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2009年1月22日 (木)

心境の変化、ではないけれど。

福田監督から「映画、ちゃんと作ってます」発言があり、ホッとしたところに「SEED」の再放送が始まり(何度目かではあるけれど)、DVDをすべて保有しているのも関わらず、毎週を楽しみにしている自分となった。
先の展開を熟知している今では、「あーあ、なんて余計なことを・・・(溜息)」とか「本当はそうじゃないでしょ?~(泣)」とか呟きつつ、まだ未熟な彼らを温かい目で見るだけなのだけど、「ここで終わりかよ!」と次が見たくなるEDの入りと音楽の使い方にはやっぱり見事だなーとしみじみ思ってしまう次第。そうしていると、やはり映画ではどんな世界が描かれるのだろうと考えてしまうし、何気に頭の中でアスランとキラの変化(成長)を分析し直してしまったりもする。
そんなこんなでツラツラと思ったことだが、文章に起こす事で過去に自分が思っていた事との差異や、これから変わるかも知れない考え方の参考にと、(久しぶりに)ここの残す事にした。
以下はあくまでも自分自身のための雑記で、思ったこと一旦全部吐き出して、組み立て直したり、再リセットするための準備のようなもの。よって、客観と主観が入り混じっているのは自分でも分かっているし、特にアスランに対しては希望・願望・仮説までが入り込み、焦点がぶれまくっている自覚もある。一記事としての起承転結は無いモノと思って欲しい。

事態に巻き込まれ流されていくなかで、実際に見て聞いた体験と、人との出会いから
漠然と良くないこと、正しいと思っていたモノを確信し、自らの意思で自分の居場所を定め、道を切り開こうとしたキラ。
過去の行いに対する罪悪感であり、増え続ける犠牲、事を成し得きれない無力感はあれど、挫折感はあまりないまま、前進するのみ。

明らかに間違っているモノ、正しいと思ったモノに対して正面から挑む決意を持ち、
正しいと信じた、組織としての善悪の判断に従ったアスラン。
しかし、見て聞いて、さらに今を信じる根拠を問われた時、何一つ明確な答えが見出せない自分にたどり着き、真に自分が進むべき道を模索することとなったアスラン。信念を打ち砕かれたと同義な挫折を味わった上での原点回帰を繰り返す。

漠然にも曖昧にも「なんとかなる」と、その時その場で考えて、ダメならその場で引き返す、あるいはダメでも無理やりこじ開けるのがキラ。
理想がそのまま信じる道だから、全てにおいて果てしなく、天井が無い状態の中に身を置きたがる。
「いつも心はフリーダム」もあながち冗談ではなく、奔放さが彼を閉じ込める事をしない。
限界を決めない、知らない事が彼の最大の強さであり、欠点ともいえる。
そして、ラクスあっての今のキラ。雲を掴もうとする彼を理解し、愛し、彼の能力を最大限に生かせる環境を整備しているのは彼女。その上で彼を野放しにして、全てを託すのだから、その懐の大きさといったらキラの上を行く。
キラが、ラクスの様々な期待に様々な「アイ」で応えるのは必然といえるが、期待に応えることはキラ自身の権利(自発)であり、決して義務ではない。

常に確固たる何かを求め、自分を過ちを知る自分を信じて、信じたことに突き進もうとする。何事にも頂点にたどりつくことで、万全を期する努力を怠らず、想定外を想定し、臨機応変な対応もできる。
「正しい」と信じられる内は無限の力を発揮させるが、ひとたび「正しさ」の迷宮に迷い込むと、信念の強さが反作用して、迷路から「正しい」出口を探しだそうとして力を出し切れなくなる。けれど、絶対はないと知っているから自分に納得が行くまで答えを探し、求める出口が無い事の確証が得られれば、壁を壊すことに躊躇も容赦もしない。ただ、後でふと上を見上げれば、天井など最初から無かったと知り、知らず知らずに囲いの中に安心を求めていた自分だと知って愕然とすることも。
限界を知り、挫折を経験した者だからこそ見えたり見えなくなったりする天井。与えられた環境で繰り返された苦い経験に深く傷ついた彼だが、今度こそ、全てにおいて答えは自分の中にしかないことを悟ったはず。3歩進んで2歩下がる。挫折の痛みに耐えながらも確実に前進しているのがアスラン。
その中でのカガリの存在は、ガガリが背負っているモノも含めると、時に無限のパワーの源となり、時に最も強固な足かせともなる。
客観的に見れば、カガリとは非常に厄介な存在かもしれないが、アスランは厄介などとはまったく思っていないだろう。
ぱぁっと燃えあがったファーストラブが終わった今、この先も決して赤い糸が切れることはなくても、付かず離れずの距離を保つだけで、本当の意味で結ばれるのは、何もかも終わって、世代交代する頃なんじゃないかな?って思うこの頃。そういう愛し合い方が似合う2人な気もしている。
もしかしたら、どちらかが他の誰かと結ばれる事があるかもしれない。でも、それは今度は互いが納得づくでのことのはず。静観すると決めた私ではあるけれど、それはとてもツライ事だし、たぶんく泣くと思うけど、それでも最後は許せそうな気がする私かもしれない。(勿論本音の本音は絶対に嫌だし、結ばれないならどちらも生涯独身と信じているけれど)
だから、今の段階での根拠のない確定発言は謹んでもらいたいし、余計なチャチャを入れてかき混ぜるなどは御法度のこと。
Cap057_j 「FINAL PLUS」のOPでは、SEED4期以来、決して重なる事のなかった手と手が重なり合った、それは事実で私には間違いなく真実。結論だと思っている。
映画に際しても、あえて焦らすような作り方はやめて欲しい。尺の短い映画での恋愛パートは確定事項がわかる絵で見せてくれれば十分。説明もなくていい。ケリがついたところを見せてくれればそれでよい。

キラとアスランのベクトルは同じだが、迷いを迷いのままにできるキラと、迷いに答えを求めるアスランである限り、性格から、時に道程をたがえてしまうのは無理からぬ事。DESTINYでは、結果としてキラが正道であり、アスランの寄り道は間違ったモノとなってしまったけれど、間違いの経験値は間違った者にしか与えられない勲章のようなもの。
例えば、またどちらかが間違うようなことになったとしても、互いを刺激しあい高めあうことになるのならば、なんであれ無駄な経験などひとつも無いわけで、2人の友情と絆は一生涯続くものと信じられる私だ。(でも、もうアスランばかりを間違わせたりしないでね、とちょっと思ったりも)

「絆が試される」という映画(のはず)も、きっと乗り越えてくれるよね。

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