« 今、望む世界への旅立ち(1) | トップページ | カガリ »

2006年5月26日 (金)

今、望む世界への旅立ち(2)

>>>(1)からのつづき

決意を固め、ひとに頼らなくなったキラの姿に、自分も決断を下すべき時がきていることを悟るアスラン。
立場、使命、命令、しがらみ。希望、夢。家族、友達、仲間。国、世界。昨日、今日、明日。一番大切なコトは何?
”ザフトのアスラン・ザラ”なら当たり前のように、与えられた命令であり使命を遂行ことをまず最優先とするだろう。
では、キラの幼なじみの”アスラン”なら?
同胞でないのならば、それは全て敵なのか? 
戦いに勝って得られたものは何だった?そもそも得られたものなどあったのか?

キラのやろうとしていることの意味を理解し、だからこそラクスはキラにフリーダムを託したのであり、自分にも一分の望みを託して(アスランをよく知るラクスには確信だっただろうけど)、キラへと導いたラクスだ、という事にはじめて気が付くアスラン。
「俺達だってわかる!戦ってでも、守らなきゃいけないものがあることくらい!」

自分が本当は何のために戦おうと決意したのか、本当にやりたかったことが何かを思い出すアスラン。
今まで何のの為に戦ってきたのか?今となってはもうわからない。
けれど、今のこの世界が、戦ってばかりのこんなの世界を望んでのことではないことだけは確かだ。
「本当は、何とどう戦わなければならなかったのか?(ならないのか?)」

今度こそ望む世界を...。この疑問の答えを探すこと、それこそが願う世界への第一歩となり、踏み出したこの時がアスランの出発点であり、この疑問こそがアスランの原点だと私は思っている。

「一緒に行こう、アスラン。・・・みんなで探せばいいよ、それも...さ。」
思いつめたような神妙な面持ちでのこの疑問を発したアスランだったのに、キラのこの言葉に、次のカットであっさり頷くアスランとディアッカだったのには、正直
『へ?(はやっ!)』と思った私だった(笑) 
ま、カガリには「答えはでているのかもしれない」と言ったアスランであり、今までの苦悩を考えれば、そもそも選択の余地などないわけで、既に決めていたことだとは思うけど(笑) ここは小説でこんな風に補足されていた。

そうか---。(とアスランは気づいた) 迷って、いいのか。道がまだぼんやりとしか見えなくても、手探りで進めばいい。今日答えが出なくても、明日にはわかるかもしれない。

やっぱり、ここは新らたなる苦悩の始まりでもあるアスランの原点に他ならない。(結局いつだってここに戻ってくるのだから)
しかし、それと同時にちゃーんとここで「迷ってもいいものだ」と結論付けているのになぁ。それもかなり前向きに。
とはいえ、”迷いを悟る”という事は本来ならありえないこと。”悟る”とは迷いがないことだから。・・・だからこの次に足を踏み入れてしまった迷宮では”迷い→割り切る”へと変化させてしまったわけで、これはこれで仕方が無かったのかもしれない。それで原点に返るのにも時間が掛かってしまったんだろうなぁ(泣)

「・・でも、まだ見つからない」
”何と戦わなければならなかったのか?”という疑問をいつまでも解決できず、DESTINY-8話にてアスランがキラに洩らした弱音。
DESTINYから観はじめた私にとって、ここの場面が決定打だった。
”いったいこのひとは、何をそんなに背負ってしまっているのか?” とにかくこの人の苦悩の発端を知りたい。そう思ってSEEDの世界への逆戻りを決めた。そしてそのまま見事にアスランにハマッタ(爆)
SEEDの主役はずっとアスランだった(笑)。とにかくアスランの視点で見た。だから死闘の果てのキラとアスランの再会→共闘はとてつもなく嬉しいエピソードであり大好きだ。
同時に”何と戦わなければならないのか”という問いは、”望む事、出来る事、すべき事”というカガリの言葉と共に、現実においての私自身にもそのまま当てはまり、それを深く考えていくことの切っ掛けになったという意味では、私にとっても別な意味での原点となってしまった(笑)

アスランにも、この時点でわかったことは、ある。
”こんな事はもう終わらせなければならない”ということであり、”引き金をひく数多のものを止めなければならない”ということ。
それが、たとえ何か大切なものを犠牲にしなければならないとしても、真に守るべきもの、想いを守るためにはそれと、その人達とも戦わなければならない、ということ。

「みんな夢が同じだといいのにね」
議長の思惑を阻止すべく月へと向かう前夜、アークエンジェルの甲板で語り合うキラとアスラン。その時のキラの言葉に答えるアスラン。
「いや、同じなんだ、たぶん。でも、それを知らないんだ、俺たちみんな。」
「知らない」ということをアスランは、すくなくともSEEDでのこの時点で「知った」のだと私は思っている。(やっぱりちょっと忘れちゃったりするけど)
”夢は同じ” 本当はアスランはキラ以上に実感として、このことをより強く感じていたはずだと思う。接してきた人の数や体験や経験は、どう考えたってキラよりアスランのほうが豊富なのだから。こういったものは個人の能力云々ではない。
そもそも身近な仲間を守るためにたまたま戦いに身を投じることになったキラと、はじめから多くのプラントの人々を理不尽な殺戮から守るためにと軍に志願したアスランとでは大きく違う。
見ている(見ていた)世界の大きさが、そのまま闇の大きさに比例し、その分の様々な思惑や想いや雑音に翻弄され、多くの言葉を聞き過ぎてしまったのがアスランではないか?結果、アスランがSEEDでの原点へたどり着くのを遅らせてしまった、ということではないだろうか。

全ての人の意見を反映させるシステムなど皆無。
では何処に基準を置くのか?何を優先とするのか?何を生かして何を切り捨てるのか? それ以前に全てを汲み取ることは本当に出来ないのだろうか?やる前から不可能だと決めてしまってはいないか?けれど果たして本当に出来るのか?そのリスクは?
真に上にたつものが陥る苦悩。
思案に思案を重ね、なんとか可能な限り全てを救いたいと思うアスランではあるだろう。
それでもDESTINYでいえば”割り切る”ということは、上にたつものとして確かに必要であることは間違いない。無鉄砲もギャンブルも時にはハッタリも有りだと思う。けれど”結果オーライ”では済まされないのが責任者。
ここがアスランとキラで決定的に違うところ。
”理性の人と本能の人”、”思考の人と直感の人” まったく、よく言ったものだ(笑)
その差異はずっとアスランとキラの個性として残り続け、おそらく、いずれ再び別の道を歩むかもしれないという可能性を秘めている。それは”敵となる”という意味ではなく、目指す未来は同じでも行き着く先は同じでも、同じ道のりを歩むかどうかはわからないということ。
(※ここでの考察は制作者の意図やメッセージとの対比をほとんどさせていないけれど、監督がインタヴュー内で話していたことは、このような意味なのではないか?と思う部分になります)

キラと共に、志を同じくする者達と共にアークエンジェルで宇宙へとあがる決心をするアスラン。
守るべき理念を貫くため、想いを継ぐ者としてカガリに末を託し、悪しき世界に国が利用されることがないように愛する国を、自身を焼くウズミ。

私としては、やっぱりウズミ様にはカガリの為に生きていて欲しかった。せめてひとりで立てるようになるまでは。
そして、デュランダル議長のアスラン(アレックス)への言葉。
それこそを、為政者であり父親でもあるという立場の、そんな”ウズミ様からアスランへ”と贈って欲しい言葉だったよなぁーととても悔しく思う私なのだった。

と同時に
『生き恥を晒している、と世間に言われようとも、もし、生きてさえいてくれれば、再び混沌とした世界が繰り返されることもなかっただろうに・・・』なんてね。
しかしこちらは完全タラレバの世界。まったく無意味なものでしかない。

それでもあまたの苦難を乗越えて、やっと選んだ未来を進もうとしている現在の彼らであり、とにかく進みだしたその未来を、映画で見せてもらおうではないか!(出来ることなら、幸せな一コマがほしい・・・)

思い入れが特に強い部分でもあり、2回シリーズにしてもまだ長い。
お付き合いしてくださった方に一言。

「お疲れ様でした。m(__)m」

« 今、望む世界への旅立ち(1) | トップページ | カガリ »