは思えないし、ましてやそこでまったりと”落ち着きたい”と思うようなアスランではないと私は信じる。

アスランも「傍にいてくれ」とハッキリ言葉に出したい時はあると思う。(カガリも)
だけど具体的な言葉が言えないからといって”甘えられない、甘えていない””甘えられていない、甘えさせていない”ということにはならないんじゃないかな?
カガリは気の強い女性だけど、母性的な愛に溢れている人。
二人の関係はべったりではなくたって、心における存在は大きく、見えない空間の中でだって、遠く離れていたって、いつもどこか結ばれている、繋がっている、そんな関係だと私は思っている。
必ずその中にお互いに対する”甘え”は存在する...と。

(以下:余談)
しかし・・・そういうのに気がついちゃった女性としては(それはそれでいいのだけど)やっぱりちゃんと甘えてくれると嬉しいし、楽なんだよねぇ。
アスランも、もう少し自分自身を前面に出すとか、もう少しエゴになってもいいんじゃないかなぁ?
普通とは逆で、アスランに限りそういった訓練は必要じゃないの?なんて思ったりもして(笑)
「動」的甘えは訓練次第でなんとかできるようになるんじゃないかなぁーってね。

2006年3月10日 (金)

アニメージュ4月号「両澤氏インタ」より

”もうね、あまり喋らないほうがいいんじゃない?” (否定的な意味ではない)

「ロマンアルバム:デスティニー編」でのロングインタビューで、福田監督や両澤氏の思い描いていた”「DESTINY」について”は、私は充分に理解できていた。
そこから考えると、4部作となる”スペエディ”にはこのインタやNTでの監督インタを読むまでもなく、既に期待をしていた。

それはそうと今回のインタネタを某所で拾って読んだ。
そして本日、本屋で立ち読み(笑)
アスカガについて、アスメイについての発言は、概ね私が思っていた事と同じであり、改めて再確認したまでのこと。特に(大きく)異論は無し。
ただこの時点での両澤氏の発言は、どうしても反感を買い兼ねない言葉に捉えられやすく(本編での描写や言葉足らずなのは、そもそもそういうことなのか?w)
話せば話すほど墓穴を掘りかねない、という印象が強く感じられてしまうのはどうしてだろう?
今回も、「もういいから・・」という思いでいっぱいになりながら読んだ私だった。

●アスカガ「勘違い」発言について
正直、この発言当時には私も少なからず憤りを感じた。
それは「勘違い」という言葉の意味(内容)ではなく、”作っている”両澤氏が「勘違い」という発言をしたことに対して。
”作っている”人間が「勘違い」だと言ってしまっては、その後にあるものは”破局”以外のなにものでもないと、夢も希望もうち砕かれた気持ちになったから。
だって”作っている”人間が”ない”言えば”この先はありえない”と同義でしょう?

今回のインタではそこに補足がされていた。

>知り合って好き合ってハッピーエンドって言うんじゃなくて、好きなもの同士でもその後お互いの周囲や別の面、現実が現れてくる。それでも揺るがないのが本物の愛情。
>お互いを知らなさ過ぎるので、その「好き」が盛り上がっての勘違いか本物かがまだ分からないよ

これを読んで、「本物かがまだ分からないよ」の部分がどうしてあの時になかったのかがとにかく悔やまれる。
それならば私は、内容にも発言そのものにも、納得していたハズだから。
もともと、アスカガ二人の”幼い恋”についてはずっと感じ続けていたわけで、

>あの指輪の渡し方は最悪のケース、わざとそう書いたけど

という意図的なものは初めからアリアリと感じていた。
その意図が決定的になったのが「すれ違う視線」。そして(当時)補完するしかなかった「変革の序曲」で確定。
アリアリと感じていたものが、真実だと見せ付けられ、”アスカガを想う者”としては両澤氏を憎らしく思ったのはまぎれもない事実。
”別れさせる為に、あえて指輪を渡して盛り上げたな、チクショー”ってな感じで(笑)
この時すごく冷めた自分がいたなぁ、と振り返る。
理由は解らないでもない、けれどこの先、意図的に距離を置かされた状態の2人を、再び掬い上げてくれるのかどうかまでは、皆目見当がつかなかったから。
そこでの「勘違い発言」はものすごい衝撃であり、ノックアウト寸前。

”幼い恋”については、その「変革の序曲」の時点で書きまくっている(それもひと様のところで)
読み返してみると、アスカガの二人の恋愛について”(戦時中という)特殊な状況下で生まれた愛”とか”こういう愛の場合、簡単に発展した分、壊れるのも簡単だったりする”とか”とんとん拍子の恋”とか表現してたりする(笑)(・・ちょっと・・かなり?反発をくらったけど)
今思うと「=勘違い(肯定)」と言っているのと同じようだね、私(^^;)・・・
言い訳するなら、”私自身”がそう思って書いたのではなく、制作側が”初めからそのつもりで創っている”と(私が客観的に)”感じた”ことを軽い気持ちで”そのまま”書いたということなんだけどね。
でもね同時に、「あえてアスランからカガリに言葉がなかったのはそういうこと※からで、大人の愛へ一歩踏み出したのだろうと思っています。「言葉」は時に人を縛りますから。」
※そういうこと=”気持ちそのままに「好きだ。愛してる。待っていてほしい。(待っている)」という言葉を言うのは簡単だけど今はその時期じゃない”
とも書いているわけで、これが”私自身”のその時の想いであり、こっちが本心なんだよねー。(これを乗越えてれば本物になるんだよーという意味を含んでいるつもりなんだけど、今更後付けにみえるかな?)

最終回でのアスカガ補完はなく、そんなところに最終回終了時の両澤インタから”「勘違い」発言騒動”が勃発。

今回のインタで、「勘違い」という”状態”ついてはまったく異議がなかった私として、”わざとそう書いた”と言う両澤氏の”意図”をきちんと読み取っていたということになり、それが証明されてちょっと嬉しかったりした。(自慢?優越感?・・自己満足だなw)
(そのものズバリ、”意図的なものを感じる”というコメントも”幼い恋”「=勘違い(肯定)」(による反発?)のフォローコメントの中で書いた覚えがあるのだけど、いつどこで書いたのか...自分で消去したアレかな?^^;)

ということで、この度この件に関しては

>だからデス種スタートの時は「勘違い」と言ったらびっくりされた
>彼らなりの愛情があるはずで、それをふたりで見つけていかなきゃならない
>私、あの二人の仲を引き裂こうとしていたわけではないし、彼らのことも好きなので誤解しないで

どことなくお茶を濁すかたちで終結かな。
でもこの両澤氏の補足弁明?釈明?は、”ロマンアルバム”でのインタも”後付け”と批判を浴びていたし、今回も「今更なにいってんの?」と言われ兼ねない気がして・・・なんだか不憫。

●カガリに甘えられないアスランについて
「アスランってこんな人」の中であえて書かなかったもの、「プライドが高い人」

アスランはプライドをもって物事に取り組む人なんだけど、決して「高い」わけではないと思っている。プライドが高いのはイザークだよね(笑)

>プライドがあるから寂しくても甘えたくても言えないが、当然アスランにも弱い部分はある
>アスランはカガリが大事だし,支えになりたいというのは生涯変わらないけど、本当に疲れて大変なときにはカガリに甘えるのは難しそう

う...ん...そう...たぶん。。分るようなちょっと違うような・・・これについてはそんな感じ。

カガリに対しては、”プライドから”というより”強がり”的な言動を取ってしまう傾向はあると思う。それもカガリに心配かけまいとする気持ちからのこと。
でもアスランが「死にたい気分だ」と口走ってしまえるのは、やっぱりカガリにだけであり、(もしかしたらキラにもだけど)それは心を許したカガリへの甘えからくる言葉じゃないかな?って気がしてるんだよね。
ただ、本当にアスランがどうしようもなく迷った時、困った時はどうかな?と考えた時、
たぶんというか、やっぱりというか、ひとりで考え込む可能性は大。そして結論をひとりで決めちゃう可能性は非常に高い、とは思う。
でも、それを察知できる(た?)のがカガリであって、カガリから指摘されて”素のアスラン”が表にでる、それがそんな二人のカタチじゃないかな?って思うんだ。
そこで「ああ、俺はひとりじゃないんだ。コイツが見ていてくれている」とアスランが我に返って想いをポツポツ語りだす・・・それもひとつの甘え方なんじゃないだろうか?
ここで言う甘えが、「”自分から”甘える」というのが難しそう、という意味ならば、この場合にしてもそういうことなのかも知れないけれどね。
ここでの問題はカガリに気がつく余裕がなかった場合、甘えることすらできないという欠点があるんだよなぁ。
でもやっぱり強がりが言えること自体が既に”甘えてる”ってことにはならないかなぁ?


>カガリはカガリなりにアスランに甘えてるけど、ウズミやキサカのような大人の男性に囲まれて育った子の甘え方なので、若いアスランには分からない、振り回されるっていうか・・

今度は逆のパターンだね。これは、そうなんだろうなと思う。
受け止めてあげたいのだけど、どうしてよいのか分らない・・・というのはありえる話で、それはカガリの甘え方云々の問題より、アスラン自身の経験不足だろうね。
それ以前に甘えていると気がつかない可能性が・・(経験不足というより天然?)
ミネルバでオーブに帰還した際、ロクに会話もできない状態でもじもじするしかないカガリに(状況判断の上)理解を示す言葉のみ、ってのがあるしなぁ。そしてそのまま実務的話題に切り替わってしまうし・・・。
これが、ちゃんと謝りたいカガリなのだけどちゃんと謝れていないカガリ、という”大人の男性に囲まれて育った子の甘え方”なのかもしれないんだよなぁー

ここは痛いなー。
本当は、今だから甘えたいもの同士のすれ違い。
ユウナの出迎えやユニウスセブンの件もあって、アスランもカナリ凹んでいた時だし...ひとりぼっちで寂しそうだった。それでキラにちょっとだけ弱音を吐いちゃうんだけど、キラもまだ黙っちゃう状態だったしね。

これはちょっとまずいかも知れない。。。

●キラは特別な存在
「(大丈夫ですか?)って言わないほうがいいよ、アスランは”大丈夫だ”って言うに決まっているから」
そこで「本当に大丈夫だ」とムッとして言い返すアスラン。言った相手がキラだから。
”キラだから”、強がりつつも弱音を吐けるのがアスラン。
この二人は以心伝心だもんね。どちらも全てお見通し。
半分言えば解ってくれるし、分かり合える関係(羨ましすぎ)。

アスランにとってキラが特別な存在というのは未来永劫変わらない。
ひょっとしたら「キラ>カガリ」もありえなくはない(ヘンな意味ではなく) 
(注)命のやり取りとかの究極の選択は考えないでほしい。

>アスランにとって一番気楽なのはキラ
>べったりするわけでなく、疎遠でもない。適度に甘えて、聞くところは聞いて、言いたいことは言い合う。

ということで、まったくもって意見は合致、というか誰の目から見ても明らかだね。

●スペエディについて
”アスラン視点で”ということが監督からも両澤氏からも強調されていた。ちょっと嬉しい。
4部作だから、第一部は「起承転結」の”起”の部分。
アスラン、セイバー受領。キラ、甦るフリーダム。シン、オーブ沖にて初種割れ迄。
とにかく、せっかく視点をアスランに絞るのだから、丁寧に作り上げて欲しいと思う。
もちろん最後までお付き合いするつもりだしね。

2006年3月 8日 (水)

アスガガ記念日~出会い

C.E.71年3月8日は、アスランとカガリが初めてインド洋の無人島で出会った日。
”敵”..というより、”味方ではない者”の二人。
カガリのまったく他人を意識しない、自分を飾らない姿に笑みをこぼすアスラン。
乱暴でガサツな言葉使い、横柄で自分の立場をわきまえない行動。
戦場での悲鳴、溺れかけたうえに”カニ”・・・どれをとっても、もう笑うしかない。
どこまでも”ヘンなヤツ”であり、アスランにとって初めての等身大な”カガリという名”の”少女”だった。

その少し前...キラから送り届けられたばかりの”婚約者ラクス”との出来事。
”捕虜からの解放”に対してラクスを気遣う婚約者なアスランであるけれど、その
「わたくしは元気ですわ。あなたのお友達がよくしてくださいました。」
という言葉で、キラを想い悲痛にゆがむアスラン。
そこには、アスランに優しく笑いかけるラクスに対して、微笑み返すことさえできないアスランであり、そんな(キラを想う)アスランを労わりその頬に触れようとするラクスの手を拒絶するというアスランがいた。

「つらそうなお顔ばかりですのね、この頃のあなたは・・・」
「にこにこ笑って戦争はできませんよ」

その拒絶は、”キラ”のことで感情的になっていた自分を恥ずかしく思ってのことでのテレみたいなものだったのかもしれない。けれどそんな”自分らしい”姿をラクスに晒したことに対する気恥ずかしさなのだとしたら、やはりアスランとラクスはそこまでの関係でしかなかったということなんだろう。
(アスラクのツーショットは絵になるから好きなんだけど・・ヾ('o' ォィォィ)
たぶん、アスランはラクスをよく見ていなかった。逆にアスランをよく見ていたのはラクス。(アスランとラクスの二人の関係についてもまた別の機会で・・・)

ここでのカガリの言動はおよそ笑いを誘うようなものばかりだった。
そこに、ただ可笑しいからと”笑う”アスランがいた。
いつでもどこでも笑うことができるのが人間。人間の一番魅力的な姿。
そしてそれを忘れさせてしまうのが戦争のような非日常。

アスランにとって、カガリはそんな中での”ふつうの日常”を思い出させてくれた存在。
だから、なんだか安心?して寝ちゃったアスラン。
それにしても、なんて迂闊やヤツなんだろう、アスランは(汗) いくら相手がカガリでも、寝首をかかれる可能性がないわけじゃない。現にあーなっちゃうしw
エリートなザフトレッドとは思えない、そんなアスランがアスランらしいともいえちゃいんだけどねw

”味方ではない者”同士で「戦う理由」を語り合った二人。その相手が”そんなカガリ”だったからこそ話せた自分の母親の話。
この時のアスランはまだ”何かを信じて戦っている”というよりは、「無差別に核攻撃を仕掛けるような、密かにMSを作っているような、そんな非道な地球軍を野放しにできない」ということからの”正義感”であり、現状は”敵”を与えられている、そんな状態。

「おまえ、地球軍じゃないんだな?!」
というカガリに対する別れ際の言葉は、”敵ではない者”としての再確認であり、精一杯の願いだったのだろう。

「軍人でもないくせに・・・」
またひとり戦いたくない、殺したくない、敵としたくない者との出会い。

「カガリ、だ。おまえは?」
「!。。。アスランっ!」
”敵ではない者”との名乗り合い。それでも”味方”ではない。
けれど…”名前を知る者”同士に変わる二人の関係。

いつしか語り合っていた”憎しみの連鎖”のはじまり。
その果ての姿にまだ気がつくことができなかったアスラン・・・・
キラを自分のもとへと引き込むことしか考えられなかったアスランであり、それがダメなら”敵”として殺すしかないという思いに囚われていたこの頃。
しかし、このカガリとの出会いと会話が、”アスランがアスランであること”へのはじめの一歩であったことは間違いない。
それが、あのキラとの戦いの後、カガリにだけ自分の素直な本当の気持ちを吐露することができた、ということに繋がるのだから。

2006年3月 3日 (金)

アスランの変遷

まず、アスランをおさらい。

アスラン・ザラ(Athrun・Zala)
C.E.55.10.29生まれ(現在がC.E.74、春なら満18歳)

13歳まで月の”コペルニクス”に在中。その後、地球とプラントの情勢悪化により、プラントへ移住。
キラとは4歳のころから共に過ごすことが多かった幼なじみ。プラントへの引越しにより別離(C.E.68)
C.E.69 14歳にしてラクス・クラインと婚約。
C.E.70.2.14、母レノア・ザラを「血のバレンタイン」にて亡くす。それを切っ掛けにその1週間後「ザフト」へ入隊、士官学校へ入学。同年9月、士官学校を卒業しクルーゼ隊所属となる。
C.E.71.1月、ヘリオポリスにてキラと再会。
C.E.71.3月、カガリと出会う。
C.E.71.4月、キラを討つ。
C.E.71.5月、ラクスと再会。
C.E.71.6月、キラと再再会から共闘へ。
C.E.71.7月、ラクスと合流。
C.E.71.9月、第二次ヤキン・デューエ攻防戦時、父パトリック・ザラを亡くす。終戦後はカガリらと共にオーブへ。(~C.E.73)
C.E.73.11月 ザフト復隊。地球・プラント間で再び事実上の戦争勃発。
C.E.74 プラント、オーブ間で停戦協議開始。(ラクス・クライン、評議会入り)

15歳から18歳までが”SEED~SEED DESTINY”で語られているアスランの全て。
たった4年の間に、彼は何回ターンニングポイントを迎えているのだろう。
母の死を切っ掛けに「自分にも何かできることはないか?」と思いたち、その後1週間でザフト入隊、という決断力はスゴイとしか言いようがない。
父親の仕事柄もあり、将来は何らかの形で政治に関係する職業に付くよう言われていた(育てられた)のかも知れないし、本人もそのつもりで勉強していたのではないかと思う。(=軍ではないにしろ)
トリィやハロの製作など、マイクロユニットのような細かい作業を得意としているように思われているけれど、あれらはキラやラクスといった親しいものたちの喜ぶ顔が見たいがための愛情表現の一種だと私は思う。よって、趣味に近いんじゃないかな?

ラクスに”バラの花束”をプレゼントするとか、普通ならキザに見えるところでも、そう見えないのは、”花束”が相手の気を引く”手段”ではなく、それしか思いつかない駆け引きのない”素直で不器用な心”そのまんまだからではないかと思う。(SEED20話、初顔合わせ時回想、スーツCD(3)ハロより)

アスランは、幼年学校時代でも、ザフトの士官学校でもどちらも主席。どんなことでも器用にこなせるわけで、マイクロユニット製作などの工学がより長けている、ということはないと思う。(トリィやハロの活躍には、「そんな機能まで付けてたの?」と毎度驚かされるものがあるけれどw)
ただ、すべてにおいてそこに”努力”があったか・・・というとそこがちょっと難しい。
コーディネイターといえども訓練なくしては能力を発揮できないのは周知のこと。
アスランの性格として、間違いなく努力はしているのだろうけれど、それでも、もともとの素質が他より秀でているのはおそらく否定できないと思う。
キラがMSに対してはなんの訓練も受けていないにもかかわらず、アレだけの適応能力を発揮したのはキラ特有の遺伝的要素なのかもしれないけれど、アスランはパトリックとレノアの息子であり、その遺伝子を引き継ぎ、その環境と教育方針で育てられ、更に専門的教育も受けている。それはキラの素質8割の能力に匹敵するものだと私は考える。
(キラも幼少時にコーディネイターとしての教育をきちんと受けているし、ヤマト家は良い家庭環境にあり、情操教育も申し分ないと思う・・たぶん。MSに関しては、実戦で経験を積み重ね、その持てる能力をフルに使いこなせるようになっていったのだろうけれど)

「君は僕に似ている」・・・似ているだけで、実は考え方も行動も違う二人。この差は家庭環境の差がそのままなんだろうなぁと思う。
人格を形成するものは、遺伝と環境の両方であり、どちらかがどちらかを制御できるものではない。どちらも干渉しあって、1個の人間を作り上げていくものと思う。そしてそれは、生を受けてから死を迎えるまで繰り返し相互変換され続け、個として変化し続けていくものではないかと思うわけで・・・あれれ?なんだかデスティニープランの話にも変化しそうな気配。。。(汗) デスティニープランはともかく、『アスランとキラ』についてはいずれまたということにしよう。

アスランを語る上で、アスランの転機は欠かせない。
アスランはそれだけたくさん壁にぶつかり、その時々で自ら”一番良かれ”と判断したものを選択し続けてきたことは間違いないと思う。
けれど何度も間違っちゃうのは、目が曇っているということではなくて、人を信じる心と、人一倍強い正義感、性格的な真面目さからくる副作用。
せっかちでも軽率でもないのだけど、とにかく立ち止まっていられないひとだもの、アスランは。

アスランの決断、”何が彼をそうさせたのか?”
アスランを知るならまずこれかな?
少しずつ振り返っていこうと思う。・・・けど、この調子だと、4年間を振り返るのに、どのくらいかかるんだろうか?(笑)

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