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2006年6月29日 (木)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-序章-

何事も、当たり前だと思っていることの理由を説明することはとても難しい。
結果のみ、それが当たり前というもの。普段はそれだけで十分だと思っているから、「理屈じゃないんだよっ」という感じになってしまう。

「なぜ海は青いの?海の水は透明なのに。」
「それは空の色が海に反射して青く見えているだけだからね。」
「えーっ、つまんない。じゃあ、なんで空は青いの?なんで、なんで?」
「・・・・(ぐっ)。」

子供に突然聞かれて、それなりに理由はわかっていても、簡単にわかるように説明してあげるにはどうしたら良いものやらと戸惑ってしまう。そもそも明確に答えられる自信もなかったりで、どことなくオロオロとしてしまうような感じに陥ってしまうことはよくある。

「どうして海の水はしょっぱいの?」  というのならば、

「それはね、海は悲しい人の涙が集まってできているからだよ。」

と詩人のようなことでも言って煙に巻くことも出来ようというものだが、それはともかく、本気で“空が青い理由”を説明するには科学的な根拠から、論理的に説明してあげるのがベストとなるはず。

「それはね、太陽の光が大気を通過するとき、大気中の小さな粒子とぶつかり合い“レイニー錯乱”という現象を起こすことによって、青や紫などの波長の短いものだけが人間の目に届く為であり、”レイニー錯乱”とは・・・・・」

しかしそれでは、
「そんなの、わかんないよぉー」 となるのは関の山であり、そして結局、
「わかんなくてもいいの。”空は青い”って昔から決まってるんだから!」 
で落ち着くんだ。

いま私がここでやろうとしていることは、どこかそれに似ていると思った。
“アスカガ”って私にとってまさにそういうものだった。説明なんか要らない。つまり“当たり前”ということ。それでいいと思っていたし、今でもその考え方はとほとんど変わらない。
けれどその根拠、根底になる部分を、言うなればその漠然とした理由をきちっとした形に捉え直したことがあったか?しっかりしているか?といえばそうでもないかも、という気がしてきた。(・・・・・いや、そこまで言うとちょっと語弊はあるが)

ちょっと纏めてみようかな?と思えば、まずは「アスランにとって、カガリって特別なんだよなぁ。」というのが頭に浮かぶ。けど、そこから先が 「・・・・・」。
この“特別“が曲者。もうそこからして理屈じゃないんだよ。まるで”本当に空が青い”かのように。
気を取り直して「アスランにとってカガリってどんなコだろう?何がどう好きなんだろう?」と考えてみる。
「・・・・・?あれぇ??」
もちろん、アスランにとってカガリとは「愛する女性として、唯一無二の存在」であることは、ずっと変わらなく思っている。なのだけど、気持ちとか、想いとか、性格とか、志とか、頑張る姿とか、強さ、弱さetc....そんなカガリにアスランが惹かれた理由のようなものとかの、言うまでもないありきたりなことばかりは思い浮かぶのだけど、肝心なもっと単純な何かがすっと出てこない。
そりゃそうだ、どこにも描かれていないからね。確信が無い。想像の世界。
もし、コレに対しての答えにあたる、簡潔で、明確な、しかも納得ができるご意見をお持ちの方がいらしたならば、参考までに是非お聞かせ願いたい。実際、この質問をアスカガ組の特にカガリ視点にお強い方にも投げかけて意見交換などもしてみた。そのなかで「ん?」とか「へぇ」とか「いやいや」とか「なるほど」とか、霞が晴れたような気分になるところはいくつかある。が、結論はまだない、といっても良さそうだ。
だから、いまは結論を急がずに、ちょっとアスランから離れて、私のイメージする「カガリ」から振り返ってみたいと思う。

つづく・・・

2006年6月19日 (月)

アスランからのラブレター?

車以外で音楽を聴くことがないので”DESTINY”が終わってからはSEED関係のエンドレスになりがち(沢山あるから一巡も大変w)。もともと(古いものはともかく)あまり音楽関係には詳しくないし(あまり興味もない)ネットでDLして購入・・とかもしたことがなかったりする(^^;)
なのだけど、ここでいろいろ書き連ねたり、作品を振り返ったりしていて、ふと去年のことを思い出した。それで久しぶりにCDを引っ張り出して聴いてみた。

もとオフコースの小田和正さん

結構好き。去年は小田さんの追っかけに近いファンである友達に付き合って仙台くんだりまで車を数時間転がしてコンサートを観に行ったくらい。(とても良かった!)
そのコンサートにあわせて発売されたのが、5年ぶりのアルバム「そうかな」(2005/6/15発売) 
そのうちのひとつに、まるで”アスランからカガリに宛てたラブレター”のような曲がある。・・・『たしかなこと』
初めて聴いたのはちょうど去年の今ごろ”アスラン脱走”の頃。だからアスランがオーブを出てザフトに復隊する時の気持ちを綴ったもののようにきこえていた。
久しぶりに聴いてみて、こんどはまったく同じように”FINALPLUS”のアスカガハグのときに思ったことではないかと思えるし、今もきっとそんな風に思っているのではないかという気がしている。いいんだ、これが。
そして、実はもう一曲。こちらは”アスラン心の中”・・・『そして今も』 こっちはこっちでまたいいのよ。

どちらの曲も、本当に”歌詞の一部”というのではなく、全てがまったくそのまんま。(無関係なのにすごい・・)
小田さんの澄んだ歌声が心に響くし、それだけでも素敵な曲たち。
「そうかな」の収録曲は全部が何かのタイアップ曲(まるでベスト版)。きっとどこかで聴いたことがあるのではないかと思う。だからということではないけれど、とにかく全部が良いし、気になった方はぜひ試聴してみてください。きっと損はしません。
↓↓↓(参考まで)
「odakazumasa.xls」をダウンロード  

そういえば、お馴染みさんのところで以前「マイ・アスカガソング」に関する記事を拝見しているし、またつい先日は久々に買ったCDのある曲がカガリのイメージ!という記事をべつのお馴染みさんで拝見。みんな同じなんだね。ついついそんな風に聴いちゃうんだわ(笑)
しかし...どこまでも、あすらんなのだなぁ、私って(^^;)

追記:”see-saw”の曲を聴いていて思ったのだけど、感じがユーミンに似てる気がするのは私だけかな?軽快だったり、エキゾチックだったり、しっとりしていたりする曲調もそうだし、歌い方なんかも。

2006年6月16日 (金)

「ザラ」の呪縛

いつまでもアスランを縛り続けるものが“父親”。
その呪縛からは解き放たれても、心の傷は一生残り続けることと思う。

まるで描かれていないアスランとパトリックの親子らしい光景。
唯一感じられるのが“ザラ家”としての写真。幼少のアスランとレノアママ2人のもの。
私はこの写真の撮影者はパトリックだと思っている。いつも仕事で多忙な両親とはほとんど暮らしていないアスラン。それでも家族が集った“幸せなある日”の一枚の写真なのだと信じている。

捨て身で宇宙に上がったアークエンジェル。自らザフトを離れたアスランに対する第1関門がムウによる意思確認。
「覚悟はあるのか?」
状況によってはザフト、プラントを、そのトップである父を敵にして戦わなければならない。納得したつもりでも、割り切れているのか?といわれればそう簡単に割り切れているとは言えないし、実際、割り切れるものでもない。
「きみは、パトリック・ザラの息子なんだろ?」
気持ちがどうであれ、これは抗いようの無い事実。キラとは違う。“ザフトの軍人”ということでは同じ立場のディアッカともまた違う、“血縁”という絆。
「ザラ」という名前の呪縛。パトリックとレノアの息子として生を受けたその瞬間からの祝いであり呪い。それが名前というもの。

「名はその存在を示すものだ。ならば、もし、それが偽りだったとしたら? それはその存在そのものも偽り・・・ということになるのかな?」
アレックスに対して放たれたデュランダル議長の言葉。
「名が偽りなら・・」おいおい、シャアがそれを言うかっ!てなもんだ。・・・・あ、イヤ、それは無関係だから・・^^)

私はそうとは思っていない。“アレックス・ディノ”という人物は確かに存在するのだから。
ただ、“アレックス・ディノ“は”アスラン・ザラ“ではない、というだけのことであり、ひとりの人間が”アレックス・ディノ”でもありながら、“アスラン・ザラ”でもあるということでしかない。名前がどうであれ、仮にいくつあったとしてもその名を知る人の分だけその名の人物が“存在する”のは間違いないと思うから。(詭弁に聞こえるかも知れないけれど。)
でも、“パトリック・ザラの息子であるアスラン・ザラ”となると話は少し違ってくる。アスラン自身にとっては、当然自分以外の誰でもないということになるし、他の誰にとってもパトリックの息子は”アスラン”しかいない。となれば、アレックスがパトリックの息子であるとは必ずしも言えないし、となればその存在は偽りかもしれない。

議長の言葉は、アレックスの中のアスランを引き摺り出すためのもの。
パトリックの息子としてのアスランが父の呪縛で雁字搦めなのを知っての上で、
「ザラ議長はザラ議長、君は君だ。たとえ誰の息子であったとしてもね」なんてシャアシャアと言ってのける。さすがにシャアだ。(だぁかぁらぁ~^^;;)
議長に必要だったのは、ただのアスラン・ザラではなく、“パトリック・ザラの息子のアスラン・ザラ”でなくちゃならなかったんだね。(もちろんパイロットとしてのアスランではあるけれど)
議長の話はアスランゲットの為の茶番ではあったけど、発せられた言葉には頷けるし、何より、議長自身”人は自分以外の誰にもなれない”と痛感していたと思えるわけで、その言葉は真実だと今でも思ってはいる。けれど、今思えば話の全てがひとの弱みに付け込むようなものの言い様であり、これこそ詭弁だよなぁ、と思わずにいられない。ラクスのことにしたって「居ないんだから、仕方が無いじゃないか!」ってこっちは自己正当化。ミーアはミーアでしかない、ということは置き去りになっている。最初から矛盾だらけなんだよね議長って本当は。(なのに信じちゃった・・・泣)
本当はアスラン自身のことなんて、少しも理解なんてしていなかったのだね。(・・そんなギルに騙されてしまうなんて・・・ううっ)

ムウの意思確認に対して、「わからない」という正直な気持ちをそのまま告白するのがアスラン。常に物事への取り組みに対する誠実さを失わない。それでいながら、
「(よくわからないけれど)願う世界は”あなた方“と同じだと感じている」とのはっきりとした返答には、アスランの心からの真摯な言葉として誰しも感じることだろう。
“わからない”ということを、そのまま「わからない」と口にするのは意外に勇気がいること。“何がわからないのか”ということを正確に相手に伝えることもなかなか難しい。
ほんの短時間で、結論や意思をきちんと組み込んだ形で表現することができるアスランには、「・・・・しっかりしてるねぇ、きみは。キラとは大違いだ。」とムウが舌を巻くのは当然かもしれない。
アスランってやっぱすごいや。(ベタ褒めw)

とはいえ出した結論が、議長の、父の命令に背いていることを重々承知しているわけで、それでも一分可能性を胸に、”父に会って話したい“と思うのもやっぱりアスランなんだよね。どんなに気持ちがすれ違ってしまっていても父親は父親。そして息子は息子。“自分”が父を止めたい。それがアスランの最大で最終の望みだったのではないかな。
だから、アスランが話したい相手はあくまでも”父親“だった。それは交渉ではない。
最高評議会議長の地位に在る人物がたまたま父親だった、ということになるわけだ。とはいっても、戦争を終わらせることができる可能性のある人物のひとりだということには違いなく、”父親“にこだわる理由として決して外せないものではあるけれど。

お互いに腹を割って納得がいくまで話し合い、もし心が通わすことができたならばこんなに嬉しいことはない。息子としても、部下としても。また、たとえ聞き入れてもらえなくとも”息子として“自分の意思だけはきちんと伝えたい。その上で戦う覚悟を示したい。どこまでも筋を通そうとするのがアスランだ。

残念ながら本編の中で、”父子の絆“は全く感じられない。せめて”ムウとアルダの肩車の写真”のようなものが一枚でもあれば、と思ってしまう。(だからカメラマン:パトリック願望)
それでも私は、アスランは決して父親を憎んだりしていなかったと思うし、むしろ尊敬していたと思っている。(そうでなければあんなにいい子に育つはずがないでしょ。)パトリックにしても、アスランを誇りに思っていたに違いない。その優秀さは誰もが認めるものであり、自慢の息子。そして何より愛するレノアとの子供。・・・・でもね、悲しいかなパトリックの全てはレノアだけだったのかもしれない。
パトリックを狂わせたのは、ユニウス7でレノアを失ったこと。彼の時間はそこで止まってしまった。パトリックは、そもそも今まで何のために力を尽くしてきたのかをその時に見失ってしまったのではないだろうか。コーディネイターである自分たち家族が幸せに、安心して暮らせる世界が欲しくて、力の限りを尽くしてきたパトリック。その最終到達点をなくしてしまっては気持ちの行き場がない。全てはそこから始まり、そしてずっとそのままとなる。
「自分はどうあっても幸せにはなれない。」と結論付けてしまったのだから、希望を打ち砕いたモノには憎悪だけが沸き起こる。報復あるのみ。そうなってしまえば、それ以外の事はどうでも良くなった、と言っても過言ではないと思う。アスランの事も含めて。
アスランがね、”女の子”だったら...もしかしたら違ったのかもしれない。コレは言っても仕方がないことだけど。

アスランは、パトリックの異変にもっと早く気がつくべきだったんだね。こんな状況になってもまだそこまでは気がついていない。(それは無理もない話だし、たとえ気がついたとしても、何ができるか?っていえば、何もできない気はするけど)
だから「もしかしたら話せばわかってもらえるかもしれない」(願望)、または「話して分ってもらわなければならない」(使命)のように思ってしまったんだね。
全てをやっと理解した時はもう手遅れになってしまっていた。
それを理解させたものが、完全に正気を失い<ジェネシス>を撃ちまくる父の姿であり、最期の時まで敵を全て滅ぼすことだけに執念を燃やし続けた父の言葉だった、というのがなんとも切なく苦々しい。
「こんなことをしても、戻るものなど何もないのに・・・」
レノアを失った悲しみと怒りだけがパトリックを動かしていたと知ったアスランの気持ちはどれほどのものだっただろうか。それなのにいつまでの父の残した負債を背負い続けるなんて辛すぎるよ、アスラン。
けど、一生背負っていくんだよね、アスランはきっと。それでもそれを必ずプラスの方向へと転換させるアスランだと、私は信じる。

プラントへ戻るにあたって、もしもの時は“ジャスティス”をディアッカに託そうとしたり、シャトルでプラントに向かう途中でキラに戻るように言ったりしたのは、最悪の事態になれば“刺し違える覚悟“と取れなくはない。けど、やっぱり私はこの時点でアスランは心底そんな風に思っていないと感じる。父を信じる心を持つ彼の”甘さ“がそのような言動をさせたのではないかと思っている。
キラに「君はまだ死ねない。わかってるよね。・・君も、僕もまだ死ねないんだ。」
フリーダム、ジャスティスのパイロットとしての自分達は今は欠くことのできない戦力であるという意味を含んだ言葉であり、アスランへの思いやりが詰まった言葉。ツーカーな二人。

「・・・まだ?」
「うん・・・まだ。」 いつ見てもここでの二人の友情には泣けてくる。

キラの戒めもあるけれど、やっぱりアスランが本気で死を覚悟していたとは思えない私。
アスランはいつだって“死ぬ気”で戦に挑んでいるとは思うけれど、いつだって“死ぬ事”なんて微塵も考えてないと思っているから。ある意味自意識過剰であり、負けず嫌いなアスランだもの。
スーツCD5でのアスランとイザークとのいざこざ。
MS戦のシュミレーション時に「ドサクサにまぎれて後ろからアスランを撃つなよ」とディアッカにチャチャを入れられて、「撃つなら正々堂々と正面から撃つ!」と言う紳士的?なイザーク。それに対して「俺は友軍だ」と言いながらも「そもそも正面から狙われて撃たれるもんか」と言い返すアスランだったりするわけでしょう?(笑) 自信満々。

<ジェネシス>での自爆は、まず時間がなく、方法もそれ以外の選択肢がなかったから。
大勢の人々を死に至らしめる大量破壊兵器を平気で撃つまでになっていた父を止めることすらできなかった報いとして、自分の身を呈してでも兵器を破壊する。それが息子としての当然の義務だと思い込んでしまっていただけのこと。
カガリに「逃げるな。生きる方が戦いだ」と言われた時も、その瞬間までこれは任務であり、果たすべき義務として、とにかく<ジェネシス>を破壊することだけを考えていたのだと思う。言われるまで「逃げている」なんてひとっつも考えていなかったのではないかなぁ。死ぬことが楽になること、との意識はまったくなかったと思う。
思うことがあるとしたらカガリのこと。中途半端に巻き込みたくなかったという感じかな?

もともと、最後(だと思われる)出撃時も、戦い自体は命懸けではあるけれど、生きて戻ることを前提に最後の最後まで力を尽くすつもりでいたのだと私は思っている。ただし状況によっては命を投げ打ってでもすべき事を遣り通す覚悟だったとは思うけどね。
キラの場合、ラクスとの別れ方には「うん」という言葉とは裏腹な暗い面影がよぎっているし、振り向かないキラ、だったことだしね。アスランにしても、人によって解釈が違うところではありそう。

父の期待に応えられず、父の意思を継ぐことができなかった自分。また父の所業の償うこともできない自分。どんなに遠い存在だったとしても、アスランにとってパトリックはザラ議長である前に”父親”だった。
やっと世界からその影が薄らいだ頃になって、その父を”正しき者”と、その父の思想が”正しき事”と奉る輩の登場には、アスランが大きく動揺してしまうのは当然のこと。心穏やかでいられるはずがない。
アスランは強いけど、強い分だけ脆い。
自分で決めたことには強い信念を持っているから、結果それが正しくても、そうでなくても、敗れた時はポッキリと折れてしまう。(某金髪のDさんと同様) 
でもそこで腐るか腐らないかといえば、腐らないと思う。が、暴走の危険性が・・(大汗)
でも、「もう大丈夫だ」とアスランは言っているし、私も今のアスランならもう大丈夫だと思っている。うわべだけの言葉に踊らされることはもうないだろうと思う。また、人がなんて言おうと、事実がなんであろうと、もう二度と自分は自分であるということを見失ったりはしないと信じている。

DESTINYでのアスランは、デュランダル議長によって踊らされ、力のないオーブでのアレックスから、再びザフトに戻ってアスラン・ザラとして復活し、力を得た。結局、議長の真の思惑を知ることとなり、再度ザフトを抜け出し、志を同じくする者たちと共に戦うことになった。
某”どっちつかずのアスラン”は、その理由を知らず、ただ客観的に見たアスラン・ザラの行動だけに対する印象なんだと思う。隠れた真実ではなく、事実だけでの評価。確かに事実だけに否定はできない。
けれど踊らされていたとはいえ、その全てが無意味だったかというと絶対にそんなことはないし、アスランがそれを後悔しているかといえば、していないと思う(全部じゃないけど)。
アスランは、「人は変われる。間違いを正すことができる。」ということを既に学習していた。再び迷宮をさまようことになったけど、それだけ自分を見つめなおすことができたはず。それがあって初めて見えた”自分の真実”。
「あなたも変わったでしょう?」タリアに言われたキツイ一言。
その時の結果を考えると”変わってしまった”ことが間違いだったかのような、罪悪感を持たなければならないような感覚になってしまう。そんなことはないのに。
そのとおりで確かにアスランは変わっていた。でもそれはあたりまえ。変わることが必ずしも成長ではないけれど、成長とは変わること。

「変わらずに生きるためには、変わらなければならない」という言葉がある。
アスランの行動は正にこれにあたる。
ザフトへの復帰は、「何もせずに後悔するなら、何かをして後悔するほうがいい」と自ら機会を作り出し、自ら実行に移した出来事。自らを変えるために。
非難されるどころか、逆にすごいことだよね。本来なら。

切掛けは確かに“父親の言葉“に由来するものだったけれど、その先は自分に嘘をつかずに、悔いを残さないためにとアスラン自身が決めたことであったはず。失敗することもあるけど、失敗の経験も全て次なるステップへの糧に変えるられるのがアスランだもの。
「ザラ」の名の呪縛は永遠に続く。けれど、そこに悲壮はあれど悲観はもうないよね。
アスランは、間違いを間違いだと認め、間違いを正すことができる人だもの、もう大丈夫。何度間違ったっていいじゃない。取り返しのつかないところでまで進んでしまわなければ。これからだって、思いとは裏腹にまた道を誤ることだってあるかも知れない。それを繰り返しながらも本当に望む道を選び、切り開ていけるはず。自分の為に、みんなの為にね。
「何とどう戦うのか」
その望む道も、ちゃんと見え始めてきたんだよね。・・・私の思う、”今のアスラン”には。
そんなアスランには、とにかくどんなことがあっても自らを恥じることなく、信じる道を突き進んでいってもらいたい。そして・・・

何が起こったって、暴走なんかするもんか~!
もう”呪縛”だなどと”何かのせい”なんかにするもんか~!

声を大にして叫ばしてもらいましょう(笑)

反省追記:
今回は都合のよい解釈満載。願望色が特に強し。論点も途中で変わってる?
まぁー、自己満足記事なんで、お許しを。

2006年6月 7日 (水)

「ルージュの通信」

戦わない世界の為の戦いに挑むために宇宙へと旅立ったアークエンジュル・クサナギ御一行様。 ここから”SEED”としてはクライマックスに向けてシビアな展開が続くのだけど、そんな中での”小説版”だけにしか書かれていないエピソードで好きなものがある。

「カガリの”ルージュ”慣し運転のエピソード」
組み立てあがったばかりのルージュの試運転をかねた、カガリとアスランのミニデート(?)・・残念ながらオーブ3人娘のおまけ付き(笑)

少ーし余裕がある時期・・・アズラエルがNジャマーキャンセラーのデータを手に入れ、それから核ミサイルが完成するまでの一次的小康状態の時期になる。
MSの実践でカガリにちょっぴり先輩風を吹かせているオーブ3人娘が、カガリをアスランのことでおちょくる、そんなお話。 
本編では、最後の最後までアスランはルージュの存在を知らないし、カガリの出撃も寝耳に水なわけで、そこまつわる萌えエピソードは確定であり、公式的には動かしようがないので、あくまでも”小説版”としてのお話。
よく考えれば、MS若葉のカガリが試運転も慣らし運転も無く戦場に出撃なんてことは普通はあり得ないわけで、エピソードとしてはあっても問題はないと思う。(萌えエピソードの若干の変更はよきなくされるが) けど、やっぱりこの時期の本編に挿入するには軽すぎるし、緊迫した流れを分断してしまいかねない。だからなくて正解。
・・・・・・でもでも、勿体無いと思ってしまう(くどいっw)

ここでのカガリがすごく可愛い。そしてアスランがね、またいいんだなぁー。

カガリの操縦は、初心者の割にはそれなりの動きを見せ、模擬戦では既に実戦経験のあるアサギに対してほぼ互角か、ひょっとするとひょっとするほど。M1とルージュでは機体の性能がそもそも違うということを差し引いてもアスランに、
「---へぇ、意外とやるもんだな。」と唸らちゃったりもする。
そんな矢先に詰めの甘さから(調子にのって?)体勢を崩し、無重力での慣性の法則からクルクル回っちゃったりして、折角のアスランの高評価もお茶も濁す結果になるのだけどね(笑) 苦笑いのアスランからフォローして貰って「大丈夫か?」なんて言われるバツが悪いカガリだ。

《・・あ、ありがと。》 のやり取りからがもー大変。
<キャーっ!>
<やだやだぁ~もう!みせつけてくれちゃってぇ~>
<私もこんな、いつもサポートしてくれるステキなカレがほしぃ~>
《うるさい!おまえらぁ》
<だめですよぉ、カガリさま、そんな乱暴な口きいちゃ>
<折角つかまえたカレの前では、もうしばらく猫かぶってないとぉ~>
<アスランさぁん!こんな粗雑でふつつかな女らしさのカケラもない姫ですけどぉ、末永くお願いしますねっ!>
《なんで私がおまえらにお願いされきゃならないんだよ!》
<だからぁ、カレの前ではもっと可愛くふるまわなきゃ!>
<あーでもカガリさまにはどのみち無理かー。あはは>
<アスランさぁん、もしカガリさまが嫌になったらいつでも私に・・>
《・・おまえら、あとでぜったい泣かす!》


などという、きゃぴきゃぴの会話が繰り広げられるわけであり、突然自分までも引き合いに出されしまい、とにかく”かしまし娘”たちに戸惑いまくりなアスラン。
カガリの慌て振りも、置かれている自分の立場も、分かっているのかいないのか、
「。。カガリ・・・・・模擬戦はどうしたんだ・・・・?」

もうね、あすらんの、どこまでも本来の目的を忘れない真面目っぷりと、話についていけない朴念仁さ加減がたまらなくツボ(笑)。

この先の3人娘の運命を考えると実に切なくなるエピソードではあるけれど、
「いーよなぁ、こーゆーのも」と思ったりもする。
同姓の同年代の友達と楽しく会話する普通の女の子なカガリ。普段はとほんど見られないカガリの姿。
このときは目を白黒させるだけのアスランだけど、いつか微笑ましいエピソードのひとつとしてカガリと懐かしく思い出す日があったらいいなー、なんて思ったりして・・・・。
(妄想わーるど)

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