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2006年3月18日 (土)

アスラン・ザラとキラ・ヤマト(幼少期)

※アスキラの二人を語る上で、明らかになっていない部分(設定)はまだまだたくさんあると思う(私が知らないだけという可能あり)、ましてや、その心情においては、言うまでもないだろう。

アスランに大きく影響を与えた出来事。その序章ともいえたのが、月でのキラとの別離。
まだ親に言われるがままでしかない”子供”時代の出来事であり、どんなに寂しくても辛くても抗いようがない。
兄弟のように育った二人であり、いつも一緒だった二人にしてみれば、その時は身を引き裂かれる思いだっただろう。それでも「そのうちまた会えるさ」と気楽に考ることも出来る子供感覚の別れだったのかもしれない。
実際、それが実現したのは「血のバレンタイン」後の話。お互いを取り巻く環境は大きく変わってしまっていた。
もちろん、”月”にいたころからザラ家とヤマト家は全然違っていたのだけど。。。。

アスランはその幼少時には”家族とはあまり一緒に過ごせていない”と本人が語っているし、ヤマト家との関係性からも、そのことに相違はないだろう。
アスランの父、パトリック・ザラは身勝手な地球側(ナチュラル)のやり口に反発し、”プラント独立”(自治権、貿易自主権の獲得)の為に、シーゲル・クラインと共に尽力してきた人物。
その為に家庭がおろそかになっていたであろうことは想像出来る。
婚姻統制などなかった一世代目のコーディネイターであり、アスランの母であるレノアとどのようなロマンスがあったのかはわからないけれど、執務室のデスクに”レノアと幼いアスラン”の写真をずっと飾っていた事を考えると、彼は彼なりにまず”家族の為の確かで平和な未来”を望み、”家族を愛していた”と信じたい。(アスランを月に移住させたのもアスランの身を守る為だし)
一方、レノアもレノアで、”プラントの食糧事情の改善”の為に、その分野での自分の持てる能力をフルに活用させよう考えていた人なのではないか思う。その姿勢は”みんなの為に”というものが感じられ、その姿を見て育ったアスランに多大な影響を及ぼしていたのではないかと推測。
「大切な誰かの為に、世界の為に、今自分が出来ること」
アスランの現在の思考の基盤は、既にこの頃から形成され初めていたのではないだろうか?
それでも母親として、多忙な中にも小さなアスランにはできる限りの愛情を注ぎ、教えるべきところはきっちりと教育し、ちゃんと導いてあげていたのだと思う。それはそれでちゃんとアスランにも伝わっていた。
「(コーディネイターは)ただ単に入れ物が大きくなったってだけよ」という言葉からの想像。少なくともここでは2つの事を示唆していると私は思う。
まず、「ナチュラルとコーディは違うものではない」ということ。(お互いに差別や優越感を持つべきものではない)。そして(より新しい可能を持つコーディネイターとしては)「その能力をただ遊ばせていてはいけない、それに甘んじていては駄目なのよ」ということ。

一見放って置かれているようであり、グレても不思議ではない家庭環境の中でありながら、アスランがあんなに聞き分けの良い(良すぎる)大人な子供になってしまったのは、幼いながらに感じた父の”志の大きさ”を誇るものであり、母に対する愛情と尊敬の念からの理解、と判断するのが妥当ではないだろうか。
(理解しすぎ・・・逆にそれが現在にも影響を及ぼし続け、災いの元(?)になりえているのが、なんとも言い難いのだけどね)

一方、キラ。
ブルーコスモスの標的となっていたヒビキ家。研究所の襲撃を事前に察知したことで、キラ・カガの母親であるヴィアは、実の妹カリダ(現在のキラママ)に密かに赤ん坊のキラとカガリを託す。そしてカリダはそのままキラを手元で育てる事になる。(カガリがどのような経緯でアスハ家に引き取られることになったのかは不明)
カガリではなくキラを手元に残したのは、キラがコーディネイターであり、その出生の特異性によるものだったから、という想像は難くない。
二人一緒に、ガカリを手元に残さなかったのは、やはりナチュラルである自分たち夫婦には”未知の存在であるコーディネイター・キラ”だけで精一杯だと判断してのことだろう。
ヤマト夫妻がキラを”実の子供”として愛情いっぱいに育てただろうころはキラを見れば良くわかる。一言でいうなら”自由奔放”なキラ。ごく普通に、ナチュラルの子供と同じように育てたのであろう。甘やかしつつも、しつけも怠っていない(一応)。
それでもコーディネイターとしての基本的な教育を受けさせたのは、一概にキラの為といえよう。どんなに普通の子供として育てても、やはりコーディネイターはコーディネイター。その能力を彼自身が必要とした時、持てる能力を使えないのは彼の為にならないと。(結果的にどうだろう?幼少時の訓練がなかったら、キラはその能力を最大限に開花させることができただろうか?それでもキラなら・・という可能性は否定できないか?)

キラを”コーディネイターとして育てるため”という前提はあったけれど、そこにアスランとキラの接点が生まれた。レノアとカリダが親しい間柄だったことから、アスランとヤマト家との繋がりが出来た。
コーディのレノアとナチュのカリダがいつどこで意気投合したのかは不明。それでも子供を預けるほどの強い信頼関係があったことは間違いない。(これもレノアの人柄を想像できるものといえる)

アスランとキラの出会いは4歳の時。
その二人を取り巻くものは、スーツCDの1&2でかなり理解できる。(必聴!)
キラから見たアスラン、アスランから見たキラ。同じ出来事について語られているスーツ1&2は二人の関係性、同じようで微妙に違う、それぞれの考え方を知る上でもっとも有効なアイテムだと思う。
アスランが一人っ子にも関わらず、どこか長男的お兄ちゃん気質になってしまった理由が納得できるはず。
子供らしい部分を全てキラに譲ってしまった幼少期~少年期。
(しつこいようだけど)この時期からして”甘える”ということすらも、無意識下で抑制、または自己解決することの訓練がなされていた、ということなのかもしれない。

あぁ、もう!あすらんって子は、まったく!・・・・・・なんて可愛いヤツなのだろう。

再会時でのアスランのキラを表現する言葉。
「泣き虫で、甘ったれで、優秀なのに、いい加減なヤツ」 
本編だけしか見ていなかった時、友達を一生懸命に守ろうとするキラに「いい加減なヤツ」という表現がしっくりこなかった私。
けど・・このCDでまさにその通り!”なんと的を射た言葉か!”と思った次第(笑)
しかし。。。「~なのに、何」ってことは「~」は比較級として「~」<「何」
この頃のアスランにとってキラ評って・・・そうだったのか?(^^;)
ううん、そんなことはないから。単なる言葉のアヤ。
唯一なんでも言える友達だってことっ!
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なんだか話がちっとも進まないなぁー(^^;) けれど、「三つ子の魂百まで」
この時期のアスランをきちんと把握できていないと、SEEDでのキラに対する葛藤は半分くらいしか理解できないだろうし、その後の紆余曲折、続くDESTINYに於いてもね、ってことで。
人は年齢を重ね、経験を増やすことで成長はあれど”人格形成の基礎は幼少期にあり”でしょう?

とりあえずもう一度断っておこうかな。
これはあくまでも私の復習。事実からの想像(妄想)であり、解釈である。
この中に私の知らない事実があり、ここでの想像や解釈が正解だったり、間違っていたりしていたら、それは是非知りたいとは思うのだけど・・・・。(教えてください!)

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