« 2006年12月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年1月11日 (木)

「自由の代償」とは。

オーブやクライン派に賛同した者たちが「自由」を守るために、支払った「代償」とはいったい何か?
彼らによって世界は、「安穏」で「約束された平和な世界」を手に入れるチャンスを失った。失った世界が、一見幸福そうな世界であっても、果てしなく無機質な世界だということがすべての人々に認識されているかどうかは怪しい。現在の世界はとても不安定となった。
不安定さは人間の恐怖心をあおり立てる。恐怖心は自己防衛本能を発動させ、異質なものに対して過剰に反応し、偏見や差別を生む。己と違うものを全て異端として排除したがる。些細なことから争いが起こり次第に激化していく。いつしか戦いに本来の理由は無くなり、切っ掛けさえあれば総てを巻き込む「戦争」となる。人間が人間である限り、世界はいつまでも混沌とし続けることは必至なのかもしれない。見せ掛けでも、偽りでも「ただ平和」を願う人々が現れてもおかしくはない。
人間とは、自分勝手な、あまりにも不完全な生き物だ。でも、だから面白い。

------------------------------------------------------------------

確かに「自由」を求めた彼らには責任がある。彼らは「平和」かもしれない世界を打砕いたのだから。
自由の代償として彼らは「自由」を求めて「自由」を引換にする事を選んだ。
ラクスは、「女性としての幸せを望み、愛する人とただ穏やかに暮らしたい」という想いを断ち、政治の世界へと足を踏み入れた。行うことは今までと変わらないとはいえ、今度は内なる反対・抵抗勢力と闘う必要があるだろうし、最悪の場合失脚もあり得る。同志で構成されたクライン派での活動とは大きく異なるわけだ。表舞台に立つということは全てにおいての責任を担うことであり、勝手気ままという訳にはいかない(はず)。本当の試練はこれからだ。
キラをザフトに入れたことは、キラを側に置くための(傍に居るために?)”ラクスの職権乱用”と言われれてるけれど、私はそれは結果論にすぎないと思っている。おそらく、キラから言い出した事ではないかと思っているから。(同じといえば同じだけど)
キラは、フリーダムをラクスに託された時点で既に組織を捨て、己の心の赴くままの行動を続けてきた。最終的には”オーブ軍准将”として組織に所属したとはいえ、建前上のことであり根本的な部分に殆ど変化はない。(便宜上、権力の行使はしたけど) しかし今度こそザフトのいち士官として組織の一員となり、”身内”ではない部下との編隊を指揮する立場となれば、勝手は許されないことくらい承知だろう。いくら階級の無いザフトであっても、理不尽にも耐えなければならない時がくる。白服とはそういうもの。ラスクと離れたくない気持ちがまったく無かったとは言わない。けれどそれを越えた部分で、キラは今の世界で自分のすべき事を考え、ザフトが、自分の持つ能力を最大限に生かすことが出来る場として判断したから、自らラクスに願い出た事ではないかと思う。自ら組織(しかも軍)に身を置くことは、軍人教育を受けていないキラにとっては一大決心だったに違いない。キラは、おそらく先にアスランに相談したのではないかと思う。(おもいっきり妄想) キラの決意を聞いた後のアスランなら、組織に向かないキラを心配はしても、止めたりはしないだろう。(というか、キラもラクスも言い出したら聞かないわけで、例えどちらが言い出したことであっても、まったく違う理由だったとしても、どの道アスランには決定事項を覆すことが出来ないだけの事だったのかもしれないけどw)
・・・これは事実上、議長の思惑どおりのことであり、「遺伝子には抗えない」という証明になるのかもしれない。でも彼らは遺伝子によって得られた能力を”否定”していたわけではない。遺伝子だけで制限・束縛されることを嫌っただけのこと。だとすれば、己を知る彼らの選択は”必然”ではあっても”運命”ではない。この必然が二人における自由の代償なのだと思う。

カガリは、一足先に自らの責任を全うすべく、自分の在るべき世界へと戻った。一国の姫として育った彼女には、本来なら最初から”個人の自由”等はないも同然だったのかもしれない。カガリがカガリとして自由で居られたのは、ウズミ様あってこと。また、カガリが姫で居られたのは、国と国民あってのこと。ウズミ様亡き今、姫であるカガリは国家元首として己の責任を果たす義務がある。それが何よりの最優先事項だ。ウズミ様は”すべての自由”を守るために自らの命を捧げた。同時にカガリは”父”を「未来の代償」として失なった。カガリの自由の代償は、父を失った事で既に支払っていたのだと私は考える。カガリが国や国民のために一生を尽くすことは、例えどんなことがあっても変わることはないのだから。
ただ、カガリ個人にとって、今回のアスランとのことは決して代償などではない。何故なら、アスランは失われてはいないから。(互いに)「今はその時期ではない。」と、ただそれだけのこと。ちょっとの間、封印しただけ。(・・・だよね?)

アスランは・・・、彼はいつも代償を払ってばかり。おそらく一度として自由ではなかったのに、いつでも自由の為に「全て」を引き換えにしているとしか言いようがない。友であり、父であり、国であり、自分の居場所を失ったことが、まずはそれに当たるのだろうけど、これはほんの一部でしかない。アスランの場合、逆に”負の遺産”を背負い込んじゃったりするから、とにかく話がややこしくなってしまう。
アスランは、心と身体はここ数年で著しい成長を遂げ、何にも代え難い、様々な経験値は誰よりも高いといえる。けれど彼が具体的に得たものは、今となっては無いに等しい。(ガカリであり、キラやラクスという、かけがえのない者達は別としても。)
彼の活動は、常に不特定多数の「誰か」の為であり、その「誰か」の中にかろうじて自分も含まれている程度のもの。ザフトに復隊したこと、そして2度の脱退は、すべてアスランの自由な個人意志での決断ではあった。しかし自由のない”組織”に復隊する事に、自由を求めるなどは到底あり得ない。「ザフトとは何か。」それは彼自身が一番良く知っていたハズだった。なのに・・・。結果、それ故の制約と制限に苦悩し、再び敵味方ジレンマに陥る彼を見ているのがとても辛かった。
全ての人々の幸福と平和な世界を目指す彼の”夢”であり”目標”は、単なる「アスラン・ザラ」という個人には果てしなく大きすぎる。でも彼は決して諦めることをしない。だからアスランは、常に自分自身の持てる全てを代償として支払い続けてしまうのだろう。
それでも、当然アスランにとってカガリのことだけは、代償でもなんでもないといえる。唯一、彼が得た確固たる自由は、「カガリを想い続ける事」だと思うから。彼が自由である限り、その想いは決して消えることはない。これは、カガリ個人も同じはず。・・・簡単に言えば、「思う(想う)」ことは誰でも「自由」だということ。「想う」という行為は、唯一人の心の不可侵領域内でのこと。決して他人がどうこうできるものではない。例えばメイリン。彼女がアスランに恋をしようと誰にも止めることは出来ない、ということでもある。(よって私はメイリンに対しては何もいうつもりはない。)
確かに、触れ合うことも語り合うこともできない、ただ「想う」だけの今のアスランとカガリの間にあるものは、互いが互いでも知ることの出来ない、とても不安定で曖昧模糊なもの。・・けど、まぁ、アスランであり、カガリでしょう?ならばそういうことだし、良くも悪くもいままでだってねぇ~と、逆に確信を持てそうなことでもあるわけで、とにかく二人が自ら歩み寄る形で動くのを、ただだた信じて待つしかなく、でもきっと大丈夫、そう思い込むよりほかない。私は見守り続けましょう。

-----------------------------------------------------------------

世界に対して、アスランも、カガリも、キラも、ラクスも、そうして「自由の代償」を支払っている。
先に、「自由の代償」とは、「自由」を求めたことに対して「自由」を引換にすることのように書いた。けれど、それら全ても彼らの「自由意思」だということを忘れてはいけない。
「自由」を追求すること自体が既に「自由」であり、「自由」を求めて闘い続けることこそが永遠に「自由」でいられるということ。実質そういうことなのだと思う。
肉体的な拘束や監禁、四肢を奪われたような状態が本当の意味での不自由。それでも心だけは自由かもしれない。けれど、エクステンデットのように「脳」という肉体を司るもの全てを他者に支配されたとなれば、これは完全なる不自由。心に自由があるかどうかも定かではない。
実際のところ、彼らの責任の取り方、自由への代償は、世界に対する「自由」であることへの償いという形で示されたのかもしれない。言うなれば対価交換か? 求めるものあれば、それなりの対価が必要。その重さ・大きさに対価は比例する。見合っただけ役割を担うこと、それが彼らの対価だ。

「自由の代償」とは、「約束された平和な世界」を棒に振らせた彼らが、混沌とする世界を治め、世界にわずかでも安寧をもたらすために努力し戦い続けることであり、すなわち、彼ら自身。そんな風に私は考える。(・・・・考えたい。すくなくとも本質は。。。)

彼らは希望をなくさない為に、自由を守ることを選び、戦った。
自由とは、単に”勝手気まま”ということではない。
また、夢や希望、未来でもない。
自由とは、物事の始まり、原点に過ぎない。

「自由の代償」とは、常に「自由」そのものなのかもしれない。

« 2006年12月 | トップページ | 2007年6月 »