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2006年4月21日 (金)

変わらない~友情という名の絆

すっごく楽しみにしていた「スーツCD10」
あの3人なわけだし、予想はしていた。予想はしていたけど、そのまんまだったなぁ。
余りにもそのまんま。
アスランはアスランだし、イザークはイザークだし、ディアッカもデアッカ。
それ以上にもそれ以下にもならないこの3人なんだけど・・・・
お祭り騒ぎがしたかったなぁ。。。

命日であり、墓地であり、ニコルの遺作。
条件がコレだけ揃ってしまうと、ここまでか?これで精一杯か?o(´^`)o ウー

まぁ、それでもね、この3人は一生この3人のままで、会うたびに
「相変わらずだな、イザークは」であり、
「貴様こそもだ!」であり、
「やれやれ・・またか(間に入るオレの身にもなれよ)」なわけで、
それぞれが、何に遠慮することなく、これからもずっと”自分らしく”生きて行くだろう強さを、再確認した感じ。

正論とはいえ議員にも食ってかかるイザークの無鉄砲さには、毎度まいど側に控えて冷や汗もののディアッカとしては愚痴のひとつもでるわけで、それについて、
「いいんじゃないのか?イザークはそれで」
その光景を頭に浮かべて、ちょっぴり苦笑しつつもそういうアスランの言葉がまさにそれにあたるのではないかしらね?

付かず離れず、そんな関係。
「なまぬるい付き合いはまっぴらゴメンだね」というかのような、熱く、冷めた関係。
共にあれば対立もすることもあるだろう。
それでも感情に振り回されず、思うままに意見を闘わせることができる者達。
上司であり、部下であり、同僚である戦友。
離れても、たとえ10年後に再会したとしても、まるで昨日も会ったかのような会話ができる者達。
キラとは違う、別の絆で繋がった彼らだね。


いいお話ではあった。
アスランの優しさに溢れた、落ち着いた語り口調。
(ちょっと物足りないけど)素敵なエピソードだったよ。

「俺ももう大丈夫だから」
キラの、ラクスの”大丈夫”と同じだね。
このCDを聴く、ホント前の日。とあるブログさんのコメントに私、書いたんだ。

>でももう、アスランも大丈夫ですから(笑)

このアスランのセリフ、すごく嬉しかった。
やっぱりアスランは、私の思っている”あすらん”だって。
何度も聴くうちに、これだけで、まいっか、という気になった。

ホントのホントはね、これを初めて聴いた時、♪君は僕に似ている、が流れ出した時、

「(え?)・・・・・・」(唖然&沈黙)

”DESTINY”の最終回でのあのEDを、呆然と見ていたあの時の、あの感覚と同じものに襲われていた...
。。。というお話は...とりあえず今は昔。としておこうか(笑)

【友情のテーマ】
ニコルはどんな思いをこめて作曲したのだろう?
何度も何度も繰り返される同じメロディ。

『落ち込んだりもするけど・・・私は元気です。』 ...違うってば ^^;)

静かだけど、時には優しく、時には力強く。
「この友情、永遠であれ・・・・」そんな想いがこめられていたのかな?
(綺麗に纏めすぎ?ww)

2006年4月18日 (火)

アスカガ記念日~再会

C.E70-4月15日ニコル戦士。17日トール戦死。キラ行方不明。
18日アスラン、カガリによって救出される。


「何と戦わねばならないのか、戦争は難しいですわね」
投げかけられた時からアスランをずっと悩まし続けるラクスの言葉。
クライン邸での久しぶりのラクスとの会話。キラのこと。
「・・・わたくし、あの方、好きですわ」
どういう”好き”なのか真意がつかめないラクスの言葉。

まだ自分の立場と個人の思いの狭間に、どっちつかずのアスラン。
それが、ラクスの言葉やカガリとの出会いもすべて吹き飛ばして、一気”ザフトのアスラン・ザラ”にしてしまうのがニコルの死。同僚であり、友ともいえる仲間を死に至らしめたもの。
「自分の甘さがニコルを殺した」
地球に降下したアークエンジェル。プラントに戻った自分。戦闘の空白。
降下の後、オーブへの潜入捜査で、皮肉にも”トリィ”によってもたらされるキラとの再会。
「そうでなければいい、オーブになんか居ないでくれ。」という微かな願いを打ち砕いた再会。イザークにどんなに罵られようと、確信してしまったアークエンジェル存在の根拠を語れないアスラン。
ザラ隊。”ストライク”の捕獲失敗時のような行動はもう出来ない。内心は穏やかではないにもかかわらず、表に出すことなく、冷静かつ沈着に任務遂行にあたるのがアスラン。伊達ではない。
指揮官としての職務には忠実にあたる。それでも卑怯なまねをすることなく正々堂々と正面を切って戦いを挑むのがアスラン。(潜入・待ち伏せはいいのか?とは言わないでくれぇw)
誰にも気がつかれることなく、最後の瞬間を迎えてしまうのは、アスランの優秀さであり、誰にも相談できないという孤独。
イザーク達を信じていなかったか?
それは違う。まず公私混同を嫌ったアスラン。そしてイザークにはイザークなりの正義があることも理解しているというところだろうな。でもこの時は信じる信じない以前の問題かもしれない。イザ・ディア&ニコルのザラ隊についてはまた改めてだなぁw 小説5巻のイザ・ディアがとても素敵だし、SUTI CD10は今週末。とても楽しみ!

「だが、おまえはフェンスの向こう側だ…」それでも・・・と葛藤は続く。
その甘さがニコルを”殺した”。それも自分を庇って。キラに撃たれるのは自分の筈だった。感情的になり冷静な判断力まるで欠如した戦い方。何より、すべてに置いて中途半端だった自分自身。
耐え難い事実に、誰よりも自分を責め、苦しみ、やがて憤怒に目を曇らせ”敵”に対する憎しみへとその色を変えていく。憎しみに満ちた目で、心で、再び相まみえるアスランとキラ。戦いの中で再び繰り返される悲劇。キラの友達であるトールを撃つアスラン。
キラも怒りに満ちた感情だけでアスランに対抗する。その結末は・・・・自爆によってストライクを討ち果たすイージス。

”驚異である敵と戦う”それは”ザフトのアスラン・ザラ”なら当然のこと。
「敵と戦われたのでしょう?・・」とラクスですら仕方がないことと言う程に、戦争とはそういうもの。(これはラクスの、キラに向けての言葉だけど)
でもそれは、いつしか単なる私怨にすり変わっていたことを誰よりも知っているのがアスラン自身。ザフトの“力”を借りて”憎い敵”を倒す。”大義”を掲げて。それにやっと気が付きつつあるのがここでのアスラン。

戦士としての優秀さか”死にたくない”という生物としての本能か、辛くも脱出。
憎しみに囚われ「俺がおまえを撃つ」と心に誓い、”最強の敵”を打ち倒したとき、その後に自分を襲ったものは、爽快感でも達成感でもなく、また優越感などとは程遠い、虚脱感であり、喪失感であり、やり場のない怒りと悲しみのみ。

キラを探していたにもかかわらず、たまたま自分を救出し、目覚めるのを待っていた見知った少女、カガリ。再会。
「キラはなんで友達のお前に殺されなくちゃならない」とカガリに攻められ、
「敵、なんだ、今のあいつはもう。・・・なら、倒すしかないじゃないかっ」
精一杯の言い訳。 止まらない溢れ続ける涙が、本当は「何かが違う、こんな事はどこか間違っている」と自分を否定する。そしてこれこそが友である敵を撃った、自分に課せられた最大の罰だと。
これは完全にアスランの言い訳なのだと思う。カガリやほかの誰かに対するものでもなく、自分自身に対する言い訳。
「本当は撃ちたくなかった、なのにキラが・・・」とキラの自業自得を訴えるものであるけれど、それしか方法はなかったと、そうせざるを得なかったことを自分自身に納得させるためのもの。

「~するしかないじゃないか」と、アスランを象徴する言葉として、合言葉のように使われまくるこの言葉。
例えば・・欲しいものがある。けれど財布が心もとない。でも”初回限定”は今だけのもの。
「なら、買うしかないじゃないかっ」と悩みながらも”買う”と決定したように思わせる。本当は最初からほとんど”買う”と決めている時に使うことが多い。誰かに”自分は悩んだ挙句に決断をした”仕方が無かったということを認めてもらいたい時に良く使う。
その「買うしかないじゃないか」について、
”自分から選択肢を限定しているのに、言い訳もしている魔法の言葉。煩悩の多い人間には便利な言葉です。”
と、ある方が発言されて「なるほどなぁ」と納得。
この時のアスランは、正にこの言葉を言うべくして言ったのだと改めて思った次第。それだけ状況にハマッた言葉だったからここまで迷言になっているんだなぁとw

迷い多きアスラン。
間違っちゃっていたけれど、結局は自分で「撃つ」と決めて「撃った」アスラン。
イザークはナンダカンダ言いながらも”年下のアスラン”の実力をちゃんと認めているわけで、不器用なまでの優秀さには一目置かざるを得ないと納得しているあたりは当然ってことだね。

「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それでほんとに、最後は平和になるのかよっ
憎しみの連鎖の果てにあるもの。
目の前のことしか見えていなかった、見ていなかったアスラン。カガリのその言葉は心に深く突き刺さり、いつまでもその胸に刻まれることになる。
それが、ザフトに戻っても、彼女と離れてしまっていても心は変わっていないという”証拠”ともいえるのが、議長やシンらの前でこの言葉を口にするアスラン。
これはすごく嬉しくかったなぁ。
「生きるほうが戦いだ!」の言葉とともに、この言葉を胸に、あれからずっと生きてきたんだなぁ、あすらんは。と改めて思った。 ちょっぴり「カガリに」と言って欲しかった感じはあるけど、あの状況ではどうかしらね?シンはカガリに反感を持っているわけだし、公私・・という点でもアスランが正解か。
だけど今なら、もしシンと話す機会があるのならば「あの言葉はカガリに言われたことなんだ」と教えてあげて欲しい感じ。

カガリとの苦い再会。
誰にも言えなかった胸の内をすべて吐き出したアスランであり、それで心が軽くなったことはないだろうけれど、カガリの存在が大きく心に残ったには違いない。
放心していたとはいえ、こんなに本心を語れた相手がほかにいただろうか?と。
あすらんはその後、投げられた言葉とともに、何度もその時の事を思い出したことだろうね(思い込みw)
キラを殺した自分が憎いはず。それなのに自分をいたわり(胸ぐらをつかんでガンガンと振り回しもしたけどw)最後には「お前、危なっかしい。護ってもらえ。」とお守りまでくれる不思議な少女。
「もう、誰も死んで欲しくない」悲しみや悔しさを噛み締め、耐え、”憎しみの連鎖”を断ちきろうと頑張る少女。(カガリもカガリなりにそこに行き着くまでの紆余曲折があったわけで。カガリ自身にしても、ここでのアスランとのことが真実、確信に至った、という感じではないかしらね)
彼女の”心”を胸に、アスランとカガリのつかの間の再会はおわり、それぞれの世界に戻っていく。再び相まみえるその日まで。
また出会う、その時は・・・「おまえらぁ」だね。大好きだぁ~

「危なっかしい」の意味。
宇宙にあがってふたたびカガリから発せられるこの言葉。アスランにとって、心外とこそ思わなかっただろうけど「なんでだ?」くらいには思っているかもしれない(笑)
意外に気が付かない自分自身。あすらんだし。
最終目的のためには手段を選ばない。我が身を省みない無謀さ。自爆はその最たるモノ。そして、冷静沈着な表とは裏は腹に、心のうちはとても熱いのがアスラン。真っ直ぐなだけに、時には何をしでかすかわからない無茶苦茶さも兼ね備える。
もちろんアスラン自身は自分の能力をわかっているし、その行動は全く当たり前のことで、(おそらく)勝算有ってのものであり、無茶をしているとは感じていない。
(あー、でも2度の脱走は追い込まれてのものであり、行き当たりばったりの感はあるか。何とかなるさ・・とは思っていないにしろ、確信あっての行動ではないよなぁw)
ただそこに必要あれば命をも投げ出す覚悟を持ち合わせているのがアスラン。それでも普段は自信過剰とも思えるほど負けることなんて考えていないし、一か八かの賭けで下手したら単なる犬死になるような命の賭け方はあり得ないとは思っている。
そんなアスランをよく知れば、彼の行動を無謀と捉えることは無い。けれど優秀なだけに戦況(状況)判断に優れ、場合によっては最終手段も辞さない彼の生死・紙一重の可能性を考えると、どうにも”危なっかしい”こと極まりないのは間違いない。
それを見抜くカガリはエライ!
アスランがザクで”ユニウス7”の破砕作業に加わった、後のカガリの発言から”パイロットとしての腕”は(ブランクはあっても)最上級に信頼できるものだと評価は昇格はしているけどねw
そこでも、やっぱりギリギリまで作業を続けちゃうのがアスランであり、そこに戦闘トラブルが加わって結局シグナルロスト。シンが見捨てなかったから良かったようなもので”危なっかしさ”はどうにも否定できそうにない。(・・・その辺りは今でも変わっていないよなぁ、あすらんは)

そして自爆癖・・・これは2度の実績があるだけに未だに言われ続けて(汗) 
実力が裏打ちされているとはいえ、無茶と無謀の紙一重の行動を繰り返すことは、そろそろ卒業したほうがいいのではないかしら?ましてや、政治家を志すならば・・・(と勝手に決めてる??この辺りはまたいつか。)
まあ、危なっかしさがないと“アスラン“じゃなくなっちゃう感もあるけどねw

ラクスの言葉による新たなる決意。シンを止めるために「インフィニット・ジャスティス」で出撃するアスラン。
誰かに支えてもらわなければまともに歩けもしないのに・・・アレは無謀であり無茶であり、それでもシンを圧倒する実力には拍手喝采だけど。。。やっぱりどこまでも危なっかしいヤツだね、あすらんは。

2006年4月14日 (金)

アスカガ的小説版:SEED DESTINY(5)選ばれた未来

小説版DESTINY5巻では「決意のアスラン」と「ガカリを想う(寂しがりや)アスラン」の2本立てだった感じ(笑)
アスランの登場は、「カガリの声明を出すんだ」と告げに来るキラ、というところから。
「(大丈夫)・・って言わないほうがいいよ、アスランには」は本編と一緒。キラのアスランを分っているところが結構好き。
いつも無茶しているようで心外だ。もっともキラたちがこうして軽口を叩くのも、自分が目に見えて回復しているからだろう。
アスランもアスランでわかっいて、キラの前だから、ラクスの前だから憮然とした態度をとるという正にアスランらしい態度w
キラとこうして再び話せる時が来たことを嬉しく思いつつも、カガリが来ない(来られない)事にわかっちゃいるけど
一抹の寂しさを覚えるのも事実だ
という一文には「そっか、アスランは寂しがってたか」とカガリを気にするアスランとしては嬉しくも思いつつ、でも、「寂しい」という言葉にはどこかしっくりこない私。アスランって私の中ではあまり寂しがりやじゃないからなぁ。
だから、カガリが覚悟を決めて出撃した時点で、カガリの決意は感じ取っているわけで、画面に映し出されたカガリの顔にはまず安堵を示すほうが先じゃないかしら?と思うわけで。
『いやぁ、寂しがっていたかぁ~』ということなら、欲しかったのがこの言葉。
「プラントの動きは?オーブは今どうなっている?・・カガリは?」
情勢を気にするそぶりで、実はカガリのことが知りたいアスラン。
いきなり「・・って言わないほうがいいよ」と登場する相変わらずのキラにからかわれていることに「お前何しに来たんだよ」と言う意味を込めてやり返す言葉としても有効でしょ?
それで、キラが本来のお使いを思い出したかのように、「・・あ、TVつけていい?」と答えにならない答えで答える。「カガリが声明を出すんだ。」
そこでカガリの顔を見て安堵するアスラン。(完全に妄想の世界w)
まぁ、その間にはやっぱり、再会を、再び話せることに感謝する気持ちを口にするキラにシミジミしちゃっているんだけどね。

カガリの演説に対しても、
最初は我がことのように気を揉みながら画面を見つめていたアスランは、
にはやっぱりカガリを心配するアスランとしては嬉しくも思いつつ、どっか違うと感じて・・・
アスランなら”カガリの決然とした顔がテレビ画面に浮かび上がった”時点で、その落ち着きを見抜いているはず。キラじゃないんだし、そこまで心配性ではないだろうアスランは、と思ってしまった。
ここは併せて、カガリの顔を画面上からといえども、無事な姿を確認できたことで(やっぱり自分のことは2の次)安堵し、その顔つきに何かを感じ取り、その演説で覚悟を確信する、という感じではなかろうかと。ラクスの件でうやむやになってしまったあたりで、ふと我に返って寂しさを感じることはあるかもしれない、くらいでどうかな?

初端から批判めいた感じで書き出してしまったけれど、そんなことはないから!とここでまず言っておこうかな?
カガリの想い、カガリの決断、カガリの成長にはかなり泣かされた小説5巻。
その分の大サービスなのか?と疑いたくなる程に、とくかくアスランの”離れてしまったカガリへの想い”が随所に散りばめられているんだなぁ。もう最後の最後までw。

小説版では、ドック内にてカガリからアークエンジェルの今後の立ち位置や動向についての正式発表がなされた直後に、アスカガのハグが盛り込まれている。その後で「焦らなくていい・・・夢は、同じだ。」となってしまっていて、その言葉の交わされることのなかった数秒のハグのなかで、お互いに言葉なんかなくたってしっかり感じあっていたんだなぁ、と思える。それが、
アスランの”心が離れたわけではない、共に同じ方向を見て歩いていく”であり、カガリの”たとえ離れていても、心はいつも彼のかたわらにある。”だと信じる。
それなのに、その二人の心のうちをあらわすものとの間に、カガリとメイリンとの遭遇がはさまれ、カガリの、自分はかつてのようにアスランと共に宇宙へ旅立つことは出来ない。逆にアスランに自分の側に残ってくれと請うことも出来ない。ということと’アスランを愛しているであろうメイリン’に、もう自分にはアスランを守ることができないから、と願いを託すカガリ、というのはちょっといただけない。
まあ、そう思うことすらアスランの身を案じての身勝手さだと自覚するカガリなわけで、そこでの”たとえ離れていても、心はいつも彼のかたわらにある。”なわけだから、そこはヨシとするけどねw
これはあくまでも小説版のカガリ。本編ではそこまでの含みはなかったように思う。”たとえ・・”以下はおいしく頂くことにして、メイリンの部分はやっぱり「私は一緒にいけないから・・・」がカガリの”女性としての本心”と、都合よく解釈したいし、する。

戦うしかないと戦ってしまう自分たち。それでも今は戦うしかないと言うラクス。ラクスの言う戦う理由「未来と希望を封じられたら、それは滅びたものと同じこと」だから戦ってでも勝ち取らなければならない未来があるということ。
議長の言う世界からすれば、道に惑い、時代に翻弄されながら歩んできた自分の道のりは不幸であり、無駄な道のり。でもその無駄があったからこそカガリに出会えた。
アスランは心の底から思う。出会えてよかった、と。
何かにつけてカガリを思い出すアスラン。うふふ。
「カガリに会えてよかった」その思いはずっと変わらず。

予期せぬネオジェネシスの登場。レクイエム本体を破壊できないでいるオーブ軍。
いま討てなければ、一次中継点も復活する!オーブが、撃たれる!
アスランの脳裏に浮かぶカガリ。自分と同じ方向を見据えた、強い金の瞳。
彼女も消える!それはアスランには耐えがたい想像だった。
オーブが、でありながら真っ先に安否を気にかける対象がカガリ。地球に残り、自分たちに未来を託し信じて待つ。オーブという国にも、アスラン自身にも大切なひと。
アスランがいかに未来を望んでいるかがよくわかる。望む未来はカガリあっての未来。それを無くしてしまっては、たとえこの場でこの戦いに勝利することがあってアスランにとってはなんの意味を成さなくなる。
(とは書かれていないけれど、かなり妄想スパイスを効かせまくってそのように解釈w)

「帰っておいで・・・」
漆黒の宙に上がる色とりどりの信号弾の光かアスランに語りかける「帰っておいで・・」と。
もちろん帰りますとも!
「ただいま」と言って帰るために勝ち取った未来。
「ただいま」と帰る場所を守るために戦ってきた。
「ただいま」と言えるひとを守るために戦ってきた。
きらめく海で、白妙に寄せては返すさざなみ。美しい緑の島々。そこには帰りを待っている人がいる。
待つ人と共に進む未来の為にこれからも戦う。それでも今は待つ人のもとに帰りたい。帰ろう。自分たちにはまだ見ぬ明日があるのだから。


小説版では映像だけではみえないアスランの気持ちに妄想ワールドが広がるなぁ(笑)
おいしいところはおいしくいただきましょうw
本編とは微妙に変更されている部分もいくつかあるけれど、基本はあくまでも本編であり、変更箇所は変更箇所として別のものと捉えよう。そしてどちらが良いとか悪いとかではなく、好き嫌いくらいの範疇でおさめよう。
でも、色々な角度からDESTINYを楽しむには媒体はひとつにこだわらない、これ大事w。

5
巻はアスランを堪能したい方にはオススメの一冊。(3巻はかなり痛いけどw)

※アスランの決意バージョンは本宅にてどうぞ。

2006年4月 4日 (火)

アスランにとってのラクス。

ラクス・クラインとアスラン・ザラの関係性、実はとても難しいのだよなぁ。
二人の会話はDESTINYになってからほとんど交わされることがなく、他でもお互いの事を話題にすることもまずないし。
毎度の事ながら、以下は自論。(特に今回はその色が強いと思って欲しい)

アスラン好きの方々には、どうしても嫌われてしまう傾向にあるラクス。
黒い黒い言われ続け、コトあるごとに「”お身体のことではありませんわ”だもんねー」てな感じで(笑) 
”アスランはラクスが苦手に違いない”と言う人も少なからずいる。ある意味そうかも。実際、ラクスのキラとアスラン、二人に対しての接し方には違いにはいくらなんでも差がありすぎだしね。
それでも私は、ラクスはアスランにとっては、かつての婚約者であり、現在の同志としてとても大切な人、守るべき人であり、また公人としての彼女を認め、その支えのひとつとしても己が出来ることすべきことを踏まえたうえで、共に闘っていこうと決意しているように思っている。

ラクスほど「個」にこだわった人物はいない。自分に対しても他人に対しても。
彼女自身はいつも揺ぎない。その上で他人に対しても、常に1対1として接する。
母の教え「生まれでで、この世界にある限り、世界はあなたのもの、そしてまた、あなたは世界のもの。」 平和の歌を歌う。自分の為に、みんなの為に。一人ひとりの尊さを思い、それを大切に思う。
また父の傍らに立つことで、その志を活動を見て聞いて肌で感じて、静かにその発端と顛末を見続けた。そんな経験の数々がラクスの人をや物事を見通す目を養っていったのではないだろうか?人の本質をまでをも見抜く能力。
真っ直ぐに揺ることのないその視線は、他者を圧倒する。その言葉は人々を魅了する。

ラクスは、アスランの誠実さや正義感、強さ、弱さ、葛藤さえも見切ったように、そのものスバリを突きつける。心に突き刺さる言葉を投げかける。でもそれはアスランだから。生半可な付き合いではないことの証明であり、むしろ”アスラン”という人物を信じているから。
いつもいつも、もうギリギリの時間しかない、ということもある。
「もう迷っている暇はないのですよ。答えは出ているのではないですか?」 ラクスの口からは決して語られない本当の意味での誘導の言葉。
過去も行いも責めず、否定せず、事実を告げることのみに徹し、必ず最終結論は本人に決めさせる。そして出した結論にさえ意義を唱えない。
それも”アスラン”にだから、なのだと思う。(実際、いつもその答えに選択の余地はないのだけどねw)
いや、コレは全ての人に対してそうなのだろうな。キラにしても、手の内を明かした上ではあるけれど、本人の意思に任せる、というスタンスを保っていたしね。

こういう時アスランは、いまある自分の心の裡の居心地の悪さや違和感の理由、本当の居場所を探し求めている自分を改めて知る。本当はどうしたいのか、どうすべきなのか、答えは最初から分り切っていることなのに・・と。そして思う。
いつしか迷宮の闇に取り込まれ、立ち止まり、振り返り、逡巡している自分。そんな自分の背中をちょこんと押してくれるのがラクス。
差し伸べられる手は存在しない。あくまで立ち尽くす自分の後ろをポンと押して弾みをつけるだけ。どちら足を、どの方向へ、どんな一歩を踏み出すかは全てアスラン次第。踏み出した瞬間、霧が晴れたかのようなクリアな視界を甦らせる。
見渡せば「やはりあなたはこちらへいらっしゃいましたのね。」と手を振るラクスが、キラが、カガリが、心を同じくする強い絆で結ばれた仲間たちが集まっている。
一時そこを離れることになったとしても、どんなに回り道をしても、いずれたどりつくだろう自分のホームベース。
ホーム=戻ることのできる場所であり到達点でもある。そして振り出し。
「諦めさえしなければ、何事も遅いということはない。間違ってもまた始めからやり直せる。何度でも。正しいと思う答えでさも変化し続けるのだから。だが、そこへ行くつくまでの道程も決して無為なものではない。それでいいんだよな。」と。

・・・とまぁ、こんなことはラクスに厳しい方々にしても百も承知であり、それを踏まえてもまだ。。。ということなんだろうけどね(笑)
その役目は「カガリ」だと思ってのことかもしれないし。
その辺りは希望ってことかな?カガリとラクス、たとえ二人が同じ言葉を言ったとしても、アスランにとって親しい者と愛する者で、言葉の受け取り方、心に作用するものは違うのではないかしらと思う次第。やはりアスランに手痛い説教をするのはラクスの役割なんじゃないかな?”キラ”という鎮痛剤も上手に投与できることだし(笑) 
巡りめぐってやっぱり最後のキメは、「アスランでしょう?」 
誰よりも効くパンチに違いない。

DESTINYで議長をコロッと信じちゃったこと。
これもSEEDの時の自由で余裕がある賢いカガリならば、同じ事をアスランに言えたのかもしれない。「お前はアスランだと」。”できればカガリにそう言って欲しかった”いう方がいらしたし、私もそうだなぁ、とは思った。
ただ、”議長”という地位も権力もある大人から「君は君だ」と言われた場合と比べてどうだろう?他人からの肯定。アスランの凝り固まった心のしこりをどちらかより多く溶かすだろうか?身近な者の予想以上に、本人ですら気がついてない程にアスランの心の傷は深かったのではないか?キラともまた違う観点での心の傷。
議長の、心にしみる(巧みな)言葉の数々。だから信じてしまった。議長は解ってくれる、多角的な目を持っている人物だと。
実は、誰もがずっと「アスランはアスラン」だと言っているのに、どうして自分だけ(から?)”アスラン”でなくなっちゃうのだろうか・・・
イヤ、きっとそれもアスランだからなんだと思うのだけどw

私は割と黒ラクスタイプな人間で、自分自身では外堀をしっかり埋めて用意周到に事を運ぼうとする傾向が有り、また指導する場合もまず「言葉じゃなく、感覚を養え!」と言い、さらに答えを明かさない>黒たいむ?w
相手に見込みがある故に、つい吐いてしまう暴言?の数々。随分と恨まれたこともあったけど、感謝されることもある。逆に痛い言葉を突き返されることもしばしば(汗)
なんかね、どっちの気持ちもわかるし、そうできる関係性が好きだったする。
だからどんなに厳しいラクスでも嫌いにはならない。なれない(笑)

『黒ラクス』と散々言われているラクス。
DESTINYに置いてはSフリーダムにIジャスティスの開発、虎ガイヤにしても、各地に散るクライン派の暗躍(?)にしても、それら全てがラクスの指示で行われていたかのような言い方をされている。
でも本当にそうなの?という思いは消えない。
本人不在のまま”ラクス・クライン”は救世主のように奉り上げられ、その影で地下活動を続けてるクライン派。実際はそういうことなのではないか?
一人歩きし始めた”ラクス・クライン”と、愛する人と寄り添っているだけで幸せな単なる女性である自分とのギャップには、ラクス本人が一番苦く思っていたはず。
全てを捨てることになんの躊躇いはなかった。でも完全に捨て去ることは許されなかった。それがクライン派の活動の黙認。事実はそれに近いのではないだろうか。
いつしか全てを支配したかのような「黒ラクス」。内実がどうであれ、そのカリスマ性と指導力、統制力は本来のもの。クライン派は各地に存在し、やがてそれらを必要とする時が来た。”ラクス・クラインの名の下に結集した組織”逃れようのない事実が残る。
小説5巻でついに語られたラクスの己の過ちを認める思い。
「一度始めてしまったことを、最後まで遣り遂げずに逃げ出してはいけなかった。」
少なくともラクスが”完全無欠な女帝”などではなかったと再確認する私だった。

ただし、「SUIT CD8」でのラクスはバルトフェルド隊長を手玉に取り、密かにミーアとの入れ替わりを企んでいるようなラクスであり、しかもキラをも欺いて・・・となると、やっぱり「まっ黒」か?と思わざる得ない(笑)
でもそれはキラとアスランに対する態度の違いからも分るように、普通の女性がそうであるようにラクスもまた「愛する人には可愛く見られたい」という”ただの女心”からの黒さかなーって思う。そもそも女は計算高い生き物だし、誰しも小悪魔的な側面を持ってるでしょw なかでもラクスは特に賢いから、様々事態にも応用が利くってことでどうでしょう?=用意周到な黒ラクス。(援護になってる??)

ラクスとアスラン、二人の出会いは「SUIT CD3」でアスランの視点から語られている。
「婚約者として会うように」父の言葉には”横暴な”と思いつつも、歌姫としての彼女を知らないワケもなく、ファンではないにしても好印象ではあり、いそいそ花なんか持って会いに行っちゃうアスラン。
初対面でのラクスの天然ぶりにはド肝を抜かれ、戸惑うばかりのアスラン。
それでも、その穏やかで優しい物腰には心安らぐものを感じたのではないだろうか。
というか、きっとアスランはラクスの的外れな言動の中に、どこか”キラと同じ何か”を感じ取ったのではないかと勝手に思っている。
ふわふわと掴みどころがないのだけど、いつもニコニコと楽し気で、ちょっと世話の妬ける不思議なコ。このコとなら・・・そんな風に素直に思っていたのではないかしら?ウブなアスランくんは(笑)

『黒ラクス』から勘ぐれば、実は”不思議ちゃん”を装って、アスランを試していた・・なんてことも考えられなくはない。
この時既に「質問を質問で返すラクス」なわけだから。(明らかに??)
何事にも真摯に受け答えするアスランの誠実さは、初対面でも強く感じられたことだろう。とりあえずおめがねに適い一応婚約者に、かな?
実はラクスからは一度として「アスランは婚約者」という言葉は使われていない。
「アスラン・ザラは、わたくしがいずれ結婚するお方ですわ」まるで他人事のよう。
まだ14歳でもあり、二人の間がそうそう進展するはずもないのだけど、それ以上にもそれ以下にもならなかったのは、お互いがお互いでその距離を詰めようとしなかったから。
ひょっとしたらラクスは静かに深く見守りつつ、待っていたのかもしれない。でもアスランはそうしなかった。出来なかった。カッコつけていたわけでもないのに。

戦争は二人の間を別った。お互い違えたパートナーを見つけ出した。
それは二人の破局ではない。恋愛というスタート地点にも立っていなかった二人なのだから、どちらにしても罪悪感などはどこにもないはず。
あるとするならば・・・結果的にラクスの本質を見抜くことが出来なかったアスランの、己の不甲斐なさにちょっぴり心が痛んだ、という感じかな?

それでもラクスはアスランを正確に見据えていたことは違いなく、その結果が、ラクスのアスランに対するストレートな言動に表されているのだと私は思う。
本来持つアスランという人物の器量の大きさをちゃんと理解してのこと。これしきのことで脆くも簡単に崩れてしまうような人ではないということを。

そんなラクスにアスランはいつも感謝と敬意の念を持つ。自分に対する評価も含めて。そしてこれからも大切な存在として、共に戦う同志として、同じ道を歩むもの者と位置づけているのだと私は考える。

本当の意味でアスランはラクスが苦手だろうか?
たぶんそんなことはない。
ラクスはラクスであり、天然なラクスも本当のラクスであり、あらゆる意味でラクスには振り回されるとわかった上で、とても上手く付き合っているのだから。
世話が妬けるのはお互い様ってことでw

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