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2006年7月27日 (木)

アスラン。

ジ・エッジ最終回より~

アスカガポストカードなどという付録付きのために何処の書店も縛られているのが当たり前であり、ちゃんと購入目的で出向いたのだけど、縛られていないサンプル?を発見して思わずその場で立ち読みしてしまった。

感想。

やっぱり、アスランの基本は”家族”だったんだなと改めて思った。
レイがデュランダル議長を撃った事に対して「何故彼が?」と思いつつも、”父”を撃ったのか?家族だったのか?という思考をめぐらせ、それを理解するアスランだった。
そこから”父”を撃てなかった自分と、父と母と自分を思い浮かべ、自らを省みるアスランの姿に、いままでも、これからもアスランは”父の呪縛”を背負い続けていくのだなと思った。それは決して負の意味ではなく、消せない、消す必要がない過去があるから、未来に臨んでいけるという覚悟ができた、ということなのだと思う。

けれど、「子供がいるのに?」とタリアの決断には納得がいっていないアスラン。

アスラン個人として今一番欲しているものは”家族愛”ではないだろうか?
確かにアスランとしての守りたいものは、キラの、まず第一に守りたいものの対象とは違って身近な者たちだけに留まらず、果てしなく大きなものに繋がっていると思う。
けれど、彼だって人の子。純粋に世の中にある組織の中で、一番小さな組織である”家族”というものを何より大切に思っていたことには変わりないのだと思う。
そしてまた、そこから大きなものへと繋がっていく考え方からして、母譲り、父譲りなのではないだろうか?
家族とは、エゴでもなんでも何にでも変え難い者達であり、最優先するもの。何よりも大切な存在。
それは誰しも同じこと。その思いは間違いでも否定するものでもなく、ましてや恥じるようなことでもなく、それでいいのだと思う。

役割によって、何から何まで背負わなければならないカガリのような存在もある。けれどカガリにとっては国民すべてが”家族”なのだとすれば、それは役割でもなんでもない。自ずと守るべきものを守るということに繋がっているのだと思う。それはそれで自然なこと。
そもそも国とは、小さな組織がいくつも積み重なって構成されているものであり、いわば寄せ集めの集合体。ひとつひとつがバラバラであれば脆く儚いけれど、ひとたび結束すれば、個々の力の”和”ではなく”積”にもなりうるもの。巨大な力が生まれる。しかしそれはそれで紙一重に善にも悪にも働く力となる可能性を秘めている。
それを良き力として発動するためには、良き指導者が不可欠。大家族を導くという大仕事を担うカガリは大変だ。

アスランが家族愛に満たされていたか・・というと疑問は残らないでもない。それでもアスランが家族に拘っているという事は、単なる無いものねだりとかではなく、それなりに充実はしていたのだと思う。(思いたい)
天蓋孤独となってしまったアスラン。今その対象となっているのがカガリであり、キラなのだと思う。選んだ未来の先に、必ず素敵な家族を作れるとそう信じたい。

とにかく組織としての最小単位は家族。それを軽んじないことは大切だと思う。すべてにおいての基盤であり原点なのだから。
家族のために働き蜂になるのも悪くはない。家族の理解を得られていることならば。しかし結果的にでも、もしそれを蔑ろにしてしまった場合は道を誤りかねない。本末転倒となるという危険性が生まれるかもしれない。そんな風に常日頃からそのように思うようにしている(つもり)。
だからね、なんだか嬉しかった。家族の描写があった今回。本編ではまったくなかったことだったから。

ジ・エッジ最終回の感想・・というより、自己満足的勝手な解釈になっちゃったかな?
・・・だってラストがなんだか物足りなく感じちゃったんだもん。
イヤ、ジ・エッジの構成は素晴らしいと思う。見事に”アスラン視点”が描かれているし、ひとつの解釈として納得できるものばかり。
物足りないとは、やはり、ここでお終いということ。
劇場版が完全なるオリジナルの続編だとすれば、この先の展開を想像といえども書き加えることができない。ほのめかすこそすらできないということ。
劇場版情報はまるで皆無。
そろそろ何か欲しいのだけどね。

2006年7月25日 (火)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-終章:まとめ-

以前の記事「カガリ」で書いた“でもねぇ”について。
やはりそれはカガリに対するやり場のないモヤモヤだったのだと思う。
(それはカガリ自身に対するものなのか、その裏にあるものになのかは定かでないw)
アスランがこれほどまでにカガリを愛しているというのに、カガリはそれすら気が付いてなかったのかよ~・・ということからカガリを冷たい目で見ていた私だったような気がする。それは嫌いなのではなくって、じれったいというか、いい加減にしてくれよぉ、ということであり、ハッキリ白黒付けようよ。ということだったりもして。(それも実は恐いくせにw)
何故か二人に対してだけ、これほどまでに過酷なDESTINYだったのだと改めて思う。それはこれからも続いていくのだろうね。別の道を進み始めた二人にとって、それぞれがそれぞれで、これからが真の正念場になっていくのは間違いないことだから。
(それは決して“アスランが可哀想”などという発想からくるものではなかったことは強く言いたい。アスカガ生殺しは確かに苦しいけど)
カガリをハッキリさせてくれないことから、「アスランはそんなカガリの何が好きなんだよ~」と思わずにいられなくなり、また逆に「カガリはアスランの何が好きなんだよ~」とか言いたくもなってしまったのは確か。私だって真実アスカガ未来の幸せをこよなく望んでいる。それはずっと変わらない。それなのにこの発想に繋がるってどういうこと?と我ながら苦笑いするしかなかった。
例えばね、あくまでも例えばの話。恋人同士であり続けるとか、結婚するとか、それだけが強い絆じゃないと思ったりもしていた。同じ世界を見据えている“永遠の同志”という決着も有りだと思ったりもした。(ただキララクがあまりにもベタベタするから別れちゃうのは嫌だという意地みたいなものはあったけど)。
だけどそこはカガリなんだし、「コレでどうだっ!」っていずれはとんでもない答えを叩き付けてくれるに違いないと、これからもずっと信じ続けることにした。カガリを信じる。アスランを信じる。二人の未来に待つものを私は信じる。今できることはそれだけしかないし、ここのところ長きに渡ってカガリを、アスカガを考えてきてその結果として今ならそれができそうな気がしている。(なんの情報もないから根拠も弱く、願望の域はでないけど)
“勘違い”が制作側の意図的なものだとわかってしまった以上、必然的な予定調和に鼻白む思いをしたことは事実。しかしそれは勘違いじゃなくって、もう一度ゆっくり各々を見つめ直す時間の為のモノ・・ということになった。
アスランがカガリを愛し続けている限りは、そしてカガリも・・・ということならばいつかきっと。そういうことなのだと思いたい。

私の中でのひとつの結論(まとめ)
カガリは確かにカガリだった。けれど、カガリを動かしていたのは、紛れもなくカガリ・ユラ・アスハだったということ。
カガリはカガリ・ユラ・アスハの中の、自由奔放な一面だったということ。
けれど、その自由奔放さがカガリ・ユラ・アスハを成長させたのもまた事実だということ。
そして、アスランが愛したのは、カガリだったということ。
カガリの一面でもあるカガリ・ユラ・アスハを支援することが、カガリを守ることに繋がると信じ、カガリ・ユラ・アスハで東奔西走するカガリに賢明に尽してきたのではないだろうか?ということ。

描かれていない空白の2年はただそんな風に流れていったのではないだろうか?
確かにどちらも同じであることは変わらない。
カガリは、ずっと変わらずにアスランが自分の傍に居てくれ、支えとなってくれていることに感謝しつつ嬉しく思い、また心強く感じていたに違いない。その気持ちは本物だと思う。それだからカガリ・ユラ・アスハを頑張ることも出来た。
しかしカガリはいついかなる時もカガリ・ユラ・アスハであることを強いられたのかもしれない。カガリ自身がそうあるべきだと思っていたのかもしれない。もう姫ではない、国家元首。オーブ連合首長国代表首長カガリ・ユラ・アスハという、国を背負い、国民すべてを背負う者。
アレックスはそんなカガリ・ユラ・アスハを支え続けようとした。でもその心はずっと確かにアスランだった。そこからして何もかも同じようでいたものが、実際は既にそのベクトルが微妙にズレてしまっていた。
自由奔放なただのカガリは、それらによってどんどんとカガリ・ユラ・アスハに侵食されていった。蝕まれていったと考えればSEEDのカガリとDESTINYでのカガリの大きな違いも、どこかつじつまが合うような気がしてくる。カガリの視野があれほどまでに狭まってしまった理由がそこにあるのだとすれば。
アスランも、そんなカガリを黙って見守ることしか出来なかった。それでいながらカガリ・ユラ・アスハとカガリとの同化がそこまで進んでいるとは気が付くことができなかった。
カガリの深層心理には “ただのガカリ”であり続けたいと思う部分が残されており、ひとりの女性として愛するアスランの前ではその思いが特に色濃く現れていたのではないだろうか。その心が一生懸命“カガリ”をさせていたのかもしれない。それがアスランの目を狂わせたのではないだろうか。そこから生まれたのがアスランの勘違い。
またアスランの誤算は、カガリを愛するが故にカガリとカガリ・ユラ・アスハを買いかぶりすぎてしまっていたということ。「カガリなら」とずっと信じていた。ユウナのことも、同盟のことも、何もかも。だから自分が離れても大丈夫だと思い込んでしまっていた。
“人の心”という、これほどまで曖昧でいい加減なモノ以外に何の根拠もないというのにね。“信じるきる”といえばカッコイイっちゃカッコイイけど、アスランもたいがい自分勝手な解釈をしているんだよね、実は。
(・・・うっ、、自分で書いていながら、ものすごく痛いかも・・・・泣)

しかしながら、これらは互いの役目がそうさせてしまったというだけ。大切な何かが見えなくなってしまっていただけ。その何かに気がついた今であるということ。
長い長い迷走の果てに行き着いた場所は振り出し。
長いブランクを置いてもなお、アスランとカガリが人間として個として互いを想いあう心に変りはなかった。揺るがぬ想いは誰にも消せない希望を湛え続けることになる。

「望むこと、できること、すべきこと」
カガリは決してアスランと国を天秤にかけたりはしていない。
指輪を外したのは、両立ができないからと考えたわけでもない。
アスランを誰よりも愛していると、自分にとってかけがえのない人だと気がついてしまったから、外すしかなかっただけ。指輪を貰ったときのカガリはカガリ・ユラ・アスハだったから。
カガリは再びカガリ・ユラ・アスハに、今度は自分の意思でそうなることを決意した。
戻るのではなく、これからなるのだ。
そして、カガリであることをもう2度と忘れない。
アスランに愛されたカガリであり続けるために。
アスランを愛しているカガリであり続けるために。

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かつて、2つの心はひとつになった。
そのすこしあと、・・・・もうすでにそこからカガリの時間は止まっていた。
同じようにアスランの時間も進んではいなかった。
そのまま気持ちだけは変わらずに残った。

けれど、時が止まることはない。
流れ続け様々に変わっていく。変化し続けていく。

再び二人の時間が動き出したとき、
止まっていた時間の分だけ変わってしまっていたことに気がつく。
それでも変わらずに在り続けた確かな想いは消えない。
胸に刻み込まれた想いは、後ろを振り返る為のものではなく、
前へ進む為の原動力となる。
一歩一歩、その足で歩み始める。
変わらずにいる為に、変わり続けようと心に誓う。
自分のために、愛する者たちのために、世界のために、
より良き未来のために力の限りを尽くす。
その未来こそ、自分と愛する人の為のものなのだから。

この先も変わらずに変わり続けていければ、きっと再びめぐり合う。
その日を夢にして・・・

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アスランにとってのカガリ、カガリにとってのアスランは、やっぱり、その運命の出会いから始まって、思想や思考や志、力や立場や行動そのもの、その内に見え隠れする強さ、弱さ、不安定さ、そんなものそっくりひっくるめて互いが互いに共感し合える似たもの同志であるということ。同じ目線で物事を捉え、価値観を同じくし、お互いを理解し合える者として惹かれ合い、愛し合った。それでいいような気がする。
エピソードを逐一挙げてここがどう、あそこがどう、といちいち検証しなくても、それだけで充分じゃないかな。(いいエピソード満載だけどねw)

とどのつまり、最初に戻るというわけだ。
誰がなんと言おうと「空は青いし、だから海は青い」。
でも時に海は碧くも蒼くも変わっていたかも知れない。けれど青いままなんだよ。
・・・それが私の結論だね。

2006年7月17日 (月)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-4章カガリ・ユラ・アスハ-

地球連合軍のオーブ侵攻時。この時のオーブの敵は地球連合軍であってザフトは第3者的立場。けれど味方ではないのもまた事実。アスランの使命はフリーダムの奪還であり破壊。個人の意思で戦闘に加わり、それも援護で介入。挙句に今こうしてここに居る。そのようなことが本国にバレた時の、そんな彼の立場も少しは気になったのかもしれない。
・・・・・・うーん。この時点でそこまではないか?都合よく考えすぎかな? けれどジャスティスを置いて、「プラントへ行って父と話す」というアスランを送りだすときはちゃんとそこまで心配しているわけであり、ただでさえ、国のこと、お父様のこと、自分自身のことキラとのことで頭の中はぐちゃぐちゃだろうに、そんな時でさえアスランを気遣うカガリの懐の深さ・大きさに計り知れないものを感じる。
実はこれがカガリの最も基礎的な部分であり、きっとそれがカガリそのものなんだろうなぁ、と思う。真っ直ぐで、真っ白で、大きくて、柔らかくて、万人・万物において、分け隔てのない愛。すごいなぁと思う。カガリの個性であると同時に、カガリ・ユラ・アスハの資質なのだね。等身大のカガリの中に、しっかり存在するオーブの姫としての培われた資質。ここで
『ああ、そうか。それが姫というものか。カガリは最初から最後まで姫だったんだなぁ』と、やっと私の中でそこに行き着いた。
キラだからということではなく、もちろんアスランだからでもなく、誰だからということの無い、この世のすべてを愛し気に懸けるという”姫様的偉大なる愛”のなせる業とは言えないか?姫の中に根付いている博愛。自覚や個としての区別はなくても。
常にすべてを受け入れようとする愛であり、すべてを包み込もうとする愛。それは決してひとりだけに注がれることのない大きな愛。それがカガリ・ユラ・アスハの持つ愛情。
となればそれは、その愛はいつだってたった一人だけの為に向うことはない。カガリのアスランへの思いは、はじめは恋じゃなくて、“カガリ・ユラ・アスハの愛”だったんじゃないかなぁ。
・・・そう思えば、納得できる部分は多多あるようにも思えてくる。しかしそれは私自身かなり残念なところ。でも、カガリが在って、そこにカガリ・ユラ・アスハの愛を持ち続けることが出来る彼女だから国民から指示され、アスランからも、誰からも愛され続けているではないかと思う。

とはいえ、カガリがアスランに恋していなかったか?といえば、そんなことはありえない。
ひとりの人間としてなんの関心も持たない者の心の痛みや、奥底に隠れた何かを見抜くことなどできっこないのだから。
思うに、カガリの過ちは、まず自分自身がそこにきちんと気がついていなかったということ。大きな愛の中に、それらとはまったく異なる愛情が埋もれているのを埋もれたままにしてしまっていたこと。そこにあると知っていたはずなのに。
愛とは、与えるだけでも与えられるだけでも成立しない。与えて与えられて応えて初めて大きな力となる。本来、無意識などということはありえない。カガリは、あまりにも自分自身を後回しにしたが為にそのことに気が付くことができなかった。
ヤキンの戦いの後、様々なことでカガリの視野がどんどん狭くなってしまった理由のひとつとして、カガリがカガリである前に、カガリ・ユラ・アスハになってしまっていたからではないかと思う。もしくは、カガリ・ユラ・アスハになろうとしていたのではないかということ。弱体化してしまっているオーブという国にために、元のような健全な国へ復興させるためにと。カガリもまた「アスハの呪縛」に囚われてしまっていたんだろうね。

自分を理解しあたたかく見守ってくれるアスランはいつでも傍にいてくれた。当たり前のように。いつも自分の話しに耳を傾け、頷き、時には意見もしてくれたことだろう。彼が今の立場に甘んじていることに苦い思いでいることも知らないではなかった。けれど、それは仕方が無いことだった。自分にはまだなんの力も無いと知っていたから。
「アスランとして、アレックスとして、今の自分にできることをしたい」といって旅立つ彼を送りだした。送り出すしかなかったカガリ。その“カガリ”は、カガリだろうか?それともカガリ・ユラ・アスハだろうか?もしくはその両方?
カガリを見ているアスランに対して、カガリはカガリ・ユラ・アスハを支えてくれるアスランとしてみていなかったといえるだろうか?

アスランが旅立つとき小さな約束を交わした。それはひとりの女性として、カガリとして素直に嬉しかったはず。
ユウナとの結婚。それはカガリ・ユラ・アスハの決断。
カガリとしてならば、アスランに対する裏切行為以外の何ものでもない。
アスランなら、カガリ・ユラ・アスハを許してくれる、そんな風に思っての決断か?
まさか行ったきり帰ってこないなどと、思ってもいなかっただろうに。(結果的にそれに近いものになってるけどw) だけど、そもそもはカガリの、オーブの(もしかしたら世界の?)為に旅立ったアスランだったわけで・・・。いったいアスランが戻ってきた時、どのように言い訳するつもりだったのだろうか?鈍い・・というかほとんど無神経に近い。
コレがあって、「24話すれ違う視線」で決別して、そこではじめてカガリという自分自身とアスラン、カガリ・ユラ・アスハとしての自分、オーブという国、これからの世界、ほか様々なことを考えるようになれたカガリであり、そこから更に大きく成長していく事になるのだけど・・・。痛い。

カガリとカガリ・ユラ・アスハ。どれほどの違いがあるかというと、違いは無い。けれど、同じでもない。どちらも同じ人間ではあるのだけれど。しかしそれぞれの言動の違いは、時に他人には大きなギャップを感じさせてしまうことがある。その部分を一緒くたに理解させてしまおうとすると誤解を生じさせてしまうことすらある。
もちろん逆もある。同じカガリでも親しきものが知っているカガリ・ユラ・アスハと、シンの見たカガリ・ユラ・アスハは全く違っている。別人ほどの開きがある場合もある。お互いが知っているカガリしか知らないから。それを互いに説明し合うことは難しい。それはどちらがどちらと決めつけるべきではないし、付けてはいけないのだと思う。やはりどちらも正解であり、カガリ・ユラ・アスハであることには違いないのだから。

アスランのプラントへの旅立ち時、やっぱりカガリはカガリ・ユラ・アスハとして、最善と思われる決断をし、アスランを送り出したのではないかと思う。そしてアスランもアスランで、アスラン・ザラとして旅立ったのだと。

人は当たり前だと思っていた人と離れて、初めてその人物の存在を意識する。まず身にしみるのが大切さというよりは有難み(笑)。今まで気付くことすらなかった小さなフォローの数々に否が応でも気が付き始める。そこに改めて“居ない”ということを実感し、決してそれは当たり前のことではなかったのだと反省する。自分が知らずにどれだけたくさんのことを与えられていたのかにはじめて気が付き、相手の存在の“大きさ”を自覚する。
けれど大切なのは、そうして自分がたくさんのものを与えられていかに愛されていたか、ということよりも、自分はどれほど相手に何かを与えていたか、与えることが出来ていたか、それどころか与えることを怠ってはいなかったか、ということに気が付くことなのではないかと思う。
離れてやっと気が付くことしては、自分がどれだけ大切にされていたかということであり、相手が自分にとってどんなにかけがえのない存在だったかということ。愛されていたのだと心から思えることなのかもしれない。それでも、それ以上に
「自分がどれだけ彼を愛していたのか」 
その存在の重さ、大きさにまで気が付くことができなければ、もしかしたら、それまでかもしれない。
そして、いま、カガリはちゃんとそこまでちゃんと気が付いたのだと、私は信じている。

実際のところ、カガリはアスランを完全に失っちゃいない。解放したのか、解放されたのか、どんな意味でも少しだけ距離を置くことが必要だと判断してのこと。
それはアスランにしても同じこと。それでも“自分が”愛する人として強く意識していける存在が心に在ることはこの上ない励みであり、生きる希望であり、それだけで力の糧となり、強さに変わる。
愛を知った人間は貪欲になる。だからきっと大丈夫。この二人の何もかもが上手くいく時が必ず一度はやってくる。

散らばっていた様々なものをつなぎ合わせてきて行き着いた答えのようなもの。
自由奔放でいて、実は最初から見えない何かにずっと縛られていたカガリだったということ。それはアスハへ引き取られ“姫“という役目が与えられてしまったことも含めて。
どんどん狭まっていく視野に閉ざされ、その理由に気付かず、尚更に役割を全うしようとして余計に空回りし、悪循環していたのがカガリ・ユラ・アスハ。それ故にカガリである自分を知らず知らずに閉ざし、いつしか履き違えてしまった愛の有り様。
今こうしてカガリを考えてみると、ほんとに良くわかっていなかったなぁーとしみじみ思ったりする。(これにしても個人的見解の以外の何者でもないけれどね)
カガリの聡明さや強さ弱さ(鈍感さ)を理解しようとしたら、大きな“アイ”がないとなかなかたどり着けないものだなぁと、つくづく思った次第。

・・・つづく・・・

2006年7月 9日 (日)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-3章カガリとアスラン-

無人島で出会った「アスラン」という名の敵かもしれない少年。 

キラとは違って、殆ど“敵”。まず緊張感が違う(ハズなんだけどなぁ・・そう言い切れないのがなんともw)
自分を“女”だと知ってからの態度にはどこか粛然としないものを感じつつも、彼の本質は心優しい少年であり、彼もまた無益に、好んで戦争をしているのではなく、自分の思う正義の為に戦っているということを知った。(まだ命令に従うだけのものだけど) 

キラを探して、代わりに見つけたのがアスラン。思いがけない再会。キラとアスランの関係性やアスランの葛藤や苦しみを知ることとなり、それでもアスランに対してそのままの憎しみに近い感情をぶつけるカガリだ。
「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それでほんとに、最後は平和になるのかよっ」
誰にとっても心に響く名言。この言葉はアスランの目を覚まさせる言葉であり、ずっとアスランの心に刻みこまれることになる。が、カガリにしてもともとあった漠然とした思いがここで初めて言葉として形付けられ、それをアスランにぶつけたことでその本当の意味を悟り、昇華させ、真に慈愛の心を手に入れたのではないかと思う。キラを亡くした心の痛手はカガリにしても決して小さなものではなかったはず。自身の悲しみの心を押し留め、慈愛の心でアスランをみつめることによって、アスランを気遣うことができたカガリではなかろうか。
「おまえ、危なっかしい。護ってもらえ」 

それによってキラの敵であった彼が、自ら友を手にかけたのだと言いながらも、その死に対して自分と同じように、もしかしたら自分以上に嘆き、悲しみ、苦しんでいることを知った今となっては、そこに感じられる不器用さが、さぞかし危なっかしく思えたことだろう。 

キラと同じように悩み苦しんでいたキラの友達。多少なりとも関わってしまった自分としては、やはりそのままやり過ごすことなどもう出来ない。それがカガリか。 


「危なっかしい」
前にも書いたけど、多分アスランにとっては青天の霹靂。そんなことを言われたのは初めてのことだったのではないかと思う。「よい子で、しっかりしていて、優等生。」いつも言われるのはそんなものばかりだったから。 

ラクスは、アスランを良く見ていてかなり正確にアスランを理解(把握)しているのだと思う。アスランの誠実さや正義感、意思の強さやその能力。真っ直ぐで固くてやや柔軟性を欠くということも知っているから、その”プライド”に直接訴える形でアスランに突き付ける。
カガリはまた別の角度からアスランの本質を見抜いた。その表面にはほとんど出さない(最近は出まくり?) 苦しみや迷いや葛藤を肌で感じ取り、意識的にも無意識的にもアスランに癒しと安らぎと、勇気と元気と、とにかくいろんなものを与える。そこからアスランの笑顔を引き出せるはカガリだけなのではないだろうか。
カガリの言動は、とにかく良くも悪くもほとんどが本能的であり、感覚的なもの。ThinkingではなくFeeling。それは何も考えていないと言っているのではない。言うなれば第六感のようなものか。とにかく勘がいい。

生きて戻ったキラとアスランの話をしたカガリ。キラにしかわからない話であり、報告するのは話の流れとして当たり前なのかも知れないけれど、カガリがずっとアスランを気に掛けていたから出た話題なのだと思う。 

苦戦するフリーダムにまさかの援護。そのMSのパイロットがあのアスランであり、互いで話し合う為に歩み寄る二人に嬉しさいっぱいのカガリ。「おまえらぁ~」って二人に飛びついて泣き出すカガリ。こうなってはやっぱり誰もが友達感覚。
キラとアスラン話し合い時、二人の為に飲み物を運んだりして甲斐甲斐しく世話をする。ウキウキ気分とでもいおうか(表現的には良くないけど・・別の意味での嬉しさという意味で)。ただ素直に友達の再会を喜んでいるのだろうね。その後、とにかく黙ってアスランに張り付いていたカガリ。アスランに話しかけられるまで黙っていたのは、考え込むアスランを思い遣ってのこととは思うけれど、いざ話しかけられれば「見張っているだけだ」なんて言っちゃって。ホントはアスランと話がしたくてしかたがたなかったんじゃないの?ってバレバレだよね。キラはちゃんと生きていた。どんなにアスランが苦しんでいたのかをその目で見ていただけに、コレだけはどうしても言いたかったんだよね。「よかったな」って。

おそらく、ここで「よかったな」と言われたアスランは一瞬「?」なんだと思う。キラの生存はラクスに告げられた時にこそ動揺したとはいえ、今となれば既知のこと。でも、そこはすぐにカガリの優しさが心にしみてくるアスランだろうね。カガリにしてもそんなことはわかりきっていることであり、「よかったな」というのは、「キラが生きていて良かった」ということではなくて、アスランに対して「お前もよかったな」と言っているのだから。気持ちがあったかいよね。
キラにしても、アスランにしても、自分が「危なっかしい」と決定付けた少年のことはとにかくほっては置けないカガリだってことだ。(フォローも万全?w) 

「キラ。変わったろ」という言葉に、「どこか吹っ切れた感じがするキラはもうほとんど大丈夫」という意味が込められていたかはわからない。それに対するアスランの返答は、それとは噛み合わないものだから。でも、これを機会にカガリの気になる対象がアスランへと大きく傾き出したのは間違いない。
アスランの想いは自分たちのそれを殆ど変わらない。でもアスランには障害が多すぎる。そのまま危なっかしいヤツとして、ただ気になる存在なのか、既に惹かれはじめていたのか、この時点のカガリに自覚はまだない。 

アスランが再びフリーダムの援護に、オーブの為に出撃した時のカガリは嬉しさでいっぱいだったことだろう。おそらく、これが決め手だったのではないかと私は思う。 

自分の立場も顧みず、自分の意思だけで戦いに介入するアスラン。あんなに迷い苦しんでいたというのに。「やはり彼の想いも私と同じだ。」カガリの中での希望が確信へと変わる。
「彼は敵じゃない」。
まったく予想していなかったことではなかったはず。それでも「なぜ?」という思いが少しはあったのかもしれない。だからなんとなくアスランを目で追ってしまう。視線を感じたアスランと不意に目が合ってしまいドキッとしてしまう。ラクスの存在を知り、少なからず反応してしまう。危なっかしいヤツから気になるヤツへ、そして知りたい、知ってほしい存在に変わっていく。 

キラは二人の接点となった。けれど、その出会いからして、それは後からついてきたもの。明らかに、キラとは違った、意識上の存在と変化した・・・はずだった。


・・・つづく・・・ 

2006年7月 5日 (水)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-2章双子-

カガリにとってキラは、いったいどんな位置づけだったのか。これは私にはにはどうしようもないことがある。「先入観念」

カガリは、キラには少なからずヘリオポリスで世話になり、シェルターで別れた後のキラを慮っていたことは砂漠での再会時に口にしている。AAの甲板で泣いていたキラを「よしよし」する大胆なカガリにはちょっとびっくりだったけど、対象はあくまでも「泣く子」なわけで他意は微塵も感じられなかった。(フレイは殺気立っていたようだけどw)
面倒見のよいカガリは、顔見知り(恩人)であり、それでも少しの間に彼が以前とはどこか違っていることをどことなく察知し、キラひとりがコーディネイターである事実を知ったことから、何かに思い悩んでいることも薄々感づいた。その上でキラはただほっとけないヤツ、という感じで接していたようにしか思えないのだけど・・・。というのが結論。
血のつながりを知ってからも接し方に何の変化も見られないカガリであって、それはアスランどうこう、というわけでもなさそうで・・・。その後のキラは完全に弟扱い。能力は認めるけど馬鹿なヤツ。守ってあげなくちゃという存在。姉というより母の感覚だね、ほとんど。
カガリの面倒見の良さは一体どこから来るのだろう?単に「世話好き」と同様の意味でいいのかなぁ?いつも世話を焼かれてばかりだったから、逆に自分が“焼きたい”って感じ? その守備範囲はいったいどのくらいまで???

キラがシンに堕とされて医務室に居たときのフォークに刺したウインナー。久しぶりに“カガリらしい“感じがした。でもそれは完全に肉親に対してのものだよね。
ふと思う。それはキラにだから出来るのか、それともアスランにも出来るのか・・・・・・うーむ。どっちだろう? 
前は出来たけど、今は出来ない。そんな感じかな?

話がそれたけど、カガリとキラの関係性。
DESTINYから観た私には、すでにアスカガもキラカガ姉弟も確定していたわけであり、その眼でしか見られなかったということになる。こればっかりはどうしようもない。甲板ハグでも、無人島での迎えに喜びの「キラぁ~」でも、オーブでの両親びっくりハグでも、生きて戻ってきて飛びついたときも、そこに友達以上のものを感じることはなく、というかまったく感じようがない、と言っても良い。
知らずにレイアはルークではなくハンを選んだし、「バックトュー・ザ・フューチャー」でも少女時代の母親は息子にキスをしても「なんかヘン。ときめかない。」と感じてしまうわけで、血のつながりってどこかわかるものなのかな?と思ったりしてしまう(どれも必然なのだけどw)

キラという子と出会った。ちょっとヘンなヤツで、なんだか危なっかしくって、ほっとけない感じ。カガリにとってはそれだけで気になる存在だったけど、キラにしてもカガリを「おんな・・のこ(?)」と2度も言ってしまうくらい意識がないわけであり、血のつながりは知らなくても初めからお互いの間に性別はなかったのでは。
結果論的想像になってしまっているのはわかるけど、それでも、そのくらいの事はカガリのなかでもちゃんと自覚していたのではないかなぁと思いたい。SEEDをリアルで見ていたら、カガリのキラに対する面倒見の良さはLOVEに繋がるように見えたりしたのかなぁ・・・それはないよなぁ。(・・・そう思いたいところ)

カガリは「人を見る眼、感じる眼」、“見抜く力”には鋭いモノを持っている子。
それは理屈というより感覚的なものに近い。ならば、いくら恋愛ごとに不慣れで疎いカガリであっても、気になっている対象が、感覚として恋愛対象であるかないかくらいのことはわかっていたのだと思いたいが。
一般的に「気になる」ということは=「恋へのはじめの一歩」であることが多い。
もし、そうだとしたら、カガリはまずキラに恋しなくちゃない。けれど、そうではなかった。
同じように、ちょっとヘンなヤツで、なんだか危なっかしくって、ほっとけない感じの男の子がもうひとりいた。それがアスラン。
じゃあ、この違いは何だろう?

・・・つづく・・・

2006年7月 1日 (土)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-1章カガリ-

即、脱線(汗)
カガリのイメージから連想するほかのキャラクター。
リボンの騎士のサファイヤ。スター・ウォーズのレイア。風の谷のナウシカ。ベルサイユのばらのオスカル。(守備範囲が狭いのでこのくらいしか思い浮かばない)
どのキャラもじゃじゃ馬で、威勢のよい女性であり、姫(お嬢)様。
サファイヤは王位継承権の為に男の子として育てられ(アニメ版)、やがて敵国からの侵略に勇敢に戦う少女だった。
レイア姫とは生い立ちも似ている。双子であり、悪の手から逃れる為、どちらも実の両親の手を離れ、また兄妹までも引き離されその存在も知らずに育てられた。宇宙の平和のためにレジスタンスとして戦い、故郷の星を破壊されても悪の力に屈することなく、最後まで諦めなかった。
ナウシカは、国の長たる父を深く尊敬し、風を、植物を、蟲を、谷の人々を、生きとし生けるものすべてに愛を注いだ姫。聡明であり、自らを鍛え、戦士でもあった。一時の感情に流されはしたものの、我を取り戻せば自らを犠牲にすることも厭わない平和と調和を何よりも優先させる少女。
そしてオスカル。オスカルもまた男として育てられた女性。ただし女であることは誰もが知るところであり“男装の麗人”と呼ばれた。しかしながら男よりも男らしく育ち、年頃に成長しフェルゼンに恋心を抱くまではまるで女らしさの欠片もない。活発で、正義感に溢れ、凛々しい。剣の腕は確かであり、政治的駆け引きもお手のもの。さすがに貴族であり傅かれて育ったのでどこか横柄な部分も持つ。恋に破れて、愛を得て、最後まで愛を信じて、愛を貫き、最終的にはその身分を捨て民衆側の立場から国を見て、国の為にその指導者として共に革命へと突き進んでいった女性。
カガリとナウシカは心のありようが良く似ている。けれど一番近いと思うのはオスカルかな。自分より他人に事を大切にするところも、自分を犠牲にしてまで民衆のために力を尽くそうとするところも、恋に不器用なところも、見た目も(笑) とにかくそっくり。毎週土曜差込の朝日新聞「be on sataurday」の『ベルばらkids』を読んで「今週もカガリだ・・」と思っちゃうし(笑)

オスカルを”貴族の令嬢“とは考えないのと同じで、カガリを”姫”とほとんど認識していない私だった。 カガリってなんでアスハ家に引き取られたんだっけ?(確かヤマト家か、ヒビキ家か、ヴィア&カリダの実家か、いずれかと遠い血縁だと聞いたような気もするけど・・)

カガリはその身分からも、当然帝王学は学ばされてきたのだろうし、しかるべき礼儀作法などもきちんと教わってきたのだと思う。・・後者についてはちょっと微妙?お稽古を嫌って逃げ回っていそうだし(笑)。それでも雁字搦めの深窓の姫ではないことは間違いなく、自由にのびのびと、とにかく玉のように愛しまれて育てられてきたのだろうなぁと思う。それはカガリを見れば一目瞭然という感じ。
自分に正直で、仲間を大切に思い、面倒見がよくって、誰からも可愛がられる子。(それがどこで「ガサツで色気のないコ」(3人娘談)になってしまうんだ?)
最初のカガリはとにかく跳ねっかえり。頭でよく考える前に手とか口とかが先に出てしまう感じ。(大好きなお父様に裏切られたと思い込んでしまった分、その衝撃が大きくて反抗的になっていただけのことではあったけど。)
護衛付とはいえ家出。「世間知らず」と言われ「世間」を知るために「世間」に飛び込む行動力はたいしたものであり、見上げた根性の持ち主だ。(そこが既に世間知らずだと言えるのだけど)その飛び込んだ世間で知り得た世界の実情は、確かにカガリの成長に大きく貢献し影響を与えたわけであり、家出もまんざら無駄ではなかったということにはなる。ウズミ様はそこまで計算していたのかな?心配しつつも「可愛い子には旅をさせろ」なのだよね、きっと。
そんな自由奔放すぎるカガリを見ていると、箱入り姫という出自と庶民的な性格がギャップとなって時折私を苦しめる。
何かは忘れたけど、「カガリの○○がおかしい」と言ったところ、「それは、姫だから(笑)」と返され、「それは反則だよ~」と思ったことがあるんだよねぇ(笑)

ところで、カガリの幼少時ってどんな感じだったのだろうね?
えーと、いつもほっぺたを真っ赤にして、犬のようにコロコロと転がっていそうな感じ(笑) しかも好奇心旺盛で何にでもちょっかい出して怒られる(笑)
残念ながら、カガリだけのエピソードがどこにもない。同じくどこにもないがアスランとカガリの日常。どうしてなのかな?欲しかったな。そうすればもう少しわかる何かがあるのだろうになぁと思わずにいられない。(だから、少し前に紹介した「ルージュの足慣らし」のエピソードが唯一という感じでとっても好き。)

私にとってカガリがどんな子かというと、長所が短所であり、短所もまた長所になるという感じであり、そこはちょっとアスランに似ているかな。欠点はいっぱいあるんだけど、それらを全部帳消しにしちゃうような良さがいっぱいで、欠点そのものは愛嬌に変わり、個性にしてしまうかのような可愛らしさを持っている子。
それらの印象は、特にキラやアスランとの関わり合い方から良くわかる。この二人に対して、カガリはどこまでも等身大のカガリだったから。

カガリはキラを最初はどう思っていたのだろう? ちょっと考えてみた。 

・・・つづく・・・

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