2006年10月29日 (日)

今日は、アスランの誕生日♪

ちゃーんと、深夜0:00にお祝いをしました。
その時点で、『アスラン 誕生日』というなんとも簡単な単語で”検索”をかけてみたら、カナリの数のブログさんがお祝い記事をアップしていました。”さすがアスラン”だね。

しかし、アスランはいったい何歳なのでしょう?

SEED時(C.E.71)で16歳は確実。DESTINYはその2年後ということで、少なくともアーモリーワンに居たときは18歳だったハズ・・・でも、ハズ(笑)
西暦とともに時間が流れていれば、今年20歳なんだけど・・・DESTINY終了時から、「年を取っていない」との意見もあり、やっぱり19か20には違いなけれど”不明”というのが妥当な気がする。
劇場版がどこから始まるのか、だな。”停戦協定後”以降は確実だろうけど、直後とは限らないわけで。またその2年後3年後と、西暦の流れに合わせてある可能性だって無きにしも非ず、だし?(but、ロン毛なアスランだけは勘弁して欲しい。切望!!)

さて本日の献立、”ロールキャベツ”(一応アスランの好物ということだからw)

ロールキャベツといえば、ソースの定番はなんだろう?やっぱりケチャップなのかな?ケチャップは給食でのイヤ~な思い出があるのよね。ちょっと洒落た(?)ところでホワイトソース仕立ても嫌いじゃない。でも私の一番はおでん風かなぁ~とやや邪道??
アスランの好みはどれかな?と思いつつ、カリダママはどうを作ったのかな?レシピなんてどこにもないもんなぁ、と思いつつ、結局”シチュー仕立て”にしたのだった。

『アスラン、お誕生日おめでとう!!♪(*⌒ー⌒)o∠★:゚*PAN! 』 byたいむ

2006年10月25日 (水)

プロフィール写真、更新。

ここの前身ブログ『Athrun:time』のプロフィール写真でも使用させていただいてました瀬無さんの”新作を早速頂きました。

可愛らしい”ちびあす”。とってもキュートです!
今まで使用させていただいていた”あれっくす”も、前身ブログに居る”あすらん”もどれもこれも可愛くってお気に入りでしたが、”ちびあす”素敵です。(意表をつかれたしw)
ありがとう瀬無さん!! いずれは、・・・なあすらんも宜しくね!(くどいw)

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Cagaicon_1


※この画像は瀬無さんの作品であり、無断借用・お持ち帰りはご遠慮ください。

2006年10月24日 (火)

電撃攻撃!

『遠雷~遠くにある明かり~』
初回特典:オリジナル描きおろしピンナップ仕様
「アスラン・ザラ」

公式ページに載っていた絵は、店頭でも見ることができる。
             Dsc00110_3
さて、問題の裏面。
                 Dsc00113_5
ビシビシバリバリドドドドーンって、遠雷どころか”落雷”。(直撃は回避)
うへぇ、ナンダコレハ。素敵は素敵なんだけど。どうしてこうなってしまうんだろう?
垂涎・・・そういう意味だったのか(大汗)
※よ~く見たい方は画像をクリックをしてください。

2006年8月22日 (火)

アスランの油断?~FACT FAIL 97(補足)

『GUNDAM FACT FAIL 97号』での「油断」に対する個人的見解についてちょっと補足。
他の説明文で散々アスランのパイロットとしての資質や優秀さを持ち上げてはみたものの、フリーダムにはあっという間にやられちゃっう事実があるわけで、それに対する言い訳をファクトファイルが付けたんだよなぁーと笑っちゃったのね。
>「”油断”ね(笑)」
そういう意味。そうとは思いつつも、折角アスランを褒めちぎってくれたから、そんなファクトファイルのために無理やり説明もつけたけど、かえって中途半端になっちゃったみたい。
結局は油断が無難な表現なのかもしれないけど、ここで言う所の”バラバラにされたことに対する反応の遅れ”という油断の意味ではなくって、もっと心理的なものにおけるアスランの油断(に似たもの)がないとは言えない、という感じのことが本当は言いたかった。

アスランは、キラとは話せば分かり合えると思い込んでいたのだし、最初から戦う意志など無いわけで、そもそも覚悟なんてありようもない。そう思えば、成り行きとはいえ戦うことになってしまった戸惑いから生じた油断という表現も間違いではない。(持ち上げつ意味は置いておいてw)けれど、その”油断”が直接バラバラにつながるかというと、それは違うでしょう、と思うのね。

ここまでの戦いに於いて、アスランは自分の正義と正当性をこれっぽっちも疑ってないのね。ラクス暗殺のことは知らなかったにせよ、ディオキアのラボやステラの事など、逆にキラ達の見ていないところも沢山見ているし知っているから。
だから、キラ達の行動には戸惑いを隠せないし、納得するわけにはいかない。
されど、キラだから。
話せば解ると、それこそ信じ切っていたのだと思う、アスランは。そこに第一の油断はあるかもしれない。(そこまでは一緒)
それが話しても話にならない、通じ合えない苛立ちによって感情に走り、冷静さを欠いてしまったところに隙がでる。それが第二の油断といえる。
さらに、アスランの”地球軍VSザフトの構図”のなかには寸分たりとも入っていなかった、”カガリ個人の想い”をキラが持ち出した事での動揺。(オーブ軍はともかく) これが第三の油断につながるのもであり、これこそが最大の油断。
”カガリ個人”はいわば、アスラン個人の弁慶の泣きどころ。いきなりそんなところを突くという、言うなればキラの完全なる公私混同な言葉による不意打ち。手も足も出なかった、出せなかった。というのが本当のところではないかしら?とも思える。バラバラは”油断”というよりは”受け身”に近いかと。
はじめて本編を見たときの私の衝撃がそんな感じだった。
キラってばあんまりだ。自分の意見を言いまくるだけじゃなくって、人の話も聞けよ~というのもあり、また、キラの言葉によって、アスランはカガリの気持ちを慮ることを疎かにしていたかもしれないと思い知らされた部分でもあり・・・とにかく複雑なのだ、ここは。

といっても、それは本編の表面に現れた部分から。本編にはない海底では既にイライラ・ぐずくず・悶々・ぐるぐるが始まっていたアスランではないかしらと思ったり(笑)
キラの反則技にはアスランだって悔しさを感じていたことでしょうし。戦闘不能状態どころか、そのままバラバラというのは戦士として屈辱でしょ。(言葉の金縛りの為に動けなかったのだとはわかっていても)
正道に乗っ取って”戦いの道”を選んだ自分に対して、キラのような公私混同は、アスランにはたぶん真似できないこと。真似できたら・・と思ってもやらない(できない?)のがアスラン。キラの容赦のない指摘、束縛のない自由な本気による痛さというより、制限ある自分、揺らいでしまった自分の決意と正義を疑うことの痛さが、その後の落ち込みであり、ハツカネズミの発端かなと思う。
小さな大切なものを守りる為に、大きな根本を変えたいと行動してきたつもりの自分。
俺のしてきたことは無神経な事なのか?俺がわかっていないというのか?
アスランにとって、正真正銘の正義による決断を足下から揺るがす事由。こうなってしまってはどうしたって”初心”に戻ら無ければ整理がつかないのは当たり前。どこで、どこから間違ったのか?その間違いすら思い当たらなければ悩み苦しむのみ。(うぅ~)
いつもいつも原因を自分のなかに探しちゃうアスランだし。

他人の意見を取り入れながらも、最終的には自分で決断し行動するアスランは凄い人だと思うし、立派だと思う。たとえそれが間違っていようとも。
でも、それならそれでもう少しメンタル面を鍛えないとだめだよね。「でないと死ぬぞ」だわね、マジで。それで生き続けているって、身体機能と技術的なものであり、MSの機体の性能と言えなくもないから危なっかしいよ、まったく。

話がそれてしまったけど、ファクトファイルの「油断」からの補足としてはこんな感じ。
それにしては今まであまり語っていなかった部分でもあり、ちょっと雄弁になちゃったかな?それでもこの場面で思っていることの一部でしかないので、別角度からの違う想いもあって・・・・(とにかく複雑な想いが入り乱れちゃうの。キラ視点、カガリ視点、考え出すと支離滅裂になったりして)
なので今回はここまで(笑)。またいつか何かの機会で語りたくなったときにでも、ってことにしよう。

(以下、補足の補足)

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2006年8月18日 (金)

GUNDAM FACT FAIL 97号

16日に発売された『ガンダムファクトファイル97号』
”OTHER UNIVERSES”がアスランであり、セイバーだったので、ソワソワしながら書店へGO! ちゃんとあったけど、結局買わないで立ち読みですませちゃった。

なので(いい加減な記憶に基づいた)雑感を少々。
DESTINY前半のアスランのみの、とても客観的な記述になっていた。
最初にひっかかったのが、カガリとの関係性が『友好』とあっさりしたものだったところ。
「え~?SEEDのラストから鑑みてもそういう解釈になっちゃうのか?」とちょっと異議を唱えたいところ。

以上(笑)

とにかく特筆するところはなかったと思うのね。
客観的な解釈ならこんなものだろうと、私のアスランフィルター全開の目をもってしても表現には妥当性を感じるわけで。
”ザフトに復隊したアスラン”のみが細かに分析されている感じ。結構良く書かれているんじゃないかな?理由とか、於かれている立場とか、能力的な評価は特に。
”眠っていた兵士の資質が目覚め”(のような記述)にはちょっと苦笑い。
「せめて”戦士”にしてくれ・・」というのは私の表記上の好みの問題かw。元兵士には違いないから間違ってはいないしね。
『英雄伝』だの、優秀なMSパイロットとして健在だの(ザフトでもトップクラスで、MSを手足のように操ることができる)、そんな高評価には「うんうん、解ってるじゃん」とニヤケながら頷くのみ。
それによってデュランダル議長の目にとまり・・のような部分には、「議長は最初から”SEEDのファクター持ち”だと知っていたんだけどなぁ。」と突っ込みたいところだけど、これは仕方がないのかな?”スペエディ2”で公式発表?なわけだし。(まだ未発売だし)
2年経ってもその優しさは変わりないとか、凛々しくも精悍さが増した顔立ちとか、やたらな褒め言葉(前記は”ミーアを否定しない”に繋がるから微妙だけど)の登場には、どことなく、くすぐったく感じたりも・・。(私が照れてどうするw)

”セイバーだるま”の部分。
『キラの逆鱗にふれた』には「そうか、”逆鱗”だったか」とその単語になんだか違和感を感じつつも新鮮さを覚えたりして。(ここはアスランの気持ちばかり考えちゃうから)
あっという間にバラバラにされたことに対しては
『キラと戦うことに戸惑いを感じていたことによる、”油断”』(のような表現)
「”油断”ね」(笑) 確かに”油断”ではあるか。キラに対して憤っていても、再び本気で刃を交える覚悟が、あの場で、あの時のアスランにあったとは思えない。相手がキラである以上ね。(キラは見境がないってことなのかしらん?w)

ま、そんな感じ。記憶の糸をたぐっているだけなので、記述は正確じゃないと思うけど、内容は大体あっているはず。
痛くはないから買ってもよかったのだけど、もともと一冊も持っていないシリーズであり、コレを買ってしまうとSEEDアスランやら、カガリやらのいろんなバックナンバーが欲しくなるのは必至。今はそれを探す労力(金銭面も含め)が勿体ないかなぁーって。
様々な、来る日の為に備えて蓄えも必要だしなぁ。

2006年7月27日 (木)

アスラン。

ジ・エッジ最終回より~

アスカガポストカードなどという付録付きのために何処の書店も縛られているのが当たり前であり、ちゃんと購入目的で出向いたのだけど、縛られていないサンプル?を発見して思わずその場で立ち読みしてしまった。

感想。

やっぱり、アスランの基本は”家族”だったんだなと改めて思った。
レイがデュランダル議長を撃った事に対して「何故彼が?」と思いつつも、”父”を撃ったのか?家族だったのか?という思考をめぐらせ、それを理解するアスランだった。
そこから”父”を撃てなかった自分と、父と母と自分を思い浮かべ、自らを省みるアスランの姿に、いままでも、これからもアスランは”父の呪縛”を背負い続けていくのだなと思った。それは決して負の意味ではなく、消せない、消す必要がない過去があるから、未来に臨んでいけるという覚悟ができた、ということなのだと思う。

けれど、「子供がいるのに?」とタリアの決断には納得がいっていないアスラン。

アスラン個人として今一番欲しているものは”家族愛”ではないだろうか?
確かにアスランとしての守りたいものは、キラの、まず第一に守りたいものの対象とは違って身近な者たちだけに留まらず、果てしなく大きなものに繋がっていると思う。
けれど、彼だって人の子。純粋に世の中にある組織の中で、一番小さな組織である”家族”というものを何より大切に思っていたことには変わりないのだと思う。
そしてまた、そこから大きなものへと繋がっていく考え方からして、母譲り、父譲りなのではないだろうか?
家族とは、エゴでもなんでも何にでも変え難い者達であり、最優先するもの。何よりも大切な存在。
それは誰しも同じこと。その思いは間違いでも否定するものでもなく、ましてや恥じるようなことでもなく、それでいいのだと思う。

役割によって、何から何まで背負わなければならないカガリのような存在もある。けれどカガリにとっては国民すべてが”家族”なのだとすれば、それは役割でもなんでもない。自ずと守るべきものを守るということに繋がっているのだと思う。それはそれで自然なこと。
そもそも国とは、小さな組織がいくつも積み重なって構成されているものであり、いわば寄せ集めの集合体。ひとつひとつがバラバラであれば脆く儚いけれど、ひとたび結束すれば、個々の力の”和”ではなく”積”にもなりうるもの。巨大な力が生まれる。しかしそれはそれで紙一重に善にも悪にも働く力となる可能性を秘めている。
それを良き力として発動するためには、良き指導者が不可欠。大家族を導くという大仕事を担うカガリは大変だ。

アスランが家族愛に満たされていたか・・というと疑問は残らないでもない。それでもアスランが家族に拘っているという事は、単なる無いものねだりとかではなく、それなりに充実はしていたのだと思う。(思いたい)
天蓋孤独となってしまったアスラン。今その対象となっているのがカガリであり、キラなのだと思う。選んだ未来の先に、必ず素敵な家族を作れるとそう信じたい。

とにかく組織としての最小単位は家族。それを軽んじないことは大切だと思う。すべてにおいての基盤であり原点なのだから。
家族のために働き蜂になるのも悪くはない。家族の理解を得られていることならば。しかし結果的にでも、もしそれを蔑ろにしてしまった場合は道を誤りかねない。本末転倒となるという危険性が生まれるかもしれない。そんな風に常日頃からそのように思うようにしている(つもり)。
だからね、なんだか嬉しかった。家族の描写があった今回。本編ではまったくなかったことだったから。

ジ・エッジ最終回の感想・・というより、自己満足的勝手な解釈になっちゃったかな?
・・・だってラストがなんだか物足りなく感じちゃったんだもん。
イヤ、ジ・エッジの構成は素晴らしいと思う。見事に”アスラン視点”が描かれているし、ひとつの解釈として納得できるものばかり。
物足りないとは、やはり、ここでお終いということ。
劇場版が完全なるオリジナルの続編だとすれば、この先の展開を想像といえども書き加えることができない。ほのめかすこそすらできないということ。
劇場版情報はまるで皆無。
そろそろ何か欲しいのだけどね。

2006年6月16日 (金)

「ザラ」の呪縛

いつまでもアスランを縛り続けるものが“父親”。
その呪縛からは解き放たれても、心の傷は一生残り続けることと思う。

まるで描かれていないアスランとパトリックの親子らしい光景。
唯一感じられるのが“ザラ家”としての写真。幼少のアスランとレノアママ2人のもの。
私はこの写真の撮影者はパトリックだと思っている。いつも仕事で多忙な両親とはほとんど暮らしていないアスラン。それでも家族が集った“幸せなある日”の一枚の写真なのだと信じている。

捨て身で宇宙に上がったアークエンジェル。自らザフトを離れたアスランに対する第1関門がムウによる意思確認。
「覚悟はあるのか?」
状況によってはザフト、プラントを、そのトップである父を敵にして戦わなければならない。納得したつもりでも、割り切れているのか?といわれればそう簡単に割り切れているとは言えないし、実際、割り切れるものでもない。
「きみは、パトリック・ザラの息子なんだろ?」
気持ちがどうであれ、これは抗いようの無い事実。キラとは違う。“ザフトの軍人”ということでは同じ立場のディアッカともまた違う、“血縁”という絆。
「ザラ」という名前の呪縛。パトリックとレノアの息子として生を受けたその瞬間からの祝いであり呪い。それが名前というもの。

「名はその存在を示すものだ。ならば、もし、それが偽りだったとしたら? それはその存在そのものも偽り・・・ということになるのかな?」
アレックスに対して放たれたデュランダル議長の言葉。
「名が偽りなら・・」おいおい、シャアがそれを言うかっ!てなもんだ。・・・・あ、イヤ、それは無関係だから・・^^)

私はそうとは思っていない。“アレックス・ディノ”という人物は確かに存在するのだから。
ただ、“アレックス・ディノ“は”アスラン・ザラ“ではない、というだけのことであり、ひとりの人間が”アレックス・ディノ”でもありながら、“アスラン・ザラ”でもあるということでしかない。名前がどうであれ、仮にいくつあったとしてもその名を知る人の分だけその名の人物が“存在する”のは間違いないと思うから。(詭弁に聞こえるかも知れないけれど。)
でも、“パトリック・ザラの息子であるアスラン・ザラ”となると話は少し違ってくる。アスラン自身にとっては、当然自分以外の誰でもないということになるし、他の誰にとってもパトリックの息子は”アスラン”しかいない。となれば、アレックスがパトリックの息子であるとは必ずしも言えないし、となればその存在は偽りかもしれない。

議長の言葉は、アレックスの中のアスランを引き摺り出すためのもの。
パトリックの息子としてのアスランが父の呪縛で雁字搦めなのを知っての上で、
「ザラ議長はザラ議長、君は君だ。たとえ誰の息子であったとしてもね」なんてシャアシャアと言ってのける。さすがにシャアだ。(だぁかぁらぁ~^^;;)
議長に必要だったのは、ただのアスラン・ザラではなく、“パトリック・ザラの息子のアスラン・ザラ”でなくちゃならなかったんだね。(もちろんパイロットとしてのアスランではあるけれど)
議長の話はアスランゲットの為の茶番ではあったけど、発せられた言葉には頷けるし、何より、議長自身”人は自分以外の誰にもなれない”と痛感していたと思えるわけで、その言葉は真実だと今でも思ってはいる。けれど、今思えば話の全てがひとの弱みに付け込むようなものの言い様であり、これこそ詭弁だよなぁ、と思わずにいられない。ラクスのことにしたって「居ないんだから、仕方が無いじゃないか!」ってこっちは自己正当化。ミーアはミーアでしかない、ということは置き去りになっている。最初から矛盾だらけなんだよね議長って本当は。(なのに信じちゃった・・・泣)
本当はアスラン自身のことなんて、少しも理解なんてしていなかったのだね。(・・そんなギルに騙されてしまうなんて・・・ううっ)

ムウの意思確認に対して、「わからない」という正直な気持ちをそのまま告白するのがアスラン。常に物事への取り組みに対する誠実さを失わない。それでいながら、
「(よくわからないけれど)願う世界は”あなた方“と同じだと感じている」とのはっきりとした返答には、アスランの心からの真摯な言葉として誰しも感じることだろう。
“わからない”ということを、そのまま「わからない」と口にするのは意外に勇気がいること。“何がわからないのか”ということを正確に相手に伝えることもなかなか難しい。
ほんの短時間で、結論や意思をきちんと組み込んだ形で表現することができるアスランには、「・・・・しっかりしてるねぇ、きみは。キラとは大違いだ。」とムウが舌を巻くのは当然かもしれない。
アスランってやっぱすごいや。(ベタ褒めw)

とはいえ出した結論が、議長の、父の命令に背いていることを重々承知しているわけで、それでも一分可能性を胸に、”父に会って話したい“と思うのもやっぱりアスランなんだよね。どんなに気持ちがすれ違ってしまっていても父親は父親。そして息子は息子。“自分”が父を止めたい。それがアスランの最大で最終の望みだったのではないかな。
だから、アスランが話したい相手はあくまでも”父親“だった。それは交渉ではない。
最高評議会議長の地位に在る人物がたまたま父親だった、ということになるわけだ。とはいっても、戦争を終わらせることができる可能性のある人物のひとりだということには違いなく、”父親“にこだわる理由として決して外せないものではあるけれど。

お互いに腹を割って納得がいくまで話し合い、もし心が通わすことができたならばこんなに嬉しいことはない。息子としても、部下としても。また、たとえ聞き入れてもらえなくとも”息子として“自分の意思だけはきちんと伝えたい。その上で戦う覚悟を示したい。どこまでも筋を通そうとするのがアスランだ。

残念ながら本編の中で、”父子の絆“は全く感じられない。せめて”ムウとアルダの肩車の写真”のようなものが一枚でもあれば、と思ってしまう。(だからカメラマン:パトリック願望)
それでも私は、アスランは決して父親を憎んだりしていなかったと思うし、むしろ尊敬していたと思っている。(そうでなければあんなにいい子に育つはずがないでしょ。)パトリックにしても、アスランを誇りに思っていたに違いない。その優秀さは誰もが認めるものであり、自慢の息子。そして何より愛するレノアとの子供。・・・・でもね、悲しいかなパトリックの全てはレノアだけだったのかもしれない。
パトリックを狂わせたのは、ユニウス7でレノアを失ったこと。彼の時間はそこで止まってしまった。パトリックは、そもそも今まで何のために力を尽くしてきたのかをその時に見失ってしまったのではないだろうか。コーディネイターである自分たち家族が幸せに、安心して暮らせる世界が欲しくて、力の限りを尽くしてきたパトリック。その最終到達点をなくしてしまっては気持ちの行き場がない。全てはそこから始まり、そしてずっとそのままとなる。
「自分はどうあっても幸せにはなれない。」と結論付けてしまったのだから、希望を打ち砕いたモノには憎悪だけが沸き起こる。報復あるのみ。そうなってしまえば、それ以外の事はどうでも良くなった、と言っても過言ではないと思う。アスランの事も含めて。
アスランがね、”女の子”だったら...もしかしたら違ったのかもしれない。コレは言っても仕方がないことだけど。

アスランは、パトリックの異変にもっと早く気がつくべきだったんだね。こんな状況になってもまだそこまでは気がついていない。(それは無理もない話だし、たとえ気がついたとしても、何ができるか?っていえば、何もできない気はするけど)
だから「もしかしたら話せばわかってもらえるかもしれない」(願望)、または「話して分ってもらわなければならない」(使命)のように思ってしまったんだね。
全てをやっと理解した時はもう手遅れになってしまっていた。
それを理解させたものが、完全に正気を失い<ジェネシス>を撃ちまくる父の姿であり、最期の時まで敵を全て滅ぼすことだけに執念を燃やし続けた父の言葉だった、というのがなんとも切なく苦々しい。
「こんなことをしても、戻るものなど何もないのに・・・」
レノアを失った悲しみと怒りだけがパトリックを動かしていたと知ったアスランの気持ちはどれほどのものだっただろうか。それなのにいつまでの父の残した負債を背負い続けるなんて辛すぎるよ、アスラン。
けど、一生背負っていくんだよね、アスランはきっと。それでもそれを必ずプラスの方向へと転換させるアスランだと、私は信じる。

プラントへ戻るにあたって、もしもの時は“ジャスティス”をディアッカに託そうとしたり、シャトルでプラントに向かう途中でキラに戻るように言ったりしたのは、最悪の事態になれば“刺し違える覚悟“と取れなくはない。けど、やっぱり私はこの時点でアスランは心底そんな風に思っていないと感じる。父を信じる心を持つ彼の”甘さ“がそのような言動をさせたのではないかと思っている。
キラに「君はまだ死ねない。わかってるよね。・・君も、僕もまだ死ねないんだ。」
フリーダム、ジャスティスのパイロットとしての自分達は今は欠くことのできない戦力であるという意味を含んだ言葉であり、アスランへの思いやりが詰まった言葉。ツーカーな二人。

「・・・まだ?」
「うん・・・まだ。」 いつ見てもここでの二人の友情には泣けてくる。

キラの戒めもあるけれど、やっぱりアスランが本気で死を覚悟していたとは思えない私。
アスランはいつだって“死ぬ気”で戦に挑んでいるとは思うけれど、いつだって“死ぬ事”なんて微塵も考えてないと思っているから。ある意味自意識過剰であり、負けず嫌いなアスランだもの。
スーツCD5でのアスランとイザークとのいざこざ。
MS戦のシュミレーション時に「ドサクサにまぎれて後ろからアスランを撃つなよ」とディアッカにチャチャを入れられて、「撃つなら正々堂々と正面から撃つ!」と言う紳士的?なイザーク。それに対して「俺は友軍だ」と言いながらも「そもそも正面から狙われて撃たれるもんか」と言い返すアスランだったりするわけでしょう?(笑) 自信満々。

<ジェネシス>での自爆は、まず時間がなく、方法もそれ以外の選択肢がなかったから。
大勢の人々を死に至らしめる大量破壊兵器を平気で撃つまでになっていた父を止めることすらできなかった報いとして、自分の身を呈してでも兵器を破壊する。それが息子としての当然の義務だと思い込んでしまっていただけのこと。
カガリに「逃げるな。生きる方が戦いだ」と言われた時も、その瞬間までこれは任務であり、果たすべき義務として、とにかく<ジェネシス>を破壊することだけを考えていたのだと思う。言われるまで「逃げている」なんてひとっつも考えていなかったのではないかなぁ。死ぬことが楽になること、との意識はまったくなかったと思う。
思うことがあるとしたらカガリのこと。中途半端に巻き込みたくなかったという感じかな?

もともと、最後(だと思われる)出撃時も、戦い自体は命懸けではあるけれど、生きて戻ることを前提に最後の最後まで力を尽くすつもりでいたのだと私は思っている。ただし状況によっては命を投げ打ってでもすべき事を遣り通す覚悟だったとは思うけどね。
キラの場合、ラクスとの別れ方には「うん」という言葉とは裏腹な暗い面影がよぎっているし、振り向かないキラ、だったことだしね。アスランにしても、人によって解釈が違うところではありそう。

父の期待に応えられず、父の意思を継ぐことができなかった自分。また父の所業の償うこともできない自分。どんなに遠い存在だったとしても、アスランにとってパトリックはザラ議長である前に”父親”だった。
やっと世界からその影が薄らいだ頃になって、その父を”正しき者”と、その父の思想が”正しき事”と奉る輩の登場には、アスランが大きく動揺してしまうのは当然のこと。心穏やかでいられるはずがない。
アスランは強いけど、強い分だけ脆い。
自分で決めたことには強い信念を持っているから、結果それが正しくても、そうでなくても、敗れた時はポッキリと折れてしまう。(某金髪のDさんと同様) 
でもそこで腐るか腐らないかといえば、腐らないと思う。が、暴走の危険性が・・(大汗)
でも、「もう大丈夫だ」とアスランは言っているし、私も今のアスランならもう大丈夫だと思っている。うわべだけの言葉に踊らされることはもうないだろうと思う。また、人がなんて言おうと、事実がなんであろうと、もう二度と自分は自分であるということを見失ったりはしないと信じている。

DESTINYでのアスランは、デュランダル議長によって踊らされ、力のないオーブでのアレックスから、再びザフトに戻ってアスラン・ザラとして復活し、力を得た。結局、議長の真の思惑を知ることとなり、再度ザフトを抜け出し、志を同じくする者たちと共に戦うことになった。
某”どっちつかずのアスラン”は、その理由を知らず、ただ客観的に見たアスラン・ザラの行動だけに対する印象なんだと思う。隠れた真実ではなく、事実だけでの評価。確かに事実だけに否定はできない。
けれど踊らされていたとはいえ、その全てが無意味だったかというと絶対にそんなことはないし、アスランがそれを後悔しているかといえば、していないと思う(全部じゃないけど)。
アスランは、「人は変われる。間違いを正すことができる。」ということを既に学習していた。再び迷宮をさまようことになったけど、それだけ自分を見つめなおすことができたはず。それがあって初めて見えた”自分の真実”。
「あなたも変わったでしょう?」タリアに言われたキツイ一言。
その時の結果を考えると”変わってしまった”ことが間違いだったかのような、罪悪感を持たなければならないような感覚になってしまう。そんなことはないのに。
そのとおりで確かにアスランは変わっていた。でもそれはあたりまえ。変わることが必ずしも成長ではないけれど、成長とは変わること。

「変わらずに生きるためには、変わらなければならない」という言葉がある。
アスランの行動は正にこれにあたる。
ザフトへの復帰は、「何もせずに後悔するなら、何かをして後悔するほうがいい」と自ら機会を作り出し、自ら実行に移した出来事。自らを変えるために。
非難されるどころか、逆にすごいことだよね。本来なら。

切掛けは確かに“父親の言葉“に由来するものだったけれど、その先は自分に嘘をつかずに、悔いを残さないためにとアスラン自身が決めたことであったはず。失敗することもあるけど、失敗の経験も全て次なるステップへの糧に変えるられるのがアスランだもの。
「ザラ」の名の呪縛は永遠に続く。けれど、そこに悲壮はあれど悲観はもうないよね。
アスランは、間違いを間違いだと認め、間違いを正すことができる人だもの、もう大丈夫。何度間違ったっていいじゃない。取り返しのつかないところでまで進んでしまわなければ。これからだって、思いとは裏腹にまた道を誤ることだってあるかも知れない。それを繰り返しながらも本当に望む道を選び、切り開ていけるはず。自分の為に、みんなの為にね。
「何とどう戦うのか」
その望む道も、ちゃんと見え始めてきたんだよね。・・・私の思う、”今のアスラン”には。
そんなアスランには、とにかくどんなことがあっても自らを恥じることなく、信じる道を突き進んでいってもらいたい。そして・・・

何が起こったって、暴走なんかするもんか~!
もう”呪縛”だなどと”何かのせい”なんかにするもんか~!

声を大にして叫ばしてもらいましょう(笑)

反省追記:
今回は都合のよい解釈満載。願望色が特に強し。論点も途中で変わってる?
まぁー、自己満足記事なんで、お許しを。

2006年5月26日 (金)

今、望む世界への旅立ち(2)

>>>(1)からのつづき

決意を固め、ひとに頼らなくなったキラの姿に、自分も決断を下すべき時がきていることを悟るアスラン。
立場、使命、命令、しがらみ。希望、夢。家族、友達、仲間。国、世界。昨日、今日、明日。一番大切なコトは何?
”ザフトのアスラン・ザラ”なら当たり前のように、与えられた命令であり使命を遂行ことをまず最優先とするだろう。
では、キラの幼なじみの”アスラン”なら?
同胞でないのならば、それは全て敵なのか? 
戦いに勝って得られたものは何だった?そもそも得られたものなどあったのか?

キラのやろうとしていることの意味を理解し、だからこそラクスはキラにフリーダムを託したのであり、自分にも一分の望みを託して(アスランをよく知るラクスには確信だっただろうけど)、キラへと導いたラクスだ、という事にはじめて気が付くアスラン。
「俺達だってわかる!戦ってでも、守らなきゃいけないものがあることくらい!」

自分が本当は何のために戦おうと決意したのか、本当にやりたかったことが何かを思い出すアスラン。
今まで何のの為に戦ってきたのか?今となってはもうわからない。
けれど、今のこの世界が、戦ってばかりのこんなの世界を望んでのことではないことだけは確かだ。
「本当は、何とどう戦わなければならなかったのか?(ならないのか?)」

今度こそ望む世界を...。この疑問の答えを探すこと、それこそが願う世界への第一歩となり、踏み出したこの時がアスランの出発点であり、この疑問こそがアスランの原点だと私は思っている。

「一緒に行こう、アスラン。・・・みんなで探せばいいよ、それも...さ。」
思いつめたような神妙な面持ちでのこの疑問を発したアスランだったのに、キラのこの言葉に、次のカットであっさり頷くアスランとディアッカだったのには、正直
『へ?(はやっ!)』と思った私だった(笑) 
ま、カガリには「答えはでているのかもしれない」と言ったアスランであり、今までの苦悩を考えれば、そもそも選択の余地などないわけで、既に決めていたことだとは思うけど(笑) ここは小説でこんな風に補足されていた。

そうか---。(とアスランは気づいた) 迷って、いいのか。道がまだぼんやりとしか見えなくても、手探りで進めばいい。今日答えが出なくても、明日にはわかるかもしれない。

やっぱり、ここは新らたなる苦悩の始まりでもあるアスランの原点に他ならない。(結局いつだってここに戻ってくるのだから)
しかし、それと同時にちゃーんとここで「迷ってもいいものだ」と結論付けているのになぁ。それもかなり前向きに。
とはいえ、”迷いを悟る”という事は本来ならありえないこと。”悟る”とは迷いがないことだから。・・・だからこの次に足を踏み入れてしまった迷宮では”迷い→割り切る”へと変化させてしまったわけで、これはこれで仕方が無かったのかもしれない。それで原点に返るのにも時間が掛かってしまったんだろうなぁ(泣)

「・・でも、まだ見つからない」
”何と戦わなければならなかったのか?”という疑問をいつまでも解決できず、DESTINY-8話にてアスランがキラに洩らした弱音。
DESTINYから観はじめた私にとって、ここの場面が決定打だった。
”いったいこのひとは、何をそんなに背負ってしまっているのか?” とにかくこの人の苦悩の発端を知りたい。そう思ってSEEDの世界への逆戻りを決めた。そしてそのまま見事にアスランにハマッタ(爆)
SEEDの主役はずっとアスランだった(笑)。とにかくアスランの視点で見た。だから死闘の果てのキラとアスランの再会→共闘はとてつもなく嬉しいエピソードであり大好きだ。
同時に”何と戦わなければならないのか”という問いは、”望む事、出来る事、すべき事”というカガリの言葉と共に、現実においての私自身にもそのまま当てはまり、それを深く考えていくことの切っ掛けになったという意味では、私にとっても別な意味での原点となってしまった(笑)

アスランにも、この時点でわかったことは、ある。
”こんな事はもう終わらせなければならない”ということであり、”引き金をひく数多のものを止めなければならない”ということ。
それが、たとえ何か大切なものを犠牲にしなければならないとしても、真に守るべきもの、想いを守るためにはそれと、その人達とも戦わなければならない、ということ。

「みんな夢が同じだといいのにね」
議長の思惑を阻止すべく月へと向かう前夜、アークエンジェルの甲板で語り合うキラとアスラン。その時のキラの言葉に答えるアスラン。
「いや、同じなんだ、たぶん。でも、それを知らないんだ、俺たちみんな。」
「知らない」ということをアスランは、すくなくともSEEDでのこの時点で「知った」のだと私は思っている。(やっぱりちょっと忘れちゃったりするけど)
”夢は同じ” 本当はアスランはキラ以上に実感として、このことをより強く感じていたはずだと思う。接してきた人の数や体験や経験は、どう考えたってキラよりアスランのほうが豊富なのだから。こういったものは個人の能力云々ではない。
そもそも身近な仲間を守るためにたまたま戦いに身を投じることになったキラと、はじめから多くのプラントの人々を理不尽な殺戮から守るためにと軍に志願したアスランとでは大きく違う。
見ている(見ていた)世界の大きさが、そのまま闇の大きさに比例し、その分の様々な思惑や想いや雑音に翻弄され、多くの言葉を聞き過ぎてしまったのがアスランではないか?結果、アスランがSEEDでの原点へたどり着くのを遅らせてしまった、ということではないだろうか。

全ての人の意見を反映させるシステムなど皆無。
では何処に基準を置くのか?何を優先とするのか?何を生かして何を切り捨てるのか? それ以前に全てを汲み取ることは本当に出来ないのだろうか?やる前から不可能だと決めてしまってはいないか?けれど果たして本当に出来るのか?そのリスクは?
真に上にたつものが陥る苦悩。
思案に思案を重ね、なんとか可能な限り全てを救いたいと思うアスランではあるだろう。
それでもDESTINYでいえば”割り切る”ということは、上にたつものとして確かに必要であることは間違いない。無鉄砲もギャンブルも時にはハッタリも有りだと思う。けれど”結果オーライ”では済まされないのが責任者。
ここがアスランとキラで決定的に違うところ。
”理性の人と本能の人”、”思考の人と直感の人” まったく、よく言ったものだ(笑)
その差異はずっとアスランとキラの個性として残り続け、おそらく、いずれ再び別の道を歩むかもしれないという可能性を秘めている。それは”敵となる”という意味ではなく、目指す未来は同じでも行き着く先は同じでも、同じ道のりを歩むかどうかはわからないということ。
(※ここでの考察は制作者の意図やメッセージとの対比をほとんどさせていないけれど、監督がインタヴュー内で話していたことは、このような意味なのではないか?と思う部分になります)

キラと共に、志を同じくする者達と共にアークエンジェルで宇宙へとあがる決心をするアスラン。
守るべき理念を貫くため、想いを継ぐ者としてカガリに末を託し、悪しき世界に国が利用されることがないように愛する国を、自身を焼くウズミ。

私としては、やっぱりウズミ様にはカガリの為に生きていて欲しかった。せめてひとりで立てるようになるまでは。
そして、デュランダル議長のアスラン(アレックス)への言葉。
それこそを、為政者であり父親でもあるという立場の、そんな”ウズミ様からアスランへ”と贈って欲しい言葉だったよなぁーととても悔しく思う私なのだった。

と同時に
『生き恥を晒している、と世間に言われようとも、もし、生きてさえいてくれれば、再び混沌とした世界が繰り返されることもなかっただろうに・・・』なんてね。
しかしこちらは完全タラレバの世界。まったく無意味なものでしかない。

それでもあまたの苦難を乗越えて、やっと選んだ未来を進もうとしている現在の彼らであり、とにかく進みだしたその未来を、映画で見せてもらおうではないか!(出来ることなら、幸せな一コマがほしい・・・)

思い入れが特に強い部分でもあり、2回シリーズにしてもまだ長い。
お付き合いしてくださった方に一言。

「お疲れ様でした。m(__)m」

2006年5月25日 (木)

今、望む世界への旅立ち(1)

ジャスティスを受領し、いよいよ本当の意味でのターニングポイントを迎えることになるアスラン。
受領の際に交わしたニコルパパとの会話。
「君はニコルの仇を取ってくれたじゃないか。・・・犠牲はもうたくさんだ。だからこそNジャマーキャンセラーの搭載にも踏み切ったというのに…」
アスランにとっては複雑な言葉だっただろう。
ニコルを死に追いやったのは自分たちであり、その怒りのまま仇討ちとして戦った自分。親愛なる友を殺すしかなかった自分。その”敵”であった友が生きているという知らせに驚愕しながらも、どこかでホッとしている自分。
たとえ立場は違えども、誰しもが「こんな戦いは早く終わらせたい」という思いでいることには変わりないのだということは、痛いくらいに感じながら。

地球に降下し、戦いと出会いの軌跡をたどるアスランは何思う。
「では、ご自分でご覧になったものは?」 一石を投じたラクスの言葉が甦る。
何かを決めるには、まず自分自身を信じなければならない。誰に左右されることなく、自分の目で耳で見て聞いて、確かめて、そして感じる。そこで初めてわかるものが必ずあるはず。もう一度過去をたどることで、その時自分に見えなかった何かをみようとしたのではないかと思う。
視点は反対ではあったけれど、同じ場所で同じものを見、同じ戦いを繰り広げた自分たち。同じだったハズの”キラ”には見えたものを。
偶然か必然か、マルキオ導師との邂逅もまた、見えなかったものへのヒントとたりえ、そして今のキラを知る上での(生存の確信も含め)大切なプロセスとなったことは確かだろう。

確かにキラは生きていた。
戦闘中の見慣れぬMSを前に、そのうちの一機がフリーダムであり、すなわちキラだと把握した時のアスランはおそらく、まず“安堵“だったことだろう。
けれど圧倒的にフリーダムが不利な戦況であり、キラの危機に己の使命も忘れ(?)思わず援護してしまうのは、いかにもアスランであり納得以外の何者でもない。
もし、対戦相手が地球軍ではなくザフトだったら・・・その時アスランはどうしただろうか?
もしかしたらそれでもアスランは、、、イヤきっとアスランなら同じ行動をしただろうと私は信じる。
「この介入は、俺個人の意志だ。・・・」

長い時と軋轢を経て、やっとやっと語り合うことが出来た2人。
望むもの、想いは同じだった。同じ疑問を持ちながらも、そうと知らずに戦ってきた自分たち。
”変わらずに、変わっていく”ふたりであり、お互いにそれを確認し合うふたり。
簡単に言えば”成長”ということなのだろうけれど、この場合はもともとあった形のない漠然とした想いを”表現”するすべを得たということであり、本質的にはなんら変わっていないということになる。それが、
「キラ、変わったろ。」というカガリの言葉に対する「いいや、やっぱりアイツだよ」というアスランの答えだろう。いかにアスランがキラの性質をよく知っているか、ということだね。それはキラがアスランの、であることも間違いないだろうけれど。

そうだなぁ、例えばそれは”スーツCD1・2”でキラが「”トリィ”を作りたい」と言った時と同じ感じではないだろうか。

「ちょっとまて、今なんて言った?」
「鳥」
「トリ?」

「この位ちっちゃくてさ、手の平や肩にとまって、で、こう首傾げて鳴いたり・・・」
「まさか・・と、ぶ?」

「そりゃ、飛ぶでしょう、鳥なんだからっ!」
「”飛ぶでしょう”、じゃ、ないだろう?!。。なんだってそんな!...あぁ.~~...キラ、ホンキ?」

「え?ダメ?カワイイと思うんだけどさ」
「そりゃカワイイだろうけどさ、そんなの本気で自分で作れると思ってる?」

「やっぱ難しいかな?」
「決まってるじゃないか!首傾げて鳴いて、肩にとまって、飛ぶんだろう?!」

「うん」
「俺にだって簡単じゃないぞ。それがマイクロユニット苦手なキラに、2週間で作れるのか?」
「うっ」
「キラ、課題なんだから、条件を満たしていればいいんだ。もっと簡単なのにしろよ。」

「...ん~~~」

マイクユニット製作がすごく嫌いなキラなのに、アスランでも一筋縄ではいかないようなモノを作りたがる。すでに頭の中ではできあがっている完成品を夢見ながら。
どうせなら欲しいモノ、欲望に忠実なキラ。自分の現在の能力以上のコト
を平気で口にする。この時点で出来る出来ないは二の次であり、ひょっとしたら”誰かの助けが有れば出来るかもしれない”という甘い考えもちょっぴり含んでいるのだろう。そして言い出したら聞かないのがキラ。
アスランに言わせれば、キラのマイクロユニットは製作は”苦手”であってまったく”出来ない”わけではない。要はやる気の問題。

状況も話している内容もまったく異なることであり、その深刻さは比ではない。けれど”トリィ”を”夢”に置き換えてみたらだうだろう? まさに同じような会話をしていないか?このふたり。

そんなキラが今、本気でやる言う。戦わない為に戦うのだと。
無茶だとわかっている選択をし、それでもやれるだけのことをやってみると言う。
たとえ諭してみても、このキラの決意は止められない、ということは当のアスランが一番よく知っている。
変わらないキラ。変わったとしたら、自分に頼らなくなったコトくらいか・・・?驚きと納得とが入り交じり、嬉しくもあり寂しくもあるアスランだろう。ほんのちょっぴりの不安と心配も含めてw

”誰かの助け”・・・想いを同じくする人たちが集まれば、可能性は少しずつでも高くなるかもしれない。けれど「一緒に行こう」とは言わなかったキラ。アスランの立場も理解できるのだろう。
「---ぼくたちも、また、戦うのかな...」
”君がこのままザフト軍として立ちはだかるというのなら、僕らは戦うしかないんだね”という意味が込められた言葉であり、本当は戦いたくなんかない、君もそうだというのなら・・・という希望も秘められた言葉。
それは、キラの精一杯のメッセージ、と私は受け取ったけれど。。。多分あすらんもだよね?

・・・・つづく >>>


恐ろしく長くなりそうだから一旦休憩!(笑)

2006年5月11日 (木)

Turning Point

CE71-5月5日「オペレーションスピットブレイク」発動。
クライン邸にてその事態を知ったキラは地球へ戻る決意をする。
何故?とラクスに問われ、
「何もできないからと言って、何もしなければ、もっと何もできない。何と戦わなければならないのか、少し分った気がする」と返すキラ。

アスランとの死闘がキラを大きく成長させた。
「戦いたくなんかない」といいながら、「戦わなくちゃ守れない」と戦い”敵”を撃ち続けてきた。それでも最も戦いたくない、撃ちたくない”友”である”敵”とは決して本気で撃ち合うことなどないという甘えを持っていた。もうひとりの大切な仲間を”友である敵”によって撃ち落された時、そんな甘えた思いは木っ端微塵に砕け散る。憎悪のままに戦い、挙句、自分自身がその”敵”に撃たれる、という皮肉な結果を招くことになった。
私怨---。
「戦争」という巨大なシステムは知らないもの同士、”敵”であるモノとの戦い。けれど殺し合いとその結果は「個」というレベルまでブレイクダウンする。
個人レベルでの憎しみ=私怨は復讐を促し、敵であるモノと同じく、復讐に対して報復で返り撃つ。お互いがお互いに殺戮の限りを尽くしあう。
憎悪に染まった個の集団である組織はいつしか”大義”によって”正義”を見失う。
多大な犠牲を払ってでも、敵である全てを滅ぼせば、全て終わると履き違える。自らも”敵”であるモノ達から”敵”として排除されるべき存在であることから目を背け、全てが滅びた時、己にも何も残らないということを理解しない。
戦いは(憎しみは)何も生まない。ただ滅びるのみ。

それをいち早くから危惧し、広がり続ける連鎖を憂い、和平への道を求めた続けたのがクライン議長を中心とした穏健派(所謂クライン派)であり、その姿を見続けたラクス。
そして、戦いを止めるために今度こそ”真の戦い”に挑む決意をするキラ。
だからこそキラに”フリーダム”を託すラクス。「思いだけでも、力だけでもだめなのです」と。


CE71-5月11日”ホワイトシンフォニー”に於けるアスランとラクスの会見。
おそらくラクスの希望による、ラクスによって計られた会見であり、ラクスのアスランに対する最後通告とも成り得た事実を告げるだけの会見。

戦争のなかで敵対してしまった友との戦いが、私怨からの殺し合いに発展し、ついに”敵”として討ち果たしたとはいえ、そこに残されたものは痛みのみ。
既にアスランも、戦争が非人道的行為であること、組織命令という不条理さを感じてはいたが、立場的な束縛から解放されることはできないでいた。
どんなに理不尽だと思っても、命令に背くことは間違っていることと、何においても誠実で真面目なアスランは、なんとか(自分たちの)ルールの範囲内で可能な限り良い方向に事を納めたいという自己中心的とも思える願望で埋め尽くされ、視野が狭まってしまっていることにすら気が付かない状態。
アスランはこの時までずっと「ザフトのアスラン・ザラ」であり続けていたのだから。

ラクスの言葉はいつも、ただ事実を告げるもの。
キラが生きているということ。
フリーダムの奪取は、国を裏切る(敵対する為の)ものではなく、世界の為に一番必要としている者に託した、ということであり、それが”キラ・ヤマト”だったという事実。
そのキラはフリーダムと共に地球に降下したということ。
自分は”キラと”志を同じくする者だということ。
更に「ザフトのアスラン・ザラ」は組織の中では単なる意思を持たない駒でしかなという事実を最も適切且つ簡単な言葉で突きつける。
そこには「今ここに在る、あなたは誰ですか?」というメッセージも込められている。
何も言わず、聞かず、答えを求めず、その場を立ち去るラクスは「結論を決めるのはあなたです」と無言で語る。
「”お友達”ともお話になられては?」
”アスラン”という人物を良く知るラクスには、「あなたは誰?」という問いかけに対する、アスランが行き着くであろう結論に確信を持っていたに違いない。だから「キラはお友達」とあえて表現するラクス。

ラクスの突き放すかのようなアスランへの一喝。そこに込められた温かいメッセージをしっかり受け止めるアスラン。
見失いかけていたものを、認めたくなかったものを事実として受け入れ、見えていなかった、見ようとしていなかった部分が、まるで霧が晴れるように見え始めるアスランだろう。
この日の、この時の出来事は、まだまだ手探りではあれど、アスランに今までとは違う一歩を踏み出すための勇気を与えたことだろう。
そして、それがそのままアスランの”大いなる決断”をもたらすことへの布石となるわけで、やはりラクスはいつだってアスランの”turning point”に関わる大切な存在だといえる。

デュランダル議長にいいように手のひらの上を転がされて傷心のアスランに、やはり「それを決めるのもあなたですわ」と再び一喝するのがラクス。
でも今度のラクスは「アスランでしょう?」と”ただのアスラン”である事を肯定する。
「自分で決めろ」と甘えを許さない言いようは前回と同じようでいて実は微妙に違うニュアンスを含む。
アスランが今、何を見失ってしまったのかをきちんと理解した上で言葉を選んでいるのだと思う。そこに憐れみは必要ないと、アスランを良く知るからこそ発することが出来るというもの。
憐れまない言葉だからこそアスランの目を覚まし、彼女(と彼)の思いは伝わり、アスランは言葉に込められた自分に対する彼女の信認と信頼と優しさを感じ取ることができ、素直にその言葉を心に響かせ吸収することができるのだと思う。
とはいえ、こう毎度のこととなると、彼女らに頭が上がらなくなりそうではあるが(^^;)
理性と本能ではどうしたって本能が勝るわけで、天才肌と秀才肌では最終的着地点は一緒でも瞬発力の違いは仕方が無いだろうな。
決してアスランが劣っているわけでもなんでもないのだけど、ただただ相手が悪い(笑)
実際、日常生活においては、どう考えてたって”不思議ちゃんキララク”に一般的な生活能力はない(と思う)。全てにおいて完璧な人間などいやしないのだということであり、カガリも含め、この4人はこれからずっとこんな感じで生きていくのだろうと思う。(思いたい)

しかし・・アスランがラクスのたったあれだけの言葉で、本当にそれだけの内容を汲み取っているのかどうか・・・?
アスランのその後の行動からそれは間違いないとは思うけど、一瞬にして理解できちゃうのは”聡明なアスラン”故のなせる業であり、実のところ、アスランも他人には理解しがたい不思議ちゃんたちの言動を(唯一)理解できる特別な能力を持っているエスパーなのかもしれないね(笑)