2012年9月11日 (火)

あわわ。

ココログは、「1年間記事の作成のないアカウントは、自動的にココログのご利用を解除(アカウントを削除)する」機能があるとか。
現在は休止しているらしく、たとえば再開しても削除前にメール連絡くるとのことだけど、ここはどんぐらい更新してなかっただろう?

アブナイ、アブナイ。
真剣に書きまくっていた頃の恥かしい記事とはいえ、あっさり抹消されちゃうのはちょっと残念だからね。

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2007年1月11日 (木)

「自由の代償」とは。

オーブやクライン派に賛同した者たちが「自由」を守るために、支払った「代償」とはいったい何か?
彼らによって世界は、「安穏」で「約束された平和な世界」を手に入れるチャンスを失った。失った世界が、一見幸福そうな世界であっても、果てしなく無機質な世界だということがすべての人々に認識されているかどうかは怪しい。現在の世界はとても不安定となった。
不安定さは人間の恐怖心をあおり立てる。恐怖心は自己防衛本能を発動させ、異質なものに対して過剰に反応し、偏見や差別を生む。己と違うものを全て異端として排除したがる。些細なことから争いが起こり次第に激化していく。いつしか戦いに本来の理由は無くなり、切っ掛けさえあれば総てを巻き込む「戦争」となる。人間が人間である限り、世界はいつまでも混沌とし続けることは必至なのかもしれない。見せ掛けでも、偽りでも「ただ平和」を願う人々が現れてもおかしくはない。
人間とは、自分勝手な、あまりにも不完全な生き物だ。でも、だから面白い。

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確かに「自由」を求めた彼らには責任がある。彼らは「平和」かもしれない世界を打砕いたのだから。
自由の代償として彼らは「自由」を求めて「自由」を引換にする事を選んだ。
ラクスは、「女性としての幸せを望み、愛する人とただ穏やかに暮らしたい」という想いを断ち、政治の世界へと足を踏み入れた。行うことは今までと変わらないとはいえ、今度は内なる反対・抵抗勢力と闘う必要があるだろうし、最悪の場合失脚もあり得る。同志で構成されたクライン派での活動とは大きく異なるわけだ。表舞台に立つということは全てにおいての責任を担うことであり、勝手気ままという訳にはいかない(はず)。本当の試練はこれからだ。
キラをザフトに入れたことは、キラを側に置くための(傍に居るために?)”ラクスの職権乱用”と言われれてるけれど、私はそれは結果論にすぎないと思っている。おそらく、キラから言い出した事ではないかと思っているから。(同じといえば同じだけど)
キラは、フリーダムをラクスに託された時点で既に組織を捨て、己の心の赴くままの行動を続けてきた。最終的には”オーブ軍准将”として組織に所属したとはいえ、建前上のことであり根本的な部分に殆ど変化はない。(便宜上、権力の行使はしたけど) しかし今度こそザフトのいち士官として組織の一員となり、”身内”ではない部下との編隊を指揮する立場となれば、勝手は許されないことくらい承知だろう。いくら階級の無いザフトであっても、理不尽にも耐えなければならない時がくる。白服とはそういうもの。ラスクと離れたくない気持ちがまったく無かったとは言わない。けれどそれを越えた部分で、キラは今の世界で自分のすべき事を考え、ザフトが、自分の持つ能力を最大限に生かすことが出来る場として判断したから、自らラクスに願い出た事ではないかと思う。自ら組織(しかも軍)に身を置くことは、軍人教育を受けていないキラにとっては一大決心だったに違いない。キラは、おそらく先にアスランに相談したのではないかと思う。(おもいっきり妄想) キラの決意を聞いた後のアスランなら、組織に向かないキラを心配はしても、止めたりはしないだろう。(というか、キラもラクスも言い出したら聞かないわけで、例えどちらが言い出したことであっても、まったく違う理由だったとしても、どの道アスランには決定事項を覆すことが出来ないだけの事だったのかもしれないけどw)
・・・これは事実上、議長の思惑どおりのことであり、「遺伝子には抗えない」という証明になるのかもしれない。でも彼らは遺伝子によって得られた能力を”否定”していたわけではない。遺伝子だけで制限・束縛されることを嫌っただけのこと。だとすれば、己を知る彼らの選択は”必然”ではあっても”運命”ではない。この必然が二人における自由の代償なのだと思う。

カガリは、一足先に自らの責任を全うすべく、自分の在るべき世界へと戻った。一国の姫として育った彼女には、本来なら最初から”個人の自由”等はないも同然だったのかもしれない。カガリがカガリとして自由で居られたのは、ウズミ様あってこと。また、カガリが姫で居られたのは、国と国民あってのこと。ウズミ様亡き今、姫であるカガリは国家元首として己の責任を果たす義務がある。それが何よりの最優先事項だ。ウズミ様は”すべての自由”を守るために自らの命を捧げた。同時にカガリは”父”を「未来の代償」として失なった。カガリの自由の代償は、父を失った事で既に支払っていたのだと私は考える。カガリが国や国民のために一生を尽くすことは、例えどんなことがあっても変わることはないのだから。
ただ、カガリ個人にとって、今回のアスランとのことは決して代償などではない。何故なら、アスランは失われてはいないから。(互いに)「今はその時期ではない。」と、ただそれだけのこと。ちょっとの間、封印しただけ。(・・・だよね?)

アスランは・・・、彼はいつも代償を払ってばかり。おそらく一度として自由ではなかったのに、いつでも自由の為に「全て」を引き換えにしているとしか言いようがない。友であり、父であり、国であり、自分の居場所を失ったことが、まずはそれに当たるのだろうけど、これはほんの一部でしかない。アスランの場合、逆に”負の遺産”を背負い込んじゃったりするから、とにかく話がややこしくなってしまう。
アスランは、心と身体はここ数年で著しい成長を遂げ、何にも代え難い、様々な経験値は誰よりも高いといえる。けれど彼が具体的に得たものは、今となっては無いに等しい。(ガカリであり、キラやラクスという、かけがえのない者達は別としても。)
彼の活動は、常に不特定多数の「誰か」の為であり、その「誰か」の中にかろうじて自分も含まれている程度のもの。ザフトに復隊したこと、そして2度の脱退は、すべてアスランの自由な個人意志での決断ではあった。しかし自由のない”組織”に復隊する事に、自由を求めるなどは到底あり得ない。「ザフトとは何か。」それは彼自身が一番良く知っていたハズだった。なのに・・・。結果、それ故の制約と制限に苦悩し、再び敵味方ジレンマに陥る彼を見ているのがとても辛かった。
全ての人々の幸福と平和な世界を目指す彼の”夢”であり”目標”は、単なる「アスラン・ザラ」という個人には果てしなく大きすぎる。でも彼は決して諦めることをしない。だからアスランは、常に自分自身の持てる全てを代償として支払い続けてしまうのだろう。
それでも、当然アスランにとってカガリのことだけは、代償でもなんでもないといえる。唯一、彼が得た確固たる自由は、「カガリを想い続ける事」だと思うから。彼が自由である限り、その想いは決して消えることはない。これは、カガリ個人も同じはず。・・・簡単に言えば、「思う(想う)」ことは誰でも「自由」だということ。「想う」という行為は、唯一人の心の不可侵領域内でのこと。決して他人がどうこうできるものではない。例えばメイリン。彼女がアスランに恋をしようと誰にも止めることは出来ない、ということでもある。(よって私はメイリンに対しては何もいうつもりはない。)
確かに、触れ合うことも語り合うこともできない、ただ「想う」だけの今のアスランとカガリの間にあるものは、互いが互いでも知ることの出来ない、とても不安定で曖昧模糊なもの。・・けど、まぁ、アスランであり、カガリでしょう?ならばそういうことだし、良くも悪くもいままでだってねぇ~と、逆に確信を持てそうなことでもあるわけで、とにかく二人が自ら歩み寄る形で動くのを、ただだた信じて待つしかなく、でもきっと大丈夫、そう思い込むよりほかない。私は見守り続けましょう。

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世界に対して、アスランも、カガリも、キラも、ラクスも、そうして「自由の代償」を支払っている。
先に、「自由の代償」とは、「自由」を求めたことに対して「自由」を引換にすることのように書いた。けれど、それら全ても彼らの「自由意思」だということを忘れてはいけない。
「自由」を追求すること自体が既に「自由」であり、「自由」を求めて闘い続けることこそが永遠に「自由」でいられるということ。実質そういうことなのだと思う。
肉体的な拘束や監禁、四肢を奪われたような状態が本当の意味での不自由。それでも心だけは自由かもしれない。けれど、エクステンデットのように「脳」という肉体を司るもの全てを他者に支配されたとなれば、これは完全なる不自由。心に自由があるかどうかも定かではない。
実際のところ、彼らの責任の取り方、自由への代償は、世界に対する「自由」であることへの償いという形で示されたのかもしれない。言うなれば対価交換か? 求めるものあれば、それなりの対価が必要。その重さ・大きさに対価は比例する。見合っただけ役割を担うこと、それが彼らの対価だ。

「自由の代償」とは、「約束された平和な世界」を棒に振らせた彼らが、混沌とする世界を治め、世界にわずかでも安寧をもたらすために努力し戦い続けることであり、すなわち、彼ら自身。そんな風に私は考える。(・・・・考えたい。すくなくとも本質は。。。)

彼らは希望をなくさない為に、自由を守ることを選び、戦った。
自由とは、単に”勝手気まま”ということではない。
また、夢や希望、未来でもない。
自由とは、物事の始まり、原点に過ぎない。

「自由の代償」とは、常に「自由」そのものなのかもしれない。

2006年9月 8日 (金)

SEEDはキラ、だよなぁ。

自宅では音楽を聴く習慣も時間もほとんどない。音楽を聴くとしたら、もっぱら自家用車での移動中。とはいえ通勤は片道10分程度だし、一枚のCDを聴きあげるまでに数日かかちゃうなんてことも・・・(汗)

♪tears のエンドレスもさすがに飽きてきたので、久しぶりに”SEEDサントラ3・4”のMIXを選んだ。好きな曲はいっぱいいっぱいあるけれど、SEEDでは「翔ベ!フリーダム」が一番のお気に入り。ちなみにDESTINYでは「新しき世界へ~衝撃・正義・自由」かな?とも思うけど、「叫びと撃鉄」がかなり好き。

久しぶりに「正義と自由」や「カウントダウン」を聴いた。
SEED4クールで繰り返し繰り返し使用されている曲であり、戦闘の情景が目に浮かんでくる。
DESTINYと平行してSEED回帰していた為に、SEEDもアスランを主人公として視ていた私だった。けれど、今、このサントラを聴いて頭に思い浮かんでくるのは、キラ(フリーダム)とかクルーゼであり、戦闘シーンがほとんどなんだよね。やはりSEEDの主軸はどこまでもキラだったのだなぁと改めて(初めて?w)思った。
最後の大仕事が残っていたとはいえ、SEED4クールでのアスランはサブに近い。カガリがアスランのハツカネズミを指摘したところで、その先は逡巡が強く描かれることがなくなり、つまり一応決着したという扱いに。「アスラン、一兆上がり。後はキラを纏めよう」って感じで。(だから余裕で最後を見ることができ、キラの真実を客観的に楽しく(?)観れたのだけど。)
そこんとこ、DESTINYでは見事に木っ端してくれたから、最後まで苦しかったし辛かった。(未だに)

DESTINY本編はともかく、今のスペエディはアスラン視点で構成しなおされている。SEEDとDESTINYのそのほとんどを”アスラン主人公”として観てきただけに、何の違和感もなく、今はそれが逆に当たり前のような気になっているけれど、おそらく映画は”キラ中心”に戻されると予測できる。SEEDのようにキラが主人公としての中軸を占め、そこにはラクスが深く関わり、アスランとシンが加わることでガンダムとしての主旋律が形成され、そこにカガリが関与する。そんな構図が想像される。
DESTINYではほとんど内面や戦うことへの葛藤が描かれることがなかったキラでありラクス。そう考えれば、アスラン視点としたスペエディでありながらも、やたらに多いキララクの新規カットは、劇場版における唐突感を減らすための必要不可欠要素なのかもしれないなんてふと思ったりした。

「覚悟はある」と断言したキラ。
そこから始まった新たなる戦いでの試練や苦悩が描かれるのは間違いないと思う。(苦悩と試練はSEEDにつきものだから外せない。) 
けれどそれがそのまま、キラとアスランが3たび敵対し刃を交えなければならない状況という、安易な物語にならないことを祈る。

DESTINYでは達観していたキラ。
人間(いくらスーパーコーディでも)一足飛びに悟れるわけじゃないでしょうに。間が描かれていないから、「一気に昇華しちゃったよー」という印象になってしまった。
劇場版ではキラが中心で、もし、キラの苦悩が再び強くかかれるようなことになれば、もしかしたら、今度はアスランが(ある部分では)見事に悟ってしまったように描かれてしまう可能性はないだろうか?立場が逆転すれば、その全てが逆転現象を起こすことって良くあることだから。
とはいえ、アスラン=お悩みキャラ確定だしね。だけど、最終的には悩む事に対しても前向きであることを決めたアスランであり、今までとは少し感じが違ってくるのではないかと期待。もうどっぷりは浸らないっていうか。
例えばシンから『アスランもいい加減にその悩み体質、どうにかしてくださいよー』とか言われちゃっても、軽くかわせちゃうくらいに。

SEEDのサントラを聴きながら、ツラツラと考えていた今日この頃。
劇場版に関しては考えないほうがいいよなぁーと思っていても、他に思うこともなく、ついアレコレと想像をめぐらしてしまう。イカンなぁ。
色々考えても結局は、「アスラン視点が大きく描かれることはまずないだろう」に至り、中心になって苦しむ姿を見なくていいのなら、それはそれで良いことなのか?と思ったり、でもどこか寂しさを感じてみたり・・・。
そして、キラが主人公ってことは、「ついに私もキラ視点でレビューを書いたりするのかな?」そんな考えがふとよぎったけど、それは速攻で却下。それでも私はアスラン視点で観ようとし、アスランの角度から考察するんだろうなぁ・・ってね。馬鹿だよなぁ。

それにしても気が早すぎか。やはり、”何も考えない”努力をしたほうが良さそうだ。

2006年3月11日 (土)

甘えること。

前回、アスランとカガリの『甘えたいもの同士のすれ違い』は「まずいなぁ」という思いで終わらせていたのだけど、なんだか釈然としなくってちょっとだけ掘り下げてみた。

”甘える”とは何か。

まず、ひとつは社交辞令的”甘え”
「お言葉に甘えさせていただく」という場合のような、そのとおりに”そうさせてもらう”という甘え。

この場合は先方の寛容さ、親切、好意、気遣いなどに対するものでありごく一般的なもの。ほとんどの場合、断ることは無いだろうし、断る必要が無い場合が多い。(それでも断る場合はその理由をきちんと告げることが大事かな)
また、時にはそういったことをあてにする場合もある。

もうひとつは、依存する”甘え”
「○○して欲しい」とか、「××をお願い」とかそのとおりに”してもらう”という甘え。
簡単に言えば、可愛がってもらうこと。

欲求は男女の区別なくあると思うけど、どちらかというと”女性的”な甘え方だと思う。
所謂”甘え上手と甘え下手”は、この”甘え方”ができるかできないか、ということ。
ここから考えると、アスランはまず間違いなく”甘え下手”。相手のことを思いやる気持ちの強いひとだから、自分のことは2の次。
そういう意味ではカガリも”甘え下手”
キラとラクスは、誰にでもというのではなく、甘えてもよい存在には普通に甘えることができる感じ。だからお互いにワガママを口に出して言うこともできる。
ワガママに関して言えば、やっぱりアスランは無理っぽい。結局はどちらも性格の問題かな?(あー、カガリは姫様的ワガママし放題♪)


大抵”甘える”という言葉から受ける印象はこの2つだと思う。
けれど、もうひとつ別の”甘え”があることを私は知っている。

”なにもしない、してもらわない”甘え
放っておいてもらう甘え、必要な時はペースを合わせてもらう甘え。
楽で気ままな、居心地の良い、ある意味自分勝手を許してくれる、そんな癒し的な空間であり、それを作ってくれる存在に対するもの。
疲れているのだけど、何かをしてもらいたいわけではなく、何かをしたいわけでも、何かが欲しいわけでもない。そんな自分をいつもと変わりなく、遠くで静かに見守ってくれていて、けれど手の届くところにいてくれる存在。なにも言わずに手を差し出しても、そっと手を取ってくれる感じで。

この場合、甘えられているほうは”甘えられている”と気がついていない場合が多い。
普段どおりでいて、特に何もしていないわけだから。
それでも、甘えている本人は、心安らいでいく。なんていうかぼーっと好きな人の元気で笑っている姿を見ているだけで、充分元気になることってあるでしょ。エナジーを分けてもらう感じっていうのかな?
言うなれば、とても男性的な甘え方。


依存型が”積極的な「動」的甘え”だとしたら、こちらは”消極的な「静」的甘え”

両澤氏の言う<本当に疲れて大変なときにはカガリに甘えるのは難しそう >の甘えは「動」的甘えであり、”女性的視点”からみた”甘え”に関する見解ではないかと思ったりした。
でもね、案外アスランは「静」的な甘え方で、充分に”甘えている””甘えさせてもらっている”と思っているのではないかしら?と私は思う。
もともと”甘え下手”の男性ってそんなものじゃないかしら?(その根拠は私自身の経験に基づくものだけど、説明がながくなるのパス)
相手が誰であれ、大っぴらに甘えることなんてきっとできない。

そしてこの場合、カガリは甘えられていることにたぶん気がつかないし、わからない。
例えば気がついたら・・・その時はきっとそれとわからないフリをしながらさりげなく核心を突きつつ、さりげなくフォローするだろうね、いつもと変わらずに(ここがポイント)

だから<メイリンの側なら案外ゆっくり出来るかも>についてもあまりどうということはない。これも”女性的視点”からみた想像だと思うから。それに今のところ、アスランのメイリンに対する甘えは”一般的な甘え”のみだしね。これは普通のこと。
確かにメイリンは静かにゆっくり甘えさせてくれるとは思う。だからといって、メイリンに対してアスランが「動」的甘えをするとは思えないし、ましてやそこでまったりと”落ち着きたい”と思うようなアスランではないと私は信じる。

アスランも「傍にいてくれ」とハッキリ言葉に出したい時はあると思う。(カガリも)
だけど具体的な言葉が言えないからといって”甘えられない、甘えていない””甘えられていない、甘えさせていない”ということにはならないんじゃないかな?
カガリは気の強い女性だけど、母性的な愛に溢れている人。
二人の関係はべったりではなくたって、心における存在は大きく、見えない空間の中でだって、遠く離れていたって、いつもどこか結ばれている、繋がっている、そんな関係だと私は思っている。
必ずその中にお互いに対する”甘え”は存在する...と。

(以下:余談)
しかし・・・そういうのに気がついちゃった女性としては(それはそれでいいのだけど)やっぱりちゃんと甘えてくれると嬉しいし、楽なんだよねぇ。
アスランも、もう少し自分自身を前面に出すとか、もう少しエゴになってもいいんじゃないかなぁ?
普通とは逆で、アスランに限りそういった訓練は必要じゃないの?なんて思ったりもして(笑)
「動」的甘えは訓練次第でなんとかできるようになるんじゃないかなぁーってね。

2006年3月10日 (金)

アニメージュ4月号「両澤氏インタ」より

”もうね、あまり喋らないほうがいいんじゃない?” (否定的な意味ではない)

「ロマンアルバム:デスティニー編」でのロングインタビューで、福田監督や両澤氏の思い描いていた”「DESTINY」について”は、私は充分に理解できていた。
そこから考えると、4部作となる”スペエディ”にはこのインタやNTでの監督インタを読むまでもなく、既に期待をしていた。

それはそうと今回のインタネタを某所で拾って読んだ。
そして本日、本屋で立ち読み(笑)
アスカガについて、アスメイについての発言は、概ね私が思っていた事と同じであり、改めて再確認したまでのこと。特に(大きく)異論は無し。
ただこの時点での両澤氏の発言は、どうしても反感を買い兼ねない言葉に捉えられやすく(本編での描写や言葉足らずなのは、そもそもそういうことなのか?w)
話せば話すほど墓穴を掘りかねない、という印象が強く感じられてしまうのはどうしてだろう?
今回も、「もういいから・・」という思いでいっぱいになりながら読んだ私だった。

●アスカガ「勘違い」発言について
正直、この発言当時には私も少なからず憤りを感じた。
それは「勘違い」という言葉の意味(内容)ではなく、”作っている”両澤氏が「勘違い」という発言をしたことに対して。
”作っている”人間が「勘違い」だと言ってしまっては、その後にあるものは”破局”以外のなにものでもないと、夢も希望もうち砕かれた気持ちになったから。
だって”作っている”人間が”ない”言えば”この先はありえない”と同義でしょう?

今回のインタではそこに補足がされていた。

>知り合って好き合ってハッピーエンドって言うんじゃなくて、好きなもの同士でもその後お互いの周囲や別の面、現実が現れてくる。それでも揺るがないのが本物の愛情。
>お互いを知らなさ過ぎるので、その「好き」が盛り上がっての勘違いか本物かがまだ分からないよ

これを読んで、「本物かがまだ分からないよ」の部分がどうしてあの時になかったのかがとにかく悔やまれる。
それならば私は、内容にも発言そのものにも、納得していたハズだから。
もともと、アスカガ二人の”幼い恋”についてはずっと感じ続けていたわけで、

>あの指輪の渡し方は最悪のケース、わざとそう書いたけど

という意図的なものは初めからアリアリと感じていた。
その意図が決定的になったのが「すれ違う視線」。そして(当時)補完するしかなかった「変革の序曲」で確定。
アリアリと感じていたものが、真実だと見せ付けられ、”アスカガを想う者”としては両澤氏を憎らしく思ったのはまぎれもない事実。
”別れさせる為に、あえて指輪を渡して盛り上げたな、チクショー”ってな感じで(笑)
この時すごく冷めた自分がいたなぁ、と振り返る。
理由は解らないでもない、けれどこの先、意図的に距離を置かされた状態の2人を、再び掬い上げてくれるのかどうかまでは、皆目見当がつかなかったから。
そこでの「勘違い発言」はものすごい衝撃であり、ノックアウト寸前。

”幼い恋”については、その「変革の序曲」の時点で書きまくっている(それもひと様のところで)
読み返してみると、アスカガの二人の恋愛について”(戦時中という)特殊な状況下で生まれた愛”とか”こういう愛の場合、簡単に発展した分、壊れるのも簡単だったりする”とか”とんとん拍子の恋”とか表現してたりする(笑)(・・ちょっと・・かなり?反発をくらったけど)
今思うと「=勘違い(肯定)」と言っているのと同じようだね、私(^^;)・・・
言い訳するなら、”私自身”がそう思って書いたのではなく、制作側が”初めからそのつもりで創っている”と(私が客観的に)”感じた”ことを軽い気持ちで”そのまま”書いたということなんだけどね。
でもね同時に、「あえてアスランからカガリに言葉がなかったのはそういうこと※からで、大人の愛へ一歩踏み出したのだろうと思っています。「言葉」は時に人を縛りますから。」
※そういうこと=”気持ちそのままに「好きだ。愛してる。待っていてほしい。(待っている)」という言葉を言うのは簡単だけど今はその時期じゃない”
とも書いているわけで、これが”私自身”のその時の想いであり、こっちが本心なんだよねー。(これを乗越えてれば本物になるんだよーという意味を含んでいるつもりなんだけど、今更後付けにみえるかな?)

最終回でのアスカガ補完はなく、そんなところに最終回終了時の両澤インタから”「勘違い」発言騒動”が勃発。

今回のインタで、「勘違い」という”状態”ついてはまったく異議がなかった私として、”わざとそう書いた”と言う両澤氏の”意図”をきちんと読み取っていたということになり、それが証明されてちょっと嬉しかったりした。(自慢?優越感?・・自己満足だなw)
(そのものズバリ、”意図的なものを感じる”というコメントも”幼い恋”「=勘違い(肯定)」(による反発?)のフォローコメントの中で書いた覚えがあるのだけど、いつどこで書いたのか...自分で消去したアレかな?^^;)

ということで、この度この件に関しては

>だからデス種スタートの時は「勘違い」と言ったらびっくりされた
>彼らなりの愛情があるはずで、それをふたりで見つけていかなきゃならない
>私、あの二人の仲を引き裂こうとしていたわけではないし、彼らのことも好きなので誤解しないで

どことなくお茶を濁すかたちで終結かな。
でもこの両澤氏の補足弁明?釈明?は、”ロマンアルバム”でのインタも”後付け”と批判を浴びていたし、今回も「今更なにいってんの?」と言われ兼ねない気がして・・・なんだか不憫。

●カガリに甘えられないアスランについて
「アスランってこんな人」の中であえて書かなかったもの、「プライドが高い人」

アスランはプライドをもって物事に取り組む人なんだけど、決して「高い」わけではないと思っている。プライドが高いのはイザークだよね(笑)

>プライドがあるから寂しくても甘えたくても言えないが、当然アスランにも弱い部分はある
>アスランはカガリが大事だし,支えになりたいというのは生涯変わらないけど、本当に疲れて大変なときにはカガリに甘えるのは難しそう

う...ん...そう...たぶん。。分るようなちょっと違うような・・・これについてはそんな感じ。

カガリに対しては、”プライドから”というより”強がり”的な言動を取ってしまう傾向はあると思う。それもカガリに心配かけまいとする気持ちからのこと。
でもアスランが「死にたい気分だ」と口走ってしまえるのは、やっぱりカガリにだけであり、(もしかしたらキラにもだけど)それは心を許したカガリへの甘えからくる言葉じゃないかな?って気がしてるんだよね。
ただ、本当にアスランがどうしようもなく迷った時、困った時はどうかな?と考えた時、
たぶんというか、やっぱりというか、ひとりで考え込む可能性は大。そして結論をひとりで決めちゃう可能性は非常に高い、とは思う。
でも、それを察知できる(た?)のがカガリであって、カガリから指摘されて”素のアスラン”が表にでる、それがそんな二人のカタチじゃないかな?って思うんだ。
そこで「ああ、俺はひとりじゃないんだ。コイツが見ていてくれている」とアスランが我に返って想いをポツポツ語りだす・・・それもひとつの甘え方なんじゃないだろうか?
ここで言う甘えが、「”自分から”甘える」というのが難しそう、という意味ならば、この場合にしてもそういうことなのかも知れないけれどね。
ここでの問題はカガリに気がつく余裕がなかった場合、甘えることすらできないという欠点があるんだよなぁ。
でもやっぱり強がりが言えること自体が既に”甘えてる”ってことにはならないかなぁ?


>カガリはカガリなりにアスランに甘えてるけど、ウズミやキサカのような大人の男性に囲まれて育った子の甘え方なので、若いアスランには分からない、振り回されるっていうか・・

今度は逆のパターンだね。これは、そうなんだろうなと思う。
受け止めてあげたいのだけど、どうしてよいのか分らない・・・というのはありえる話で、それはカガリの甘え方云々の問題より、アスラン自身の経験不足だろうね。
それ以前に甘えていると気がつかない可能性が・・(経験不足というより天然?)
ミネルバでオーブに帰還した際、ロクに会話もできない状態でもじもじするしかないカガリに(状況判断の上)理解を示す言葉のみ、ってのがあるしなぁ。そしてそのまま実務的話題に切り替わってしまうし・・・。
これが、ちゃんと謝りたいカガリなのだけどちゃんと謝れていないカガリ、という”大人の男性に囲まれて育った子の甘え方”なのかもしれないんだよなぁー

ここは痛いなー。
本当は、今だから甘えたいもの同士のすれ違い。
ユウナの出迎えやユニウスセブンの件もあって、アスランもカナリ凹んでいた時だし...ひとりぼっちで寂しそうだった。それでキラにちょっとだけ弱音を吐いちゃうんだけど、キラもまだ黙っちゃう状態だったしね。

これはちょっとまずいかも知れない。。。

●キラは特別な存在
「(大丈夫ですか?)って言わないほうがいいよ、アスランは”大丈夫だ”って言うに決まっているから」
そこで「本当に大丈夫だ」とムッとして言い返すアスラン。言った相手がキラだから。
”キラだから”、強がりつつも弱音を吐けるのがアスラン。
この二人は以心伝心だもんね。どちらも全てお見通し。
半分言えば解ってくれるし、分かり合える関係(羨ましすぎ)。

アスランにとってキラが特別な存在というのは未来永劫変わらない。
ひょっとしたら「キラ>カガリ」もありえなくはない(ヘンな意味ではなく) 
(注)命のやり取りとかの究極の選択は考えないでほしい。

>アスランにとって一番気楽なのはキラ
>べったりするわけでなく、疎遠でもない。適度に甘えて、聞くところは聞いて、言いたいことは言い合う。

ということで、まったくもって意見は合致、というか誰の目から見ても明らかだね。

●スペエディについて
”アスラン視点で”ということが監督からも両澤氏からも強調されていた。ちょっと嬉しい。
4部作だから、第一部は「起承転結」の”起”の部分。
アスラン、セイバー受領。キラ、甦るフリーダム。シン、オーブ沖にて初種割れ迄。
とにかく、せっかく視点をアスランに絞るのだから、丁寧に作り上げて欲しいと思う。
もちろん最後までお付き合いするつもりだしね。