« アニメージュ4月号「両澤氏インタ」より | トップページ | アスラン・ザラとキラ・ヤマト(幼少期) »

2006年3月11日 (土)

甘えること。

前回、アスランとカガリの『甘えたいもの同士のすれ違い』は「まずいなぁ」という思いで終わらせていたのだけど、なんだか釈然としなくってちょっとだけ掘り下げてみた。

”甘える”とは何か。

まず、ひとつは社交辞令的”甘え”
「お言葉に甘えさせていただく」という場合のような、そのとおりに”そうさせてもらう”という甘え。

この場合は先方の寛容さ、親切、好意、気遣いなどに対するものでありごく一般的なもの。ほとんどの場合、断ることは無いだろうし、断る必要が無い場合が多い。(それでも断る場合はその理由をきちんと告げることが大事かな)
また、時にはそういったことをあてにする場合もある。

もうひとつは、依存する”甘え”
「○○して欲しい」とか、「××をお願い」とかそのとおりに”してもらう”という甘え。
簡単に言えば、可愛がってもらうこと。

欲求は男女の区別なくあると思うけど、どちらかというと”女性的”な甘え方だと思う。
所謂”甘え上手と甘え下手”は、この”甘え方”ができるかできないか、ということ。
ここから考えると、アスランはまず間違いなく”甘え下手”。相手のことを思いやる気持ちの強いひとだから、自分のことは2の次。
そういう意味ではカガリも”甘え下手”
キラとラクスは、誰にでもというのではなく、甘えてもよい存在には普通に甘えることができる感じ。だからお互いにワガママを口に出して言うこともできる。
ワガママに関して言えば、やっぱりアスランは無理っぽい。結局はどちらも性格の問題かな?(あー、カガリは姫様的ワガママし放題♪)


大抵”甘える”という言葉から受ける印象はこの2つだと思う。
けれど、もうひとつ別の”甘え”があることを私は知っている。

”なにもしない、してもらわない”甘え
放っておいてもらう甘え、必要な時はペースを合わせてもらう甘え。
楽で気ままな、居心地の良い、ある意味自分勝手を許してくれる、そんな癒し的な空間であり、それを作ってくれる存在に対するもの。
疲れているのだけど、何かをしてもらいたいわけではなく、何かをしたいわけでも、何かが欲しいわけでもない。そんな自分をいつもと変わりなく、遠くで静かに見守ってくれていて、けれど手の届くところにいてくれる存在。なにも言わずに手を差し出しても、そっと手を取ってくれる感じで。

この場合、甘えられているほうは”甘えられている”と気がついていない場合が多い。
普段どおりでいて、特に何もしていないわけだから。
それでも、甘えている本人は、心安らいでいく。なんていうかぼーっと好きな人の元気で笑っている姿を見ているだけで、充分元気になることってあるでしょ。エナジーを分けてもらう感じっていうのかな?
言うなれば、とても男性的な甘え方。


依存型が”積極的な「動」的甘え”だとしたら、こちらは”消極的な「静」的甘え”

両澤氏の言う<本当に疲れて大変なときにはカガリに甘えるのは難しそう >の甘えは「動」的甘えであり、”女性的視点”からみた”甘え”に関する見解ではないかと思ったりした。
でもね、案外アスランは「静」的な甘え方で、充分に”甘えている””甘えさせてもらっている”と思っているのではないかしら?と私は思う。
もともと”甘え下手”の男性ってそんなものじゃないかしら?(その根拠は私自身の経験に基づくものだけど、説明がながくなるのパス)
相手が誰であれ、大っぴらに甘えることなんてきっとできない。

そしてこの場合、カガリは甘えられていることにたぶん気がつかないし、わからない。
例えば気がついたら・・・その時はきっとそれとわからないフリをしながらさりげなく核心を突きつつ、さりげなくフォローするだろうね、いつもと変わらずに(ここがポイント)

だから<メイリンの側なら案外ゆっくり出来るかも>についてもあまりどうということはない。これも”女性的視点”からみた想像だと思うから。それに今のところ、アスランのメイリンに対する甘えは”一般的な甘え”のみだしね。これは普通のこと。
確かにメイリンは静かにゆっくり甘えさせてくれるとは思う。だからといって、メイリンに対してアスランが「動」的甘えをするとは思えないし、ましてやそこでまったりと”落ち着きたい”と思うようなアスランではないと私は信じる。

アスランも「傍にいてくれ」とハッキリ言葉に出したい時はあると思う。(カガリも)
だけど具体的な言葉が言えないからといって”甘えられない、甘えていない””甘えられていない、甘えさせていない”ということにはならないんじゃないかな?
カガリは気の強い女性だけど、母性的な愛に溢れている人。
二人の関係はべったりではなくたって、心における存在は大きく、見えない空間の中でだって、遠く離れていたって、いつもどこか結ばれている、繋がっている、そんな関係だと私は思っている。
必ずその中にお互いに対する”甘え”は存在する...と。

(以下:余談)
しかし・・・そういうのに気がついちゃった女性としては(それはそれでいいのだけど)やっぱりちゃんと甘えてくれると嬉しいし、楽なんだよねぇ。
アスランも、もう少し自分自身を前面に出すとか、もう少しエゴになってもいいんじゃないかなぁ?
普通とは逆で、アスランに限りそういった訓練は必要じゃないの?なんて思ったりもして(笑)
「動」的甘えは訓練次第でなんとかできるようになるんじゃないかなぁーってね。

« アニメージュ4月号「両澤氏インタ」より | トップページ | アスラン・ザラとキラ・ヤマト(幼少期) »