2006年10月 9日 (月)

こっそりさん。

可愛いよねぇ~お似合いだよねぇ~♪ 
素敵だけどー、ラストの緊迫感からこの穏やかな微笑みにはまいっちゃうわ。(///∇//)

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2006年7月25日 (火)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-終章:まとめ-

以前の記事「カガリ」で書いた“でもねぇ”について。
やはりそれはカガリに対するやり場のないモヤモヤだったのだと思う。
(それはカガリ自身に対するものなのか、その裏にあるものになのかは定かでないw)
アスランがこれほどまでにカガリを愛しているというのに、カガリはそれすら気が付いてなかったのかよ~・・ということからカガリを冷たい目で見ていた私だったような気がする。それは嫌いなのではなくって、じれったいというか、いい加減にしてくれよぉ、ということであり、ハッキリ白黒付けようよ。ということだったりもして。(それも実は恐いくせにw)
何故か二人に対してだけ、これほどまでに過酷なDESTINYだったのだと改めて思う。それはこれからも続いていくのだろうね。別の道を進み始めた二人にとって、それぞれがそれぞれで、これからが真の正念場になっていくのは間違いないことだから。
(それは決して“アスランが可哀想”などという発想からくるものではなかったことは強く言いたい。アスカガ生殺しは確かに苦しいけど)
カガリをハッキリさせてくれないことから、「アスランはそんなカガリの何が好きなんだよ~」と思わずにいられなくなり、また逆に「カガリはアスランの何が好きなんだよ~」とか言いたくもなってしまったのは確か。私だって真実アスカガ未来の幸せをこよなく望んでいる。それはずっと変わらない。それなのにこの発想に繋がるってどういうこと?と我ながら苦笑いするしかなかった。
例えばね、あくまでも例えばの話。恋人同士であり続けるとか、結婚するとか、それだけが強い絆じゃないと思ったりもしていた。同じ世界を見据えている“永遠の同志”という決着も有りだと思ったりもした。(ただキララクがあまりにもベタベタするから別れちゃうのは嫌だという意地みたいなものはあったけど)。
だけどそこはカガリなんだし、「コレでどうだっ!」っていずれはとんでもない答えを叩き付けてくれるに違いないと、これからもずっと信じ続けることにした。カガリを信じる。アスランを信じる。二人の未来に待つものを私は信じる。今できることはそれだけしかないし、ここのところ長きに渡ってカガリを、アスカガを考えてきてその結果として今ならそれができそうな気がしている。(なんの情報もないから根拠も弱く、願望の域はでないけど)
“勘違い”が制作側の意図的なものだとわかってしまった以上、必然的な予定調和に鼻白む思いをしたことは事実。しかしそれは勘違いじゃなくって、もう一度ゆっくり各々を見つめ直す時間の為のモノ・・ということになった。
アスランがカガリを愛し続けている限りは、そしてカガリも・・・ということならばいつかきっと。そういうことなのだと思いたい。

私の中でのひとつの結論(まとめ)
カガリは確かにカガリだった。けれど、カガリを動かしていたのは、紛れもなくカガリ・ユラ・アスハだったということ。
カガリはカガリ・ユラ・アスハの中の、自由奔放な一面だったということ。
けれど、その自由奔放さがカガリ・ユラ・アスハを成長させたのもまた事実だということ。
そして、アスランが愛したのは、カガリだったということ。
カガリの一面でもあるカガリ・ユラ・アスハを支援することが、カガリを守ることに繋がると信じ、カガリ・ユラ・アスハで東奔西走するカガリに賢明に尽してきたのではないだろうか?ということ。

描かれていない空白の2年はただそんな風に流れていったのではないだろうか?
確かにどちらも同じであることは変わらない。
カガリは、ずっと変わらずにアスランが自分の傍に居てくれ、支えとなってくれていることに感謝しつつ嬉しく思い、また心強く感じていたに違いない。その気持ちは本物だと思う。それだからカガリ・ユラ・アスハを頑張ることも出来た。
しかしカガリはいついかなる時もカガリ・ユラ・アスハであることを強いられたのかもしれない。カガリ自身がそうあるべきだと思っていたのかもしれない。もう姫ではない、国家元首。オーブ連合首長国代表首長カガリ・ユラ・アスハという、国を背負い、国民すべてを背負う者。
アレックスはそんなカガリ・ユラ・アスハを支え続けようとした。でもその心はずっと確かにアスランだった。そこからして何もかも同じようでいたものが、実際は既にそのベクトルが微妙にズレてしまっていた。
自由奔放なただのカガリは、それらによってどんどんとカガリ・ユラ・アスハに侵食されていった。蝕まれていったと考えればSEEDのカガリとDESTINYでのカガリの大きな違いも、どこかつじつまが合うような気がしてくる。カガリの視野があれほどまでに狭まってしまった理由がそこにあるのだとすれば。
アスランも、そんなカガリを黙って見守ることしか出来なかった。それでいながらカガリ・ユラ・アスハとカガリとの同化がそこまで進んでいるとは気が付くことができなかった。
カガリの深層心理には “ただのガカリ”であり続けたいと思う部分が残されており、ひとりの女性として愛するアスランの前ではその思いが特に色濃く現れていたのではないだろうか。その心が一生懸命“カガリ”をさせていたのかもしれない。それがアスランの目を狂わせたのではないだろうか。そこから生まれたのがアスランの勘違い。
またアスランの誤算は、カガリを愛するが故にカガリとカガリ・ユラ・アスハを買いかぶりすぎてしまっていたということ。「カガリなら」とずっと信じていた。ユウナのことも、同盟のことも、何もかも。だから自分が離れても大丈夫だと思い込んでしまっていた。
“人の心”という、これほどまで曖昧でいい加減なモノ以外に何の根拠もないというのにね。“信じるきる”といえばカッコイイっちゃカッコイイけど、アスランもたいがい自分勝手な解釈をしているんだよね、実は。
(・・・うっ、、自分で書いていながら、ものすごく痛いかも・・・・泣)

しかしながら、これらは互いの役目がそうさせてしまったというだけ。大切な何かが見えなくなってしまっていただけ。その何かに気がついた今であるということ。
長い長い迷走の果てに行き着いた場所は振り出し。
長いブランクを置いてもなお、アスランとカガリが人間として個として互いを想いあう心に変りはなかった。揺るがぬ想いは誰にも消せない希望を湛え続けることになる。

「望むこと、できること、すべきこと」
カガリは決してアスランと国を天秤にかけたりはしていない。
指輪を外したのは、両立ができないからと考えたわけでもない。
アスランを誰よりも愛していると、自分にとってかけがえのない人だと気がついてしまったから、外すしかなかっただけ。指輪を貰ったときのカガリはカガリ・ユラ・アスハだったから。
カガリは再びカガリ・ユラ・アスハに、今度は自分の意思でそうなることを決意した。
戻るのではなく、これからなるのだ。
そして、カガリであることをもう2度と忘れない。
アスランに愛されたカガリであり続けるために。
アスランを愛しているカガリであり続けるために。

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かつて、2つの心はひとつになった。
そのすこしあと、・・・・もうすでにそこからカガリの時間は止まっていた。
同じようにアスランの時間も進んではいなかった。
そのまま気持ちだけは変わらずに残った。

けれど、時が止まることはない。
流れ続け様々に変わっていく。変化し続けていく。

再び二人の時間が動き出したとき、
止まっていた時間の分だけ変わってしまっていたことに気がつく。
それでも変わらずに在り続けた確かな想いは消えない。
胸に刻み込まれた想いは、後ろを振り返る為のものではなく、
前へ進む為の原動力となる。
一歩一歩、その足で歩み始める。
変わらずにいる為に、変わり続けようと心に誓う。
自分のために、愛する者たちのために、世界のために、
より良き未来のために力の限りを尽くす。
その未来こそ、自分と愛する人の為のものなのだから。

この先も変わらずに変わり続けていければ、きっと再びめぐり合う。
その日を夢にして・・・

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アスランにとってのカガリ、カガリにとってのアスランは、やっぱり、その運命の出会いから始まって、思想や思考や志、力や立場や行動そのもの、その内に見え隠れする強さ、弱さ、不安定さ、そんなものそっくりひっくるめて互いが互いに共感し合える似たもの同志であるということ。同じ目線で物事を捉え、価値観を同じくし、お互いを理解し合える者として惹かれ合い、愛し合った。それでいいような気がする。
エピソードを逐一挙げてここがどう、あそこがどう、といちいち検証しなくても、それだけで充分じゃないかな。(いいエピソード満載だけどねw)

とどのつまり、最初に戻るというわけだ。
誰がなんと言おうと「空は青いし、だから海は青い」。
でも時に海は碧くも蒼くも変わっていたかも知れない。けれど青いままなんだよ。
・・・それが私の結論だね。

2006年7月17日 (月)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-4章カガリ・ユラ・アスハ-

地球連合軍のオーブ侵攻時。この時のオーブの敵は地球連合軍であってザフトは第3者的立場。けれど味方ではないのもまた事実。アスランの使命はフリーダムの奪還であり破壊。個人の意思で戦闘に加わり、それも援護で介入。挙句に今こうしてここに居る。そのようなことが本国にバレた時の、そんな彼の立場も少しは気になったのかもしれない。
・・・・・・うーん。この時点でそこまではないか?都合よく考えすぎかな? けれどジャスティスを置いて、「プラントへ行って父と話す」というアスランを送りだすときはちゃんとそこまで心配しているわけであり、ただでさえ、国のこと、お父様のこと、自分自身のことキラとのことで頭の中はぐちゃぐちゃだろうに、そんな時でさえアスランを気遣うカガリの懐の深さ・大きさに計り知れないものを感じる。
実はこれがカガリの最も基礎的な部分であり、きっとそれがカガリそのものなんだろうなぁ、と思う。真っ直ぐで、真っ白で、大きくて、柔らかくて、万人・万物において、分け隔てのない愛。すごいなぁと思う。カガリの個性であると同時に、カガリ・ユラ・アスハの資質なのだね。等身大のカガリの中に、しっかり存在するオーブの姫としての培われた資質。ここで
『ああ、そうか。それが姫というものか。カガリは最初から最後まで姫だったんだなぁ』と、やっと私の中でそこに行き着いた。
キラだからということではなく、もちろんアスランだからでもなく、誰だからということの無い、この世のすべてを愛し気に懸けるという”姫様的偉大なる愛”のなせる業とは言えないか?姫の中に根付いている博愛。自覚や個としての区別はなくても。
常にすべてを受け入れようとする愛であり、すべてを包み込もうとする愛。それは決してひとりだけに注がれることのない大きな愛。それがカガリ・ユラ・アスハの持つ愛情。
となればそれは、その愛はいつだってたった一人だけの為に向うことはない。カガリのアスランへの思いは、はじめは恋じゃなくて、“カガリ・ユラ・アスハの愛”だったんじゃないかなぁ。
・・・そう思えば、納得できる部分は多多あるようにも思えてくる。しかしそれは私自身かなり残念なところ。でも、カガリが在って、そこにカガリ・ユラ・アスハの愛を持ち続けることが出来る彼女だから国民から指示され、アスランからも、誰からも愛され続けているではないかと思う。

とはいえ、カガリがアスランに恋していなかったか?といえば、そんなことはありえない。
ひとりの人間としてなんの関心も持たない者の心の痛みや、奥底に隠れた何かを見抜くことなどできっこないのだから。
思うに、カガリの過ちは、まず自分自身がそこにきちんと気がついていなかったということ。大きな愛の中に、それらとはまったく異なる愛情が埋もれているのを埋もれたままにしてしまっていたこと。そこにあると知っていたはずなのに。
愛とは、与えるだけでも与えられるだけでも成立しない。与えて与えられて応えて初めて大きな力となる。本来、無意識などということはありえない。カガリは、あまりにも自分自身を後回しにしたが為にそのことに気が付くことができなかった。
ヤキンの戦いの後、様々なことでカガリの視野がどんどん狭くなってしまった理由のひとつとして、カガリがカガリである前に、カガリ・ユラ・アスハになってしまっていたからではないかと思う。もしくは、カガリ・ユラ・アスハになろうとしていたのではないかということ。弱体化してしまっているオーブという国にために、元のような健全な国へ復興させるためにと。カガリもまた「アスハの呪縛」に囚われてしまっていたんだろうね。

自分を理解しあたたかく見守ってくれるアスランはいつでも傍にいてくれた。当たり前のように。いつも自分の話しに耳を傾け、頷き、時には意見もしてくれたことだろう。彼が今の立場に甘んじていることに苦い思いでいることも知らないではなかった。けれど、それは仕方が無いことだった。自分にはまだなんの力も無いと知っていたから。
「アスランとして、アレックスとして、今の自分にできることをしたい」といって旅立つ彼を送りだした。送り出すしかなかったカガリ。その“カガリ”は、カガリだろうか?それともカガリ・ユラ・アスハだろうか?もしくはその両方?
カガリを見ているアスランに対して、カガリはカガリ・ユラ・アスハを支えてくれるアスランとしてみていなかったといえるだろうか?

アスランが旅立つとき小さな約束を交わした。それはひとりの女性として、カガリとして素直に嬉しかったはず。
ユウナとの結婚。それはカガリ・ユラ・アスハの決断。
カガリとしてならば、アスランに対する裏切行為以外の何ものでもない。
アスランなら、カガリ・ユラ・アスハを許してくれる、そんな風に思っての決断か?
まさか行ったきり帰ってこないなどと、思ってもいなかっただろうに。(結果的にそれに近いものになってるけどw) だけど、そもそもはカガリの、オーブの(もしかしたら世界の?)為に旅立ったアスランだったわけで・・・。いったいアスランが戻ってきた時、どのように言い訳するつもりだったのだろうか?鈍い・・というかほとんど無神経に近い。
コレがあって、「24話すれ違う視線」で決別して、そこではじめてカガリという自分自身とアスラン、カガリ・ユラ・アスハとしての自分、オーブという国、これからの世界、ほか様々なことを考えるようになれたカガリであり、そこから更に大きく成長していく事になるのだけど・・・。痛い。

カガリとカガリ・ユラ・アスハ。どれほどの違いがあるかというと、違いは無い。けれど、同じでもない。どちらも同じ人間ではあるのだけれど。しかしそれぞれの言動の違いは、時に他人には大きなギャップを感じさせてしまうことがある。その部分を一緒くたに理解させてしまおうとすると誤解を生じさせてしまうことすらある。
もちろん逆もある。同じカガリでも親しきものが知っているカガリ・ユラ・アスハと、シンの見たカガリ・ユラ・アスハは全く違っている。別人ほどの開きがある場合もある。お互いが知っているカガリしか知らないから。それを互いに説明し合うことは難しい。それはどちらがどちらと決めつけるべきではないし、付けてはいけないのだと思う。やはりどちらも正解であり、カガリ・ユラ・アスハであることには違いないのだから。

アスランのプラントへの旅立ち時、やっぱりカガリはカガリ・ユラ・アスハとして、最善と思われる決断をし、アスランを送り出したのではないかと思う。そしてアスランもアスランで、アスラン・ザラとして旅立ったのだと。

人は当たり前だと思っていた人と離れて、初めてその人物の存在を意識する。まず身にしみるのが大切さというよりは有難み(笑)。今まで気付くことすらなかった小さなフォローの数々に否が応でも気が付き始める。そこに改めて“居ない”ということを実感し、決してそれは当たり前のことではなかったのだと反省する。自分が知らずにどれだけたくさんのことを与えられていたのかにはじめて気が付き、相手の存在の“大きさ”を自覚する。
けれど大切なのは、そうして自分がたくさんのものを与えられていかに愛されていたか、ということよりも、自分はどれほど相手に何かを与えていたか、与えることが出来ていたか、それどころか与えることを怠ってはいなかったか、ということに気が付くことなのではないかと思う。
離れてやっと気が付くことしては、自分がどれだけ大切にされていたかということであり、相手が自分にとってどんなにかけがえのない存在だったかということ。愛されていたのだと心から思えることなのかもしれない。それでも、それ以上に
「自分がどれだけ彼を愛していたのか」 
その存在の重さ、大きさにまで気が付くことができなければ、もしかしたら、それまでかもしれない。
そして、いま、カガリはちゃんとそこまでちゃんと気が付いたのだと、私は信じている。

実際のところ、カガリはアスランを完全に失っちゃいない。解放したのか、解放されたのか、どんな意味でも少しだけ距離を置くことが必要だと判断してのこと。
それはアスランにしても同じこと。それでも“自分が”愛する人として強く意識していける存在が心に在ることはこの上ない励みであり、生きる希望であり、それだけで力の糧となり、強さに変わる。
愛を知った人間は貪欲になる。だからきっと大丈夫。この二人の何もかもが上手くいく時が必ず一度はやってくる。

散らばっていた様々なものをつなぎ合わせてきて行き着いた答えのようなもの。
自由奔放でいて、実は最初から見えない何かにずっと縛られていたカガリだったということ。それはアスハへ引き取られ“姫“という役目が与えられてしまったことも含めて。
どんどん狭まっていく視野に閉ざされ、その理由に気付かず、尚更に役割を全うしようとして余計に空回りし、悪循環していたのがカガリ・ユラ・アスハ。それ故にカガリである自分を知らず知らずに閉ざし、いつしか履き違えてしまった愛の有り様。
今こうしてカガリを考えてみると、ほんとに良くわかっていなかったなぁーとしみじみ思ったりする。(これにしても個人的見解の以外の何者でもないけれどね)
カガリの聡明さや強さ弱さ(鈍感さ)を理解しようとしたら、大きな“アイ”がないとなかなかたどり着けないものだなぁと、つくづく思った次第。

・・・つづく・・・

2006年7月 9日 (日)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-3章カガリとアスラン-

無人島で出会った「アスラン」という名の敵かもしれない少年。 

キラとは違って、殆ど“敵”。まず緊張感が違う(ハズなんだけどなぁ・・そう言い切れないのがなんともw)
自分を“女”だと知ってからの態度にはどこか粛然としないものを感じつつも、彼の本質は心優しい少年であり、彼もまた無益に、好んで戦争をしているのではなく、自分の思う正義の為に戦っているということを知った。(まだ命令に従うだけのものだけど) 

キラを探して、代わりに見つけたのがアスラン。思いがけない再会。キラとアスランの関係性やアスランの葛藤や苦しみを知ることとなり、それでもアスランに対してそのままの憎しみに近い感情をぶつけるカガリだ。
「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それでほんとに、最後は平和になるのかよっ」
誰にとっても心に響く名言。この言葉はアスランの目を覚まさせる言葉であり、ずっとアスランの心に刻みこまれることになる。が、カガリにしてもともとあった漠然とした思いがここで初めて言葉として形付けられ、それをアスランにぶつけたことでその本当の意味を悟り、昇華させ、真に慈愛の心を手に入れたのではないかと思う。キラを亡くした心の痛手はカガリにしても決して小さなものではなかったはず。自身の悲しみの心を押し留め、慈愛の心でアスランをみつめることによって、アスランを気遣うことができたカガリではなかろうか。
「おまえ、危なっかしい。護ってもらえ」 

それによってキラの敵であった彼が、自ら友を手にかけたのだと言いながらも、その死に対して自分と同じように、もしかしたら自分以上に嘆き、悲しみ、苦しんでいることを知った今となっては、そこに感じられる不器用さが、さぞかし危なっかしく思えたことだろう。 

キラと同じように悩み苦しんでいたキラの友達。多少なりとも関わってしまった自分としては、やはりそのままやり過ごすことなどもう出来ない。それがカガリか。 


「危なっかしい」
前にも書いたけど、多分アスランにとっては青天の霹靂。そんなことを言われたのは初めてのことだったのではないかと思う。「よい子で、しっかりしていて、優等生。」いつも言われるのはそんなものばかりだったから。 

ラクスは、アスランを良く見ていてかなり正確にアスランを理解(把握)しているのだと思う。アスランの誠実さや正義感、意思の強さやその能力。真っ直ぐで固くてやや柔軟性を欠くということも知っているから、その”プライド”に直接訴える形でアスランに突き付ける。
カガリはまた別の角度からアスランの本質を見抜いた。その表面にはほとんど出さない(最近は出まくり?) 苦しみや迷いや葛藤を肌で感じ取り、意識的にも無意識的にもアスランに癒しと安らぎと、勇気と元気と、とにかくいろんなものを与える。そこからアスランの笑顔を引き出せるはカガリだけなのではないだろうか。
カガリの言動は、とにかく良くも悪くもほとんどが本能的であり、感覚的なもの。ThinkingではなくFeeling。それは何も考えていないと言っているのではない。言うなれば第六感のようなものか。とにかく勘がいい。

生きて戻ったキラとアスランの話をしたカガリ。キラにしかわからない話であり、報告するのは話の流れとして当たり前なのかも知れないけれど、カガリがずっとアスランを気に掛けていたから出た話題なのだと思う。 

苦戦するフリーダムにまさかの援護。そのMSのパイロットがあのアスランであり、互いで話し合う為に歩み寄る二人に嬉しさいっぱいのカガリ。「おまえらぁ~」って二人に飛びついて泣き出すカガリ。こうなってはやっぱり誰もが友達感覚。
キラとアスラン話し合い時、二人の為に飲み物を運んだりして甲斐甲斐しく世話をする。ウキウキ気分とでもいおうか(表現的には良くないけど・・別の意味での嬉しさという意味で)。ただ素直に友達の再会を喜んでいるのだろうね。その後、とにかく黙ってアスランに張り付いていたカガリ。アスランに話しかけられるまで黙っていたのは、考え込むアスランを思い遣ってのこととは思うけれど、いざ話しかけられれば「見張っているだけだ」なんて言っちゃって。ホントはアスランと話がしたくてしかたがたなかったんじゃないの?ってバレバレだよね。キラはちゃんと生きていた。どんなにアスランが苦しんでいたのかをその目で見ていただけに、コレだけはどうしても言いたかったんだよね。「よかったな」って。

おそらく、ここで「よかったな」と言われたアスランは一瞬「?」なんだと思う。キラの生存はラクスに告げられた時にこそ動揺したとはいえ、今となれば既知のこと。でも、そこはすぐにカガリの優しさが心にしみてくるアスランだろうね。カガリにしてもそんなことはわかりきっていることであり、「よかったな」というのは、「キラが生きていて良かった」ということではなくて、アスランに対して「お前もよかったな」と言っているのだから。気持ちがあったかいよね。
キラにしても、アスランにしても、自分が「危なっかしい」と決定付けた少年のことはとにかくほっては置けないカガリだってことだ。(フォローも万全?w) 

「キラ。変わったろ」という言葉に、「どこか吹っ切れた感じがするキラはもうほとんど大丈夫」という意味が込められていたかはわからない。それに対するアスランの返答は、それとは噛み合わないものだから。でも、これを機会にカガリの気になる対象がアスランへと大きく傾き出したのは間違いない。
アスランの想いは自分たちのそれを殆ど変わらない。でもアスランには障害が多すぎる。そのまま危なっかしいヤツとして、ただ気になる存在なのか、既に惹かれはじめていたのか、この時点のカガリに自覚はまだない。 

アスランが再びフリーダムの援護に、オーブの為に出撃した時のカガリは嬉しさでいっぱいだったことだろう。おそらく、これが決め手だったのではないかと私は思う。 

自分の立場も顧みず、自分の意思だけで戦いに介入するアスラン。あんなに迷い苦しんでいたというのに。「やはり彼の想いも私と同じだ。」カガリの中での希望が確信へと変わる。
「彼は敵じゃない」。
まったく予想していなかったことではなかったはず。それでも「なぜ?」という思いが少しはあったのかもしれない。だからなんとなくアスランを目で追ってしまう。視線を感じたアスランと不意に目が合ってしまいドキッとしてしまう。ラクスの存在を知り、少なからず反応してしまう。危なっかしいヤツから気になるヤツへ、そして知りたい、知ってほしい存在に変わっていく。 

キラは二人の接点となった。けれど、その出会いからして、それは後からついてきたもの。明らかに、キラとは違った、意識上の存在と変化した・・・はずだった。


・・・つづく・・・ 

2006年7月 5日 (水)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-2章双子-

カガリにとってキラは、いったいどんな位置づけだったのか。これは私にはにはどうしようもないことがある。「先入観念」

カガリは、キラには少なからずヘリオポリスで世話になり、シェルターで別れた後のキラを慮っていたことは砂漠での再会時に口にしている。AAの甲板で泣いていたキラを「よしよし」する大胆なカガリにはちょっとびっくりだったけど、対象はあくまでも「泣く子」なわけで他意は微塵も感じられなかった。(フレイは殺気立っていたようだけどw)
面倒見のよいカガリは、顔見知り(恩人)であり、それでも少しの間に彼が以前とはどこか違っていることをどことなく察知し、キラひとりがコーディネイターである事実を知ったことから、何かに思い悩んでいることも薄々感づいた。その上でキラはただほっとけないヤツ、という感じで接していたようにしか思えないのだけど・・・。というのが結論。
血のつながりを知ってからも接し方に何の変化も見られないカガリであって、それはアスランどうこう、というわけでもなさそうで・・・。その後のキラは完全に弟扱い。能力は認めるけど馬鹿なヤツ。守ってあげなくちゃという存在。姉というより母の感覚だね、ほとんど。
カガリの面倒見の良さは一体どこから来るのだろう?単に「世話好き」と同様の意味でいいのかなぁ?いつも世話を焼かれてばかりだったから、逆に自分が“焼きたい”って感じ? その守備範囲はいったいどのくらいまで???

キラがシンに堕とされて医務室に居たときのフォークに刺したウインナー。久しぶりに“カガリらしい“感じがした。でもそれは完全に肉親に対してのものだよね。
ふと思う。それはキラにだから出来るのか、それともアスランにも出来るのか・・・・・・うーむ。どっちだろう? 
前は出来たけど、今は出来ない。そんな感じかな?

話がそれたけど、カガリとキラの関係性。
DESTINYから観た私には、すでにアスカガもキラカガ姉弟も確定していたわけであり、その眼でしか見られなかったということになる。こればっかりはどうしようもない。甲板ハグでも、無人島での迎えに喜びの「キラぁ~」でも、オーブでの両親びっくりハグでも、生きて戻ってきて飛びついたときも、そこに友達以上のものを感じることはなく、というかまったく感じようがない、と言っても良い。
知らずにレイアはルークではなくハンを選んだし、「バックトュー・ザ・フューチャー」でも少女時代の母親は息子にキスをしても「なんかヘン。ときめかない。」と感じてしまうわけで、血のつながりってどこかわかるものなのかな?と思ったりしてしまう(どれも必然なのだけどw)

キラという子と出会った。ちょっとヘンなヤツで、なんだか危なっかしくって、ほっとけない感じ。カガリにとってはそれだけで気になる存在だったけど、キラにしてもカガリを「おんな・・のこ(?)」と2度も言ってしまうくらい意識がないわけであり、血のつながりは知らなくても初めからお互いの間に性別はなかったのでは。
結果論的想像になってしまっているのはわかるけど、それでも、そのくらいの事はカガリのなかでもちゃんと自覚していたのではないかなぁと思いたい。SEEDをリアルで見ていたら、カガリのキラに対する面倒見の良さはLOVEに繋がるように見えたりしたのかなぁ・・・それはないよなぁ。(・・・そう思いたいところ)

カガリは「人を見る眼、感じる眼」、“見抜く力”には鋭いモノを持っている子。
それは理屈というより感覚的なものに近い。ならば、いくら恋愛ごとに不慣れで疎いカガリであっても、気になっている対象が、感覚として恋愛対象であるかないかくらいのことはわかっていたのだと思いたいが。
一般的に「気になる」ということは=「恋へのはじめの一歩」であることが多い。
もし、そうだとしたら、カガリはまずキラに恋しなくちゃない。けれど、そうではなかった。
同じように、ちょっとヘンなヤツで、なんだか危なっかしくって、ほっとけない感じの男の子がもうひとりいた。それがアスラン。
じゃあ、この違いは何だろう?

・・・つづく・・・

2006年7月 1日 (土)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-1章カガリ-

即、脱線(汗)
カガリのイメージから連想するほかのキャラクター。
リボンの騎士のサファイヤ。スター・ウォーズのレイア。風の谷のナウシカ。ベルサイユのばらのオスカル。(守備範囲が狭いのでこのくらいしか思い浮かばない)
どのキャラもじゃじゃ馬で、威勢のよい女性であり、姫(お嬢)様。
サファイヤは王位継承権の為に男の子として育てられ(アニメ版)、やがて敵国からの侵略に勇敢に戦う少女だった。
レイア姫とは生い立ちも似ている。双子であり、悪の手から逃れる為、どちらも実の両親の手を離れ、また兄妹までも引き離されその存在も知らずに育てられた。宇宙の平和のためにレジスタンスとして戦い、故郷の星を破壊されても悪の力に屈することなく、最後まで諦めなかった。
ナウシカは、国の長たる父を深く尊敬し、風を、植物を、蟲を、谷の人々を、生きとし生けるものすべてに愛を注いだ姫。聡明であり、自らを鍛え、戦士でもあった。一時の感情に流されはしたものの、我を取り戻せば自らを犠牲にすることも厭わない平和と調和を何よりも優先させる少女。
そしてオスカル。オスカルもまた男として育てられた女性。ただし女であることは誰もが知るところであり“男装の麗人”と呼ばれた。しかしながら男よりも男らしく育ち、年頃に成長しフェルゼンに恋心を抱くまではまるで女らしさの欠片もない。活発で、正義感に溢れ、凛々しい。剣の腕は確かであり、政治的駆け引きもお手のもの。さすがに貴族であり傅かれて育ったのでどこか横柄な部分も持つ。恋に破れて、愛を得て、最後まで愛を信じて、愛を貫き、最終的にはその身分を捨て民衆側の立場から国を見て、国の為にその指導者として共に革命へと突き進んでいった女性。
カガリとナウシカは心のありようが良く似ている。けれど一番近いと思うのはオスカルかな。自分より他人に事を大切にするところも、自分を犠牲にしてまで民衆のために力を尽くそうとするところも、恋に不器用なところも、見た目も(笑) とにかくそっくり。毎週土曜差込の朝日新聞「be on sataurday」の『ベルばらkids』を読んで「今週もカガリだ・・」と思っちゃうし(笑)

オスカルを”貴族の令嬢“とは考えないのと同じで、カガリを”姫”とほとんど認識していない私だった。 カガリってなんでアスハ家に引き取られたんだっけ?(確かヤマト家か、ヒビキ家か、ヴィア&カリダの実家か、いずれかと遠い血縁だと聞いたような気もするけど・・)

カガリはその身分からも、当然帝王学は学ばされてきたのだろうし、しかるべき礼儀作法などもきちんと教わってきたのだと思う。・・後者についてはちょっと微妙?お稽古を嫌って逃げ回っていそうだし(笑)。それでも雁字搦めの深窓の姫ではないことは間違いなく、自由にのびのびと、とにかく玉のように愛しまれて育てられてきたのだろうなぁと思う。それはカガリを見れば一目瞭然という感じ。
自分に正直で、仲間を大切に思い、面倒見がよくって、誰からも可愛がられる子。(それがどこで「ガサツで色気のないコ」(3人娘談)になってしまうんだ?)
最初のカガリはとにかく跳ねっかえり。頭でよく考える前に手とか口とかが先に出てしまう感じ。(大好きなお父様に裏切られたと思い込んでしまった分、その衝撃が大きくて反抗的になっていただけのことではあったけど。)
護衛付とはいえ家出。「世間知らず」と言われ「世間」を知るために「世間」に飛び込む行動力はたいしたものであり、見上げた根性の持ち主だ。(そこが既に世間知らずだと言えるのだけど)その飛び込んだ世間で知り得た世界の実情は、確かにカガリの成長に大きく貢献し影響を与えたわけであり、家出もまんざら無駄ではなかったということにはなる。ウズミ様はそこまで計算していたのかな?心配しつつも「可愛い子には旅をさせろ」なのだよね、きっと。
そんな自由奔放すぎるカガリを見ていると、箱入り姫という出自と庶民的な性格がギャップとなって時折私を苦しめる。
何かは忘れたけど、「カガリの○○がおかしい」と言ったところ、「それは、姫だから(笑)」と返され、「それは反則だよ~」と思ったことがあるんだよねぇ(笑)

ところで、カガリの幼少時ってどんな感じだったのだろうね?
えーと、いつもほっぺたを真っ赤にして、犬のようにコロコロと転がっていそうな感じ(笑) しかも好奇心旺盛で何にでもちょっかい出して怒られる(笑)
残念ながら、カガリだけのエピソードがどこにもない。同じくどこにもないがアスランとカガリの日常。どうしてなのかな?欲しかったな。そうすればもう少しわかる何かがあるのだろうになぁと思わずにいられない。(だから、少し前に紹介した「ルージュの足慣らし」のエピソードが唯一という感じでとっても好き。)

私にとってカガリがどんな子かというと、長所が短所であり、短所もまた長所になるという感じであり、そこはちょっとアスランに似ているかな。欠点はいっぱいあるんだけど、それらを全部帳消しにしちゃうような良さがいっぱいで、欠点そのものは愛嬌に変わり、個性にしてしまうかのような可愛らしさを持っている子。
それらの印象は、特にキラやアスランとの関わり合い方から良くわかる。この二人に対して、カガリはどこまでも等身大のカガリだったから。

カガリはキラを最初はどう思っていたのだろう? ちょっと考えてみた。 

・・・つづく・・・

2006年6月29日 (木)

「カガリと、カガリ・ユラ・アスハと、アスランと」-序章-

何事も、当たり前だと思っていることの理由を説明することはとても難しい。
結果のみ、それが当たり前というもの。普段はそれだけで十分だと思っているから、「理屈じゃないんだよっ」という感じになってしまう。

「なぜ海は青いの?海の水は透明なのに。」
「それは空の色が海に反射して青く見えているだけだからね。」
「えーっ、つまんない。じゃあ、なんで空は青いの?なんで、なんで?」
「・・・・(ぐっ)。」

子供に突然聞かれて、それなりに理由はわかっていても、簡単にわかるように説明してあげるにはどうしたら良いものやらと戸惑ってしまう。そもそも明確に答えられる自信もなかったりで、どことなくオロオロとしてしまうような感じに陥ってしまうことはよくある。

「どうして海の水はしょっぱいの?」  というのならば、

「それはね、海は悲しい人の涙が集まってできているからだよ。」

と詩人のようなことでも言って煙に巻くことも出来ようというものだが、それはともかく、本気で“空が青い理由”を説明するには科学的な根拠から、論理的に説明してあげるのがベストとなるはず。

「それはね、太陽の光が大気を通過するとき、大気中の小さな粒子とぶつかり合い“レイニー錯乱”という現象を起こすことによって、青や紫などの波長の短いものだけが人間の目に届く為であり、”レイニー錯乱”とは・・・・・」

しかしそれでは、
「そんなの、わかんないよぉー」 となるのは関の山であり、そして結局、
「わかんなくてもいいの。”空は青い”って昔から決まってるんだから!」 
で落ち着くんだ。

いま私がここでやろうとしていることは、どこかそれに似ていると思った。
“アスカガ”って私にとってまさにそういうものだった。説明なんか要らない。つまり“当たり前”ということ。それでいいと思っていたし、今でもその考え方はとほとんど変わらない。
けれどその根拠、根底になる部分を、言うなればその漠然とした理由をきちっとした形に捉え直したことがあったか?しっかりしているか?といえばそうでもないかも、という気がしてきた。(・・・・・いや、そこまで言うとちょっと語弊はあるが)

ちょっと纏めてみようかな?と思えば、まずは「アスランにとって、カガリって特別なんだよなぁ。」というのが頭に浮かぶ。けど、そこから先が 「・・・・・」。
この“特別“が曲者。もうそこからして理屈じゃないんだよ。まるで”本当に空が青い”かのように。
気を取り直して「アスランにとってカガリってどんなコだろう?何がどう好きなんだろう?」と考えてみる。
「・・・・・?あれぇ??」
もちろん、アスランにとってカガリとは「愛する女性として、唯一無二の存在」であることは、ずっと変わらなく思っている。なのだけど、気持ちとか、想いとか、性格とか、志とか、頑張る姿とか、強さ、弱さetc....そんなカガリにアスランが惹かれた理由のようなものとかの、言うまでもないありきたりなことばかりは思い浮かぶのだけど、肝心なもっと単純な何かがすっと出てこない。
そりゃそうだ、どこにも描かれていないからね。確信が無い。想像の世界。
もし、コレに対しての答えにあたる、簡潔で、明確な、しかも納得ができるご意見をお持ちの方がいらしたならば、参考までに是非お聞かせ願いたい。実際、この質問をアスカガ組の特にカガリ視点にお強い方にも投げかけて意見交換などもしてみた。そのなかで「ん?」とか「へぇ」とか「いやいや」とか「なるほど」とか、霞が晴れたような気分になるところはいくつかある。が、結論はまだない、といっても良さそうだ。
だから、いまは結論を急がずに、ちょっとアスランから離れて、私のイメージする「カガリ」から振り返ってみたいと思う。

つづく・・・

2006年6月19日 (月)

アスランからのラブレター?

車以外で音楽を聴くことがないので”DESTINY”が終わってからはSEED関係のエンドレスになりがち(沢山あるから一巡も大変w)。もともと(古いものはともかく)あまり音楽関係には詳しくないし(あまり興味もない)ネットでDLして購入・・とかもしたことがなかったりする(^^;)
なのだけど、ここでいろいろ書き連ねたり、作品を振り返ったりしていて、ふと去年のことを思い出した。それで久しぶりにCDを引っ張り出して聴いてみた。

もとオフコースの小田和正さん

結構好き。去年は小田さんの追っかけに近いファンである友達に付き合って仙台くんだりまで車を数時間転がしてコンサートを観に行ったくらい。(とても良かった!)
そのコンサートにあわせて発売されたのが、5年ぶりのアルバム「そうかな」(2005/6/15発売) 
そのうちのひとつに、まるで”アスランからカガリに宛てたラブレター”のような曲がある。・・・『たしかなこと』
初めて聴いたのはちょうど去年の今ごろ”アスラン脱走”の頃。だからアスランがオーブを出てザフトに復隊する時の気持ちを綴ったもののようにきこえていた。
久しぶりに聴いてみて、こんどはまったく同じように”FINALPLUS”のアスカガハグのときに思ったことではないかと思えるし、今もきっとそんな風に思っているのではないかという気がしている。いいんだ、これが。
そして、実はもう一曲。こちらは”アスラン心の中”・・・『そして今も』 こっちはこっちでまたいいのよ。

どちらの曲も、本当に”歌詞の一部”というのではなく、全てがまったくそのまんま。(無関係なのにすごい・・)
小田さんの澄んだ歌声が心に響くし、それだけでも素敵な曲たち。
「そうかな」の収録曲は全部が何かのタイアップ曲(まるでベスト版)。きっとどこかで聴いたことがあるのではないかと思う。だからということではないけれど、とにかく全部が良いし、気になった方はぜひ試聴してみてください。きっと損はしません。
↓↓↓(参考まで)
「odakazumasa.xls」をダウンロード  

そういえば、お馴染みさんのところで以前「マイ・アスカガソング」に関する記事を拝見しているし、またつい先日は久々に買ったCDのある曲がカガリのイメージ!という記事をべつのお馴染みさんで拝見。みんな同じなんだね。ついついそんな風に聴いちゃうんだわ(笑)
しかし...どこまでも、あすらんなのだなぁ、私って(^^;)

追記:”see-saw”の曲を聴いていて思ったのだけど、感じがユーミンに似てる気がするのは私だけかな?軽快だったり、エキゾチックだったり、しっとりしていたりする曲調もそうだし、歌い方なんかも。

2006年6月 7日 (水)

「ルージュの通信」

戦わない世界の為の戦いに挑むために宇宙へと旅立ったアークエンジュル・クサナギ御一行様。 ここから”SEED”としてはクライマックスに向けてシビアな展開が続くのだけど、そんな中での”小説版”だけにしか書かれていないエピソードで好きなものがある。

「カガリの”ルージュ”慣し運転のエピソード」
組み立てあがったばかりのルージュの試運転をかねた、カガリとアスランのミニデート(?)・・残念ながらオーブ3人娘のおまけ付き(笑)

少ーし余裕がある時期・・・アズラエルがNジャマーキャンセラーのデータを手に入れ、それから核ミサイルが完成するまでの一次的小康状態の時期になる。
MSの実践でカガリにちょっぴり先輩風を吹かせているオーブ3人娘が、カガリをアスランのことでおちょくる、そんなお話。 
本編では、最後の最後までアスランはルージュの存在を知らないし、カガリの出撃も寝耳に水なわけで、そこまつわる萌えエピソードは確定であり、公式的には動かしようがないので、あくまでも”小説版”としてのお話。
よく考えれば、MS若葉のカガリが試運転も慣らし運転も無く戦場に出撃なんてことは普通はあり得ないわけで、エピソードとしてはあっても問題はないと思う。(萌えエピソードの若干の変更はよきなくされるが) けど、やっぱりこの時期の本編に挿入するには軽すぎるし、緊迫した流れを分断してしまいかねない。だからなくて正解。
・・・・・・でもでも、勿体無いと思ってしまう(くどいっw)

ここでのカガリがすごく可愛い。そしてアスランがね、またいいんだなぁー。

カガリの操縦は、初心者の割にはそれなりの動きを見せ、模擬戦では既に実戦経験のあるアサギに対してほぼ互角か、ひょっとするとひょっとするほど。M1とルージュでは機体の性能がそもそも違うということを差し引いてもアスランに、
「---へぇ、意外とやるもんだな。」と唸らちゃったりもする。
そんな矢先に詰めの甘さから(調子にのって?)体勢を崩し、無重力での慣性の法則からクルクル回っちゃったりして、折角のアスランの高評価もお茶も濁す結果になるのだけどね(笑) 苦笑いのアスランからフォローして貰って「大丈夫か?」なんて言われるバツが悪いカガリだ。

《・・あ、ありがと。》 のやり取りからがもー大変。
<キャーっ!>
<やだやだぁ~もう!みせつけてくれちゃってぇ~>
<私もこんな、いつもサポートしてくれるステキなカレがほしぃ~>
《うるさい!おまえらぁ》
<だめですよぉ、カガリさま、そんな乱暴な口きいちゃ>
<折角つかまえたカレの前では、もうしばらく猫かぶってないとぉ~>
<アスランさぁん!こんな粗雑でふつつかな女らしさのカケラもない姫ですけどぉ、末永くお願いしますねっ!>
《なんで私がおまえらにお願いされきゃならないんだよ!》
<だからぁ、カレの前ではもっと可愛くふるまわなきゃ!>
<あーでもカガリさまにはどのみち無理かー。あはは>
<アスランさぁん、もしカガリさまが嫌になったらいつでも私に・・>
《・・おまえら、あとでぜったい泣かす!》


などという、きゃぴきゃぴの会話が繰り広げられるわけであり、突然自分までも引き合いに出されしまい、とにかく”かしまし娘”たちに戸惑いまくりなアスラン。
カガリの慌て振りも、置かれている自分の立場も、分かっているのかいないのか、
「。。カガリ・・・・・模擬戦はどうしたんだ・・・・?」

もうね、あすらんの、どこまでも本来の目的を忘れない真面目っぷりと、話についていけない朴念仁さ加減がたまらなくツボ(笑)。

この先の3人娘の運命を考えると実に切なくなるエピソードではあるけれど、
「いーよなぁ、こーゆーのも」と思ったりもする。
同姓の同年代の友達と楽しく会話する普通の女の子なカガリ。普段はとほんど見られないカガリの姿。
このときは目を白黒させるだけのアスランだけど、いつか微笑ましいエピソードのひとつとしてカガリと懐かしく思い出す日があったらいいなー、なんて思ったりして・・・・。
(妄想わーるど)

2006年4月18日 (火)

アスカガ記念日~再会

C.E70-4月15日ニコル戦士。17日トール戦死。キラ行方不明。
18日アスラン、カガリによって救出される。


「何と戦わねばならないのか、戦争は難しいですわね」
投げかけられた時からアスランをずっと悩まし続けるラクスの言葉。
クライン邸での久しぶりのラクスとの会話。キラのこと。
「・・・わたくし、あの方、好きですわ」
どういう”好き”なのか真意がつかめないラクスの言葉。

まだ自分の立場と個人の思いの狭間に、どっちつかずのアスラン。
それが、ラクスの言葉やカガリとの出会いもすべて吹き飛ばして、一気”ザフトのアスラン・ザラ”にしてしまうのがニコルの死。同僚であり、友ともいえる仲間を死に至らしめたもの。
「自分の甘さがニコルを殺した」
地球に降下したアークエンジェル。プラントに戻った自分。戦闘の空白。
降下の後、オーブへの潜入捜査で、皮肉にも”トリィ”によってもたらされるキラとの再会。
「そうでなければいい、オーブになんか居ないでくれ。」という微かな願いを打ち砕いた再会。イザークにどんなに罵られようと、確信してしまったアークエンジェル存在の根拠を語れないアスラン。
ザラ隊。”ストライク”の捕獲失敗時のような行動はもう出来ない。内心は穏やかではないにもかかわらず、表に出すことなく、冷静かつ沈着に任務遂行にあたるのがアスラン。伊達ではない。
指揮官としての職務には忠実にあたる。それでも卑怯なまねをすることなく正々堂々と正面を切って戦いを挑むのがアスラン。(潜入・待ち伏せはいいのか?とは言わないでくれぇw)
誰にも気がつかれることなく、最後の瞬間を迎えてしまうのは、アスランの優秀さであり、誰にも相談できないという孤独。
イザーク達を信じていなかったか?
それは違う。まず公私混同を嫌ったアスラン。そしてイザークにはイザークなりの正義があることも理解しているというところだろうな。でもこの時は信じる信じない以前の問題かもしれない。イザ・ディア&ニコルのザラ隊についてはまた改めてだなぁw 小説5巻のイザ・ディアがとても素敵だし、SUTI CD10は今週末。とても楽しみ!

「だが、おまえはフェンスの向こう側だ…」それでも・・・と葛藤は続く。
その甘さがニコルを”殺した”。それも自分を庇って。キラに撃たれるのは自分の筈だった。感情的になり冷静な判断力まるで欠如した戦い方。何より、すべてに置いて中途半端だった自分自身。
耐え難い事実に、誰よりも自分を責め、苦しみ、やがて憤怒に目を曇らせ”敵”に対する憎しみへとその色を変えていく。憎しみに満ちた目で、心で、再び相まみえるアスランとキラ。戦いの中で再び繰り返される悲劇。キラの友達であるトールを撃つアスラン。
キラも怒りに満ちた感情だけでアスランに対抗する。その結末は・・・・自爆によってストライクを討ち果たすイージス。

”驚異である敵と戦う”それは”ザフトのアスラン・ザラ”なら当然のこと。
「敵と戦われたのでしょう?・・」とラクスですら仕方がないことと言う程に、戦争とはそういうもの。(これはラクスの、キラに向けての言葉だけど)
でもそれは、いつしか単なる私怨にすり変わっていたことを誰よりも知っているのがアスラン自身。ザフトの“力”を借りて”憎い敵”を倒す。”大義”を掲げて。それにやっと気が付きつつあるのがここでのアスラン。

戦士としての優秀さか”死にたくない”という生物としての本能か、辛くも脱出。
憎しみに囚われ「俺がおまえを撃つ」と心に誓い、”最強の敵”を打ち倒したとき、その後に自分を襲ったものは、爽快感でも達成感でもなく、また優越感などとは程遠い、虚脱感であり、喪失感であり、やり場のない怒りと悲しみのみ。

キラを探していたにもかかわらず、たまたま自分を救出し、目覚めるのを待っていた見知った少女、カガリ。再会。
「キラはなんで友達のお前に殺されなくちゃならない」とカガリに攻められ、
「敵、なんだ、今のあいつはもう。・・・なら、倒すしかないじゃないかっ」
精一杯の言い訳。 止まらない溢れ続ける涙が、本当は「何かが違う、こんな事はどこか間違っている」と自分を否定する。そしてこれこそが友である敵を撃った、自分に課せられた最大の罰だと。
これは完全にアスランの言い訳なのだと思う。カガリやほかの誰かに対するものでもなく、自分自身に対する言い訳。
「本当は撃ちたくなかった、なのにキラが・・・」とキラの自業自得を訴えるものであるけれど、それしか方法はなかったと、そうせざるを得なかったことを自分自身に納得させるためのもの。

「~するしかないじゃないか」と、アスランを象徴する言葉として、合言葉のように使われまくるこの言葉。
例えば・・欲しいものがある。けれど財布が心もとない。でも”初回限定”は今だけのもの。
「なら、買うしかないじゃないかっ」と悩みながらも”買う”と決定したように思わせる。本当は最初からほとんど”買う”と決めている時に使うことが多い。誰かに”自分は悩んだ挙句に決断をした”仕方が無かったということを認めてもらいたい時に良く使う。
その「買うしかないじゃないか」について、
”自分から選択肢を限定しているのに、言い訳もしている魔法の言葉。煩悩の多い人間には便利な言葉です。”
と、ある方が発言されて「なるほどなぁ」と納得。
この時のアスランは、正にこの言葉を言うべくして言ったのだと改めて思った次第。それだけ状況にハマッた言葉だったからここまで迷言になっているんだなぁとw

迷い多きアスラン。
間違っちゃっていたけれど、結局は自分で「撃つ」と決めて「撃った」アスラン。
イザークはナンダカンダ言いながらも”年下のアスラン”の実力をちゃんと認めているわけで、不器用なまでの優秀さには一目置かざるを得ないと納得しているあたりは当然ってことだね。

「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それでほんとに、最後は平和になるのかよっ
憎しみの連鎖の果てにあるもの。
目の前のことしか見えていなかった、見ていなかったアスラン。カガリのその言葉は心に深く突き刺さり、いつまでもその胸に刻まれることになる。
それが、ザフトに戻っても、彼女と離れてしまっていても心は変わっていないという”証拠”ともいえるのが、議長やシンらの前でこの言葉を口にするアスラン。
これはすごく嬉しくかったなぁ。
「生きるほうが戦いだ!」の言葉とともに、この言葉を胸に、あれからずっと生きてきたんだなぁ、あすらんは。と改めて思った。 ちょっぴり「カガリに」と言って欲しかった感じはあるけど、あの状況ではどうかしらね?シンはカガリに反感を持っているわけだし、公私・・という点でもアスランが正解か。
だけど今なら、もしシンと話す機会があるのならば「あの言葉はカガリに言われたことなんだ」と教えてあげて欲しい感じ。

カガリとの苦い再会。
誰にも言えなかった胸の内をすべて吐き出したアスランであり、それで心が軽くなったことはないだろうけれど、カガリの存在が大きく心に残ったには違いない。
放心していたとはいえ、こんなに本心を語れた相手がほかにいただろうか?と。
あすらんはその後、投げられた言葉とともに、何度もその時の事を思い出したことだろうね(思い込みw)
キラを殺した自分が憎いはず。それなのに自分をいたわり(胸ぐらをつかんでガンガンと振り回しもしたけどw)最後には「お前、危なっかしい。護ってもらえ。」とお守りまでくれる不思議な少女。
「もう、誰も死んで欲しくない」悲しみや悔しさを噛み締め、耐え、”憎しみの連鎖”を断ちきろうと頑張る少女。(カガリもカガリなりにそこに行き着くまでの紆余曲折があったわけで。カガリ自身にしても、ここでのアスランとのことが真実、確信に至った、という感じではないかしらね)
彼女の”心”を胸に、アスランとカガリのつかの間の再会はおわり、それぞれの世界に戻っていく。再び相まみえるその日まで。
また出会う、その時は・・・「おまえらぁ」だね。大好きだぁ~

「危なっかしい」の意味。
宇宙にあがってふたたびカガリから発せられるこの言葉。アスランにとって、心外とこそ思わなかっただろうけど「なんでだ?」くらいには思っているかもしれない(笑)
意外に気が付かない自分自身。あすらんだし。
最終目的のためには手段を選ばない。我が身を省みない無謀さ。自爆はその最たるモノ。そして、冷静沈着な表とは裏は腹に、心のうちはとても熱いのがアスラン。真っ直ぐなだけに、時には何をしでかすかわからない無茶苦茶さも兼ね備える。
もちろんアスラン自身は自分の能力をわかっているし、その行動は全く当たり前のことで、(おそらく)勝算有ってのものであり、無茶をしているとは感じていない。
(あー、でも2度の脱走は追い込まれてのものであり、行き当たりばったりの感はあるか。何とかなるさ・・とは思っていないにしろ、確信あっての行動ではないよなぁw)
ただそこに必要あれば命をも投げ出す覚悟を持ち合わせているのがアスラン。それでも普段は自信過剰とも思えるほど負けることなんて考えていないし、一か八かの賭けで下手したら単なる犬死になるような命の賭け方はあり得ないとは思っている。
そんなアスランをよく知れば、彼の行動を無謀と捉えることは無い。けれど優秀なだけに戦況(状況)判断に優れ、場合によっては最終手段も辞さない彼の生死・紙一重の可能性を考えると、どうにも”危なっかしい”こと極まりないのは間違いない。
それを見抜くカガリはエライ!
アスランがザクで”ユニウス7”の破砕作業に加わった、後のカガリの発言から”パイロットとしての腕”は(ブランクはあっても)最上級に信頼できるものだと評価は昇格はしているけどねw
そこでも、やっぱりギリギリまで作業を続けちゃうのがアスランであり、そこに戦闘トラブルが加わって結局シグナルロスト。シンが見捨てなかったから良かったようなもので”危なっかしさ”はどうにも否定できそうにない。(・・・その辺りは今でも変わっていないよなぁ、あすらんは)

そして自爆癖・・・これは2度の実績があるだけに未だに言われ続けて(汗) 
実力が裏打ちされているとはいえ、無茶と無謀の紙一重の行動を繰り返すことは、そろそろ卒業したほうがいいのではないかしら?ましてや、政治家を志すならば・・・(と勝手に決めてる??この辺りはまたいつか。)
まあ、危なっかしさがないと“アスラン“じゃなくなっちゃう感もあるけどねw

ラクスの言葉による新たなる決意。シンを止めるために「インフィニット・ジャスティス」で出撃するアスラン。
誰かに支えてもらわなければまともに歩けもしないのに・・・アレは無謀であり無茶であり、それでもシンを圧倒する実力には拍手喝采だけど。。。やっぱりどこまでも危なっかしいヤツだね、あすらんは。

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