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2006年6月16日 (金)

「ザラ」の呪縛

いつまでもアスランを縛り続けるものが“父親”。
その呪縛からは解き放たれても、心の傷は一生残り続けることと思う。

まるで描かれていないアスランとパトリックの親子らしい光景。
唯一感じられるのが“ザラ家”としての写真。幼少のアスランとレノアママ2人のもの。
私はこの写真の撮影者はパトリックだと思っている。いつも仕事で多忙な両親とはほとんど暮らしていないアスラン。それでも家族が集った“幸せなある日”の一枚の写真なのだと信じている。

捨て身で宇宙に上がったアークエンジェル。自らザフトを離れたアスランに対する第1関門がムウによる意思確認。
「覚悟はあるのか?」
状況によってはザフト、プラントを、そのトップである父を敵にして戦わなければならない。納得したつもりでも、割り切れているのか?といわれればそう簡単に割り切れているとは言えないし、実際、割り切れるものでもない。
「きみは、パトリック・ザラの息子なんだろ?」
気持ちがどうであれ、これは抗いようの無い事実。キラとは違う。“ザフトの軍人”ということでは同じ立場のディアッカともまた違う、“血縁”という絆。
「ザラ」という名前の呪縛。パトリックとレノアの息子として生を受けたその瞬間からの祝いであり呪い。それが名前というもの。

「名はその存在を示すものだ。ならば、もし、それが偽りだったとしたら? それはその存在そのものも偽り・・・ということになるのかな?」
アレックスに対して放たれたデュランダル議長の言葉。
「名が偽りなら・・」おいおい、シャアがそれを言うかっ!てなもんだ。・・・・あ、イヤ、それは無関係だから・・^^)

私はそうとは思っていない。“アレックス・ディノ”という人物は確かに存在するのだから。
ただ、“アレックス・ディノ“は”アスラン・ザラ“ではない、というだけのことであり、ひとりの人間が”アレックス・ディノ”でもありながら、“アスラン・ザラ”でもあるということでしかない。名前がどうであれ、仮にいくつあったとしてもその名を知る人の分だけその名の人物が“存在する”のは間違いないと思うから。(詭弁に聞こえるかも知れないけれど。)
でも、“パトリック・ザラの息子であるアスラン・ザラ”となると話は少し違ってくる。アスラン自身にとっては、当然自分以外の誰でもないということになるし、他の誰にとってもパトリックの息子は”アスラン”しかいない。となれば、アレックスがパトリックの息子であるとは必ずしも言えないし、となればその存在は偽りかもしれない。

議長の言葉は、アレックスの中のアスランを引き摺り出すためのもの。
パトリックの息子としてのアスランが父の呪縛で雁字搦めなのを知っての上で、
「ザラ議長はザラ議長、君は君だ。たとえ誰の息子であったとしてもね」なんてシャアシャアと言ってのける。さすがにシャアだ。(だぁかぁらぁ~^^;;)
議長に必要だったのは、ただのアスラン・ザラではなく、“パトリック・ザラの息子のアスラン・ザラ”でなくちゃならなかったんだね。(もちろんパイロットとしてのアスランではあるけれど)
議長の話はアスランゲットの為の茶番ではあったけど、発せられた言葉には頷けるし、何より、議長自身”人は自分以外の誰にもなれない”と痛感していたと思えるわけで、その言葉は真実だと今でも思ってはいる。けれど、今思えば話の全てがひとの弱みに付け込むようなものの言い様であり、これこそ詭弁だよなぁ、と思わずにいられない。ラクスのことにしたって「居ないんだから、仕方が無いじゃないか!」ってこっちは自己正当化。ミーアはミーアでしかない、ということは置き去りになっている。最初から矛盾だらけなんだよね議長って本当は。(なのに信じちゃった・・・泣)
本当はアスラン自身のことなんて、少しも理解なんてしていなかったのだね。(・・そんなギルに騙されてしまうなんて・・・ううっ)

ムウの意思確認に対して、「わからない」という正直な気持ちをそのまま告白するのがアスラン。常に物事への取り組みに対する誠実さを失わない。それでいながら、
「(よくわからないけれど)願う世界は”あなた方“と同じだと感じている」とのはっきりとした返答には、アスランの心からの真摯な言葉として誰しも感じることだろう。
“わからない”ということを、そのまま「わからない」と口にするのは意外に勇気がいること。“何がわからないのか”ということを正確に相手に伝えることもなかなか難しい。
ほんの短時間で、結論や意思をきちんと組み込んだ形で表現することができるアスランには、「・・・・しっかりしてるねぇ、きみは。キラとは大違いだ。」とムウが舌を巻くのは当然かもしれない。
アスランってやっぱすごいや。(ベタ褒めw)

とはいえ出した結論が、議長の、父の命令に背いていることを重々承知しているわけで、それでも一分可能性を胸に、”父に会って話したい“と思うのもやっぱりアスランなんだよね。どんなに気持ちがすれ違ってしまっていても父親は父親。そして息子は息子。“自分”が父を止めたい。それがアスランの最大で最終の望みだったのではないかな。
だから、アスランが話したい相手はあくまでも”父親“だった。それは交渉ではない。
最高評議会議長の地位に在る人物がたまたま父親だった、ということになるわけだ。とはいっても、戦争を終わらせることができる可能性のある人物のひとりだということには違いなく、”父親“にこだわる理由として決して外せないものではあるけれど。

お互いに腹を割って納得がいくまで話し合い、もし心が通わすことができたならばこんなに嬉しいことはない。息子としても、部下としても。また、たとえ聞き入れてもらえなくとも”息子として“自分の意思だけはきちんと伝えたい。その上で戦う覚悟を示したい。どこまでも筋を通そうとするのがアスランだ。

残念ながら本編の中で、”父子の絆“は全く感じられない。せめて”ムウとアルダの肩車の写真”のようなものが一枚でもあれば、と思ってしまう。(だからカメラマン:パトリック願望)
それでも私は、アスランは決して父親を憎んだりしていなかったと思うし、むしろ尊敬していたと思っている。(そうでなければあんなにいい子に育つはずがないでしょ。)パトリックにしても、アスランを誇りに思っていたに違いない。その優秀さは誰もが認めるものであり、自慢の息子。そして何より愛するレノアとの子供。・・・・でもね、悲しいかなパトリックの全てはレノアだけだったのかもしれない。
パトリックを狂わせたのは、ユニウス7でレノアを失ったこと。彼の時間はそこで止まってしまった。パトリックは、そもそも今まで何のために力を尽くしてきたのかをその時に見失ってしまったのではないだろうか。コーディネイターである自分たち家族が幸せに、安心して暮らせる世界が欲しくて、力の限りを尽くしてきたパトリック。その最終到達点をなくしてしまっては気持ちの行き場がない。全てはそこから始まり、そしてずっとそのままとなる。
「自分はどうあっても幸せにはなれない。」と結論付けてしまったのだから、希望を打ち砕いたモノには憎悪だけが沸き起こる。報復あるのみ。そうなってしまえば、それ以外の事はどうでも良くなった、と言っても過言ではないと思う。アスランの事も含めて。
アスランがね、”女の子”だったら...もしかしたら違ったのかもしれない。コレは言っても仕方がないことだけど。

アスランは、パトリックの異変にもっと早く気がつくべきだったんだね。こんな状況になってもまだそこまでは気がついていない。(それは無理もない話だし、たとえ気がついたとしても、何ができるか?っていえば、何もできない気はするけど)
だから「もしかしたら話せばわかってもらえるかもしれない」(願望)、または「話して分ってもらわなければならない」(使命)のように思ってしまったんだね。
全てをやっと理解した時はもう手遅れになってしまっていた。
それを理解させたものが、完全に正気を失い<ジェネシス>を撃ちまくる父の姿であり、最期の時まで敵を全て滅ぼすことだけに執念を燃やし続けた父の言葉だった、というのがなんとも切なく苦々しい。
「こんなことをしても、戻るものなど何もないのに・・・」
レノアを失った悲しみと怒りだけがパトリックを動かしていたと知ったアスランの気持ちはどれほどのものだっただろうか。それなのにいつまでの父の残した負債を背負い続けるなんて辛すぎるよ、アスラン。
けど、一生背負っていくんだよね、アスランはきっと。それでもそれを必ずプラスの方向へと転換させるアスランだと、私は信じる。

プラントへ戻るにあたって、もしもの時は“ジャスティス”をディアッカに託そうとしたり、シャトルでプラントに向かう途中でキラに戻るように言ったりしたのは、最悪の事態になれば“刺し違える覚悟“と取れなくはない。けど、やっぱり私はこの時点でアスランは心底そんな風に思っていないと感じる。父を信じる心を持つ彼の”甘さ“がそのような言動をさせたのではないかと思っている。
キラに「君はまだ死ねない。わかってるよね。・・君も、僕もまだ死ねないんだ。」
フリーダム、ジャスティスのパイロットとしての自分達は今は欠くことのできない戦力であるという意味を含んだ言葉であり、アスランへの思いやりが詰まった言葉。ツーカーな二人。

「・・・まだ?」
「うん・・・まだ。」 いつ見てもここでの二人の友情には泣けてくる。

キラの戒めもあるけれど、やっぱりアスランが本気で死を覚悟していたとは思えない私。
アスランはいつだって“死ぬ気”で戦に挑んでいるとは思うけれど、いつだって“死ぬ事”なんて微塵も考えてないと思っているから。ある意味自意識過剰であり、負けず嫌いなアスランだもの。
スーツCD5でのアスランとイザークとのいざこざ。
MS戦のシュミレーション時に「ドサクサにまぎれて後ろからアスランを撃つなよ」とディアッカにチャチャを入れられて、「撃つなら正々堂々と正面から撃つ!」と言う紳士的?なイザーク。それに対して「俺は友軍だ」と言いながらも「そもそも正面から狙われて撃たれるもんか」と言い返すアスランだったりするわけでしょう?(笑) 自信満々。

<ジェネシス>での自爆は、まず時間がなく、方法もそれ以外の選択肢がなかったから。
大勢の人々を死に至らしめる大量破壊兵器を平気で撃つまでになっていた父を止めることすらできなかった報いとして、自分の身を呈してでも兵器を破壊する。それが息子としての当然の義務だと思い込んでしまっていただけのこと。
カガリに「逃げるな。生きる方が戦いだ」と言われた時も、その瞬間までこれは任務であり、果たすべき義務として、とにかく<ジェネシス>を破壊することだけを考えていたのだと思う。言われるまで「逃げている」なんてひとっつも考えていなかったのではないかなぁ。死ぬことが楽になること、との意識はまったくなかったと思う。
思うことがあるとしたらカガリのこと。中途半端に巻き込みたくなかったという感じかな?

もともと、最後(だと思われる)出撃時も、戦い自体は命懸けではあるけれど、生きて戻ることを前提に最後の最後まで力を尽くすつもりでいたのだと私は思っている。ただし状況によっては命を投げ打ってでもすべき事を遣り通す覚悟だったとは思うけどね。
キラの場合、ラクスとの別れ方には「うん」という言葉とは裏腹な暗い面影がよぎっているし、振り向かないキラ、だったことだしね。アスランにしても、人によって解釈が違うところではありそう。

父の期待に応えられず、父の意思を継ぐことができなかった自分。また父の所業の償うこともできない自分。どんなに遠い存在だったとしても、アスランにとってパトリックはザラ議長である前に”父親”だった。
やっと世界からその影が薄らいだ頃になって、その父を”正しき者”と、その父の思想が”正しき事”と奉る輩の登場には、アスランが大きく動揺してしまうのは当然のこと。心穏やかでいられるはずがない。
アスランは強いけど、強い分だけ脆い。
自分で決めたことには強い信念を持っているから、結果それが正しくても、そうでなくても、敗れた時はポッキリと折れてしまう。(某金髪のDさんと同様) 
でもそこで腐るか腐らないかといえば、腐らないと思う。が、暴走の危険性が・・(大汗)
でも、「もう大丈夫だ」とアスランは言っているし、私も今のアスランならもう大丈夫だと思っている。うわべだけの言葉に踊らされることはもうないだろうと思う。また、人がなんて言おうと、事実がなんであろうと、もう二度と自分は自分であるということを見失ったりはしないと信じている。

DESTINYでのアスランは、デュランダル議長によって踊らされ、力のないオーブでのアレックスから、再びザフトに戻ってアスラン・ザラとして復活し、力を得た。結局、議長の真の思惑を知ることとなり、再度ザフトを抜け出し、志を同じくする者たちと共に戦うことになった。
某”どっちつかずのアスラン”は、その理由を知らず、ただ客観的に見たアスラン・ザラの行動だけに対する印象なんだと思う。隠れた真実ではなく、事実だけでの評価。確かに事実だけに否定はできない。
けれど踊らされていたとはいえ、その全てが無意味だったかというと絶対にそんなことはないし、アスランがそれを後悔しているかといえば、していないと思う(全部じゃないけど)。
アスランは、「人は変われる。間違いを正すことができる。」ということを既に学習していた。再び迷宮をさまようことになったけど、それだけ自分を見つめなおすことができたはず。それがあって初めて見えた”自分の真実”。
「あなたも変わったでしょう?」タリアに言われたキツイ一言。
その時の結果を考えると”変わってしまった”ことが間違いだったかのような、罪悪感を持たなければならないような感覚になってしまう。そんなことはないのに。
そのとおりで確かにアスランは変わっていた。でもそれはあたりまえ。変わることが必ずしも成長ではないけれど、成長とは変わること。

「変わらずに生きるためには、変わらなければならない」という言葉がある。
アスランの行動は正にこれにあたる。
ザフトへの復帰は、「何もせずに後悔するなら、何かをして後悔するほうがいい」と自ら機会を作り出し、自ら実行に移した出来事。自らを変えるために。
非難されるどころか、逆にすごいことだよね。本来なら。

切掛けは確かに“父親の言葉“に由来するものだったけれど、その先は自分に嘘をつかずに、悔いを残さないためにとアスラン自身が決めたことであったはず。失敗することもあるけど、失敗の経験も全て次なるステップへの糧に変えるられるのがアスランだもの。
「ザラ」の名の呪縛は永遠に続く。けれど、そこに悲壮はあれど悲観はもうないよね。
アスランは、間違いを間違いだと認め、間違いを正すことができる人だもの、もう大丈夫。何度間違ったっていいじゃない。取り返しのつかないところでまで進んでしまわなければ。これからだって、思いとは裏腹にまた道を誤ることだってあるかも知れない。それを繰り返しながらも本当に望む道を選び、切り開ていけるはず。自分の為に、みんなの為にね。
「何とどう戦うのか」
その望む道も、ちゃんと見え始めてきたんだよね。・・・私の思う、”今のアスラン”には。
そんなアスランには、とにかくどんなことがあっても自らを恥じることなく、信じる道を突き進んでいってもらいたい。そして・・・

何が起こったって、暴走なんかするもんか~!
もう”呪縛”だなどと”何かのせい”なんかにするもんか~!

声を大にして叫ばしてもらいましょう(笑)

反省追記:
今回は都合のよい解釈満載。願望色が特に強し。論点も途中で変わってる?
まぁー、自己満足記事なんで、お許しを。

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