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2006年5月11日 (木)

Turning Point

CE71-5月5日「オペレーションスピットブレイク」発動。
クライン邸にてその事態を知ったキラは地球へ戻る決意をする。
何故?とラクスに問われ、
「何もできないからと言って、何もしなければ、もっと何もできない。何と戦わなければならないのか、少し分った気がする」と返すキラ。

アスランとの死闘がキラを大きく成長させた。
「戦いたくなんかない」といいながら、「戦わなくちゃ守れない」と戦い”敵”を撃ち続けてきた。それでも最も戦いたくない、撃ちたくない”友”である”敵”とは決して本気で撃ち合うことなどないという甘えを持っていた。もうひとりの大切な仲間を”友である敵”によって撃ち落された時、そんな甘えた思いは木っ端微塵に砕け散る。憎悪のままに戦い、挙句、自分自身がその”敵”に撃たれる、という皮肉な結果を招くことになった。
私怨---。
「戦争」という巨大なシステムは知らないもの同士、”敵”であるモノとの戦い。けれど殺し合いとその結果は「個」というレベルまでブレイクダウンする。
個人レベルでの憎しみ=私怨は復讐を促し、敵であるモノと同じく、復讐に対して報復で返り撃つ。お互いがお互いに殺戮の限りを尽くしあう。
憎悪に染まった個の集団である組織はいつしか”大義”によって”正義”を見失う。
多大な犠牲を払ってでも、敵である全てを滅ぼせば、全て終わると履き違える。自らも”敵”であるモノ達から”敵”として排除されるべき存在であることから目を背け、全てが滅びた時、己にも何も残らないということを理解しない。
戦いは(憎しみは)何も生まない。ただ滅びるのみ。

それをいち早くから危惧し、広がり続ける連鎖を憂い、和平への道を求めた続けたのがクライン議長を中心とした穏健派(所謂クライン派)であり、その姿を見続けたラクス。
そして、戦いを止めるために今度こそ”真の戦い”に挑む決意をするキラ。
だからこそキラに”フリーダム”を託すラクス。「思いだけでも、力だけでもだめなのです」と。


CE71-5月11日”ホワイトシンフォニー”に於けるアスランとラクスの会見。
おそらくラクスの希望による、ラクスによって計られた会見であり、ラクスのアスランに対する最後通告とも成り得た事実を告げるだけの会見。

戦争のなかで敵対してしまった友との戦いが、私怨からの殺し合いに発展し、ついに”敵”として討ち果たしたとはいえ、そこに残されたものは痛みのみ。
既にアスランも、戦争が非人道的行為であること、組織命令という不条理さを感じてはいたが、立場的な束縛から解放されることはできないでいた。
どんなに理不尽だと思っても、命令に背くことは間違っていることと、何においても誠実で真面目なアスランは、なんとか(自分たちの)ルールの範囲内で可能な限り良い方向に事を納めたいという自己中心的とも思える願望で埋め尽くされ、視野が狭まってしまっていることにすら気が付かない状態。
アスランはこの時までずっと「ザフトのアスラン・ザラ」であり続けていたのだから。

ラクスの言葉はいつも、ただ事実を告げるもの。
キラが生きているということ。
フリーダムの奪取は、国を裏切る(敵対する為の)ものではなく、世界の為に一番必要としている者に託した、ということであり、それが”キラ・ヤマト”だったという事実。
そのキラはフリーダムと共に地球に降下したということ。
自分は”キラと”志を同じくする者だということ。
更に「ザフトのアスラン・ザラ」は組織の中では単なる意思を持たない駒でしかなという事実を最も適切且つ簡単な言葉で突きつける。
そこには「今ここに在る、あなたは誰ですか?」というメッセージも込められている。
何も言わず、聞かず、答えを求めず、その場を立ち去るラクスは「結論を決めるのはあなたです」と無言で語る。
「”お友達”ともお話になられては?」
”アスラン”という人物を良く知るラクスには、「あなたは誰?」という問いかけに対する、アスランが行き着くであろう結論に確信を持っていたに違いない。だから「キラはお友達」とあえて表現するラクス。

ラクスの突き放すかのようなアスランへの一喝。そこに込められた温かいメッセージをしっかり受け止めるアスラン。
見失いかけていたものを、認めたくなかったものを事実として受け入れ、見えていなかった、見ようとしていなかった部分が、まるで霧が晴れるように見え始めるアスランだろう。
この日の、この時の出来事は、まだまだ手探りではあれど、アスランに今までとは違う一歩を踏み出すための勇気を与えたことだろう。
そして、それがそのままアスランの”大いなる決断”をもたらすことへの布石となるわけで、やはりラクスはいつだってアスランの”turning point”に関わる大切な存在だといえる。

デュランダル議長にいいように手のひらの上を転がされて傷心のアスランに、やはり「それを決めるのもあなたですわ」と再び一喝するのがラクス。
でも今度のラクスは「アスランでしょう?」と”ただのアスラン”である事を肯定する。
「自分で決めろ」と甘えを許さない言いようは前回と同じようでいて実は微妙に違うニュアンスを含む。
アスランが今、何を見失ってしまったのかをきちんと理解した上で言葉を選んでいるのだと思う。そこに憐れみは必要ないと、アスランを良く知るからこそ発することが出来るというもの。
憐れまない言葉だからこそアスランの目を覚まし、彼女(と彼)の思いは伝わり、アスランは言葉に込められた自分に対する彼女の信認と信頼と優しさを感じ取ることができ、素直にその言葉を心に響かせ吸収することができるのだと思う。
とはいえ、こう毎度のこととなると、彼女らに頭が上がらなくなりそうではあるが(^^;)
理性と本能ではどうしたって本能が勝るわけで、天才肌と秀才肌では最終的着地点は一緒でも瞬発力の違いは仕方が無いだろうな。
決してアスランが劣っているわけでもなんでもないのだけど、ただただ相手が悪い(笑)
実際、日常生活においては、どう考えてたって”不思議ちゃんキララク”に一般的な生活能力はない(と思う)。全てにおいて完璧な人間などいやしないのだということであり、カガリも含め、この4人はこれからずっとこんな感じで生きていくのだろうと思う。(思いたい)

しかし・・アスランがラクスのたったあれだけの言葉で、本当にそれだけの内容を汲み取っているのかどうか・・・?
アスランのその後の行動からそれは間違いないとは思うけど、一瞬にして理解できちゃうのは”聡明なアスラン”故のなせる業であり、実のところ、アスランも他人には理解しがたい不思議ちゃんたちの言動を(唯一)理解できる特別な能力を持っているエスパーなのかもしれないね(笑)

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