2009年1月22日 (木)

心境の変化、ではないけれど。

福田監督から「映画、ちゃんと作ってます」発言があり、ホッとしたところに「SEED」の再放送が始まり(何度目かではあるけれど)、DVDをすべて保有しているのも関わらず、毎週を楽しみにしている自分となった。
先の展開を熟知している今では、「あーあ、なんて余計なことを・・・(溜息)」とか「本当はそうじゃないでしょ?~(泣)」とか呟きつつ、まだ未熟な彼らを温かい目で見るだけなのだけど、「ここで終わりかよ!」と次が見たくなるEDの入りと音楽の使い方にはやっぱり見事だなーとしみじみ思ってしまう次第。そうしていると、やはり映画ではどんな世界が描かれるのだろうと考えてしまうし、何気に頭の中でアスランとキラの変化(成長)を分析し直してしまったりもする。
そんなこんなでツラツラと思ったことだが、文章に起こす事で過去に自分が思っていた事との差異や、これから変わるかも知れない考え方の参考にと、(久しぶりに)ここの残す事にした。
以下はあくまでも自分自身のための雑記で、思ったこと一旦全部吐き出して、組み立て直したり、再リセットするための準備のようなもの。よって、客観と主観が入り混じっているのは自分でも分かっているし、特にアスランに対しては希望・願望・仮説までが入り込み、焦点がぶれまくっている自覚もある。一記事としての起承転結は無いモノと思って欲しい。

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2007年6月23日 (土)

ファンディスクなのだけど。

『ガンダムSEED&SEED DESTINYファンディスク SEED SUPERNOVA er 』
ファンディスクなんだから、こんなもんか・・・とちょっと溜め息ではある。

スペエディ3のEDといい、最近のカガリがとっても可愛いのだけど、このドレス姿を本編で見ることが出来ないのがとても残念。
本宅に載せ過ぎるのもなんなので、こちらで少し追加を。

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2007年1月11日 (木)

「自由の代償」とは。

オーブやクライン派に賛同した者たちが「自由」を守るために、支払った「代償」とはいったい何か?
彼らによって世界は、「安穏」で「約束された平和な世界」を手に入れるチャンスを失った。失った世界が、一見幸福そうな世界であっても、果てしなく無機質な世界だということがすべての人々に認識されているかどうかは怪しい。現在の世界はとても不安定となった。
不安定さは人間の恐怖心をあおり立てる。恐怖心は自己防衛本能を発動させ、異質なものに対して過剰に反応し、偏見や差別を生む。己と違うものを全て異端として排除したがる。些細なことから争いが起こり次第に激化していく。いつしか戦いに本来の理由は無くなり、切っ掛けさえあれば総てを巻き込む「戦争」となる。人間が人間である限り、世界はいつまでも混沌とし続けることは必至なのかもしれない。見せ掛けでも、偽りでも「ただ平和」を願う人々が現れてもおかしくはない。
人間とは、自分勝手な、あまりにも不完全な生き物だ。でも、だから面白い。

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確かに「自由」を求めた彼らには責任がある。彼らは「平和」かもしれない世界を打砕いたのだから。
自由の代償として彼らは「自由」を求めて「自由」を引換にする事を選んだ。
ラクスは、「女性としての幸せを望み、愛する人とただ穏やかに暮らしたい」という想いを断ち、政治の世界へと足を踏み入れた。行うことは今までと変わらないとはいえ、今度は内なる反対・抵抗勢力と闘う必要があるだろうし、最悪の場合失脚もあり得る。同志で構成されたクライン派での活動とは大きく異なるわけだ。表舞台に立つということは全てにおいての責任を担うことであり、勝手気ままという訳にはいかない(はず)。本当の試練はこれからだ。
キラをザフトに入れたことは、キラを側に置くための(傍に居るために?)”ラクスの職権乱用”と言われれてるけれど、私はそれは結果論にすぎないと思っている。おそらく、キラから言い出した事ではないかと思っているから。(同じといえば同じだけど)
キラは、フリーダムをラクスに託された時点で既に組織を捨て、己の心の赴くままの行動を続けてきた。最終的には”オーブ軍准将”として組織に所属したとはいえ、建前上のことであり根本的な部分に殆ど変化はない。(便宜上、権力の行使はしたけど) しかし今度こそザフトのいち士官として組織の一員となり、”身内”ではない部下との編隊を指揮する立場となれば、勝手は許されないことくらい承知だろう。いくら階級の無いザフトであっても、理不尽にも耐えなければならない時がくる。白服とはそういうもの。ラスクと離れたくない気持ちがまったく無かったとは言わない。けれどそれを越えた部分で、キラは今の世界で自分のすべき事を考え、ザフトが、自分の持つ能力を最大限に生かすことが出来る場として判断したから、自らラクスに願い出た事ではないかと思う。自ら組織(しかも軍)に身を置くことは、軍人教育を受けていないキラにとっては一大決心だったに違いない。キラは、おそらく先にアスランに相談したのではないかと思う。(おもいっきり妄想) キラの決意を聞いた後のアスランなら、組織に向かないキラを心配はしても、止めたりはしないだろう。(というか、キラもラクスも言い出したら聞かないわけで、例えどちらが言い出したことであっても、まったく違う理由だったとしても、どの道アスランには決定事項を覆すことが出来ないだけの事だったのかもしれないけどw)
・・・これは事実上、議長の思惑どおりのことであり、「遺伝子には抗えない」という証明になるのかもしれない。でも彼らは遺伝子によって得られた能力を”否定”していたわけではない。遺伝子だけで制限・束縛されることを嫌っただけのこと。だとすれば、己を知る彼らの選択は”必然”ではあっても”運命”ではない。この必然が二人における自由の代償なのだと思う。

カガリは、一足先に自らの責任を全うすべく、自分の在るべき世界へと戻った。一国の姫として育った彼女には、本来なら最初から”個人の自由”等はないも同然だったのかもしれない。カガリがカガリとして自由で居られたのは、ウズミ様あってこと。また、カガリが姫で居られたのは、国と国民あってのこと。ウズミ様亡き今、姫であるカガリは国家元首として己の責任を果たす義務がある。それが何よりの最優先事項だ。ウズミ様は”すべての自由”を守るために自らの命を捧げた。同時にカガリは”父”を「未来の代償」として失なった。カガリの自由の代償は、父を失った事で既に支払っていたのだと私は考える。カガリが国や国民のために一生を尽くすことは、例えどんなことがあっても変わることはないのだから。
ただ、カガリ個人にとって、今回のアスランとのことは決して代償などではない。何故なら、アスランは失われてはいないから。(互いに)「今はその時期ではない。」と、ただそれだけのこと。ちょっとの間、封印しただけ。(・・・だよね?)

アスランは・・・、彼はいつも代償を払ってばかり。おそらく一度として自由ではなかったのに、いつでも自由の為に「全て」を引き換えにしているとしか言いようがない。友であり、父であり、国であり、自分の居場所を失ったことが、まずはそれに当たるのだろうけど、これはほんの一部でしかない。アスランの場合、逆に”負の遺産”を背負い込んじゃったりするから、とにかく話がややこしくなってしまう。
アスランは、心と身体はここ数年で著しい成長を遂げ、何にも代え難い、様々な経験値は誰よりも高いといえる。けれど彼が具体的に得たものは、今となっては無いに等しい。(ガカリであり、キラやラクスという、かけがえのない者達は別としても。)
彼の活動は、常に不特定多数の「誰か」の為であり、その「誰か」の中にかろうじて自分も含まれている程度のもの。ザフトに復隊したこと、そして2度の脱退は、すべてアスランの自由な個人意志での決断ではあった。しかし自由のない”組織”に復隊する事に、自由を求めるなどは到底あり得ない。「ザフトとは何か。」それは彼自身が一番良く知っていたハズだった。なのに・・・。結果、それ故の制約と制限に苦悩し、再び敵味方ジレンマに陥る彼を見ているのがとても辛かった。
全ての人々の幸福と平和な世界を目指す彼の”夢”であり”目標”は、単なる「アスラン・ザラ」という個人には果てしなく大きすぎる。でも彼は決して諦めることをしない。だからアスランは、常に自分自身の持てる全てを代償として支払い続けてしまうのだろう。
それでも、当然アスランにとってカガリのことだけは、代償でもなんでもないといえる。唯一、彼が得た確固たる自由は、「カガリを想い続ける事」だと思うから。彼が自由である限り、その想いは決して消えることはない。これは、カガリ個人も同じはず。・・・簡単に言えば、「思う(想う)」ことは誰でも「自由」だということ。「想う」という行為は、唯一人の心の不可侵領域内でのこと。決して他人がどうこうできるものではない。例えばメイリン。彼女がアスランに恋をしようと誰にも止めることは出来ない、ということでもある。(よって私はメイリンに対しては何もいうつもりはない。)
確かに、触れ合うことも語り合うこともできない、ただ「想う」だけの今のアスランとカガリの間にあるものは、互いが互いでも知ることの出来ない、とても不安定で曖昧模糊なもの。・・けど、まぁ、アスランであり、カガリでしょう?ならばそういうことだし、良くも悪くもいままでだってねぇ~と、逆に確信を持てそうなことでもあるわけで、とにかく二人が自ら歩み寄る形で動くのを、ただだた信じて待つしかなく、でもきっと大丈夫、そう思い込むよりほかない。私は見守り続けましょう。

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世界に対して、アスランも、カガリも、キラも、ラクスも、そうして「自由の代償」を支払っている。
先に、「自由の代償」とは、「自由」を求めたことに対して「自由」を引換にすることのように書いた。けれど、それら全ても彼らの「自由意思」だということを忘れてはいけない。
「自由」を追求すること自体が既に「自由」であり、「自由」を求めて闘い続けることこそが永遠に「自由」でいられるということ。実質そういうことなのだと思う。
肉体的な拘束や監禁、四肢を奪われたような状態が本当の意味での不自由。それでも心だけは自由かもしれない。けれど、エクステンデットのように「脳」という肉体を司るもの全てを他者に支配されたとなれば、これは完全なる不自由。心に自由があるかどうかも定かではない。
実際のところ、彼らの責任の取り方、自由への代償は、世界に対する「自由」であることへの償いという形で示されたのかもしれない。言うなれば対価交換か? 求めるものあれば、それなりの対価が必要。その重さ・大きさに対価は比例する。見合っただけ役割を担うこと、それが彼らの対価だ。

「自由の代償」とは、「約束された平和な世界」を棒に振らせた彼らが、混沌とする世界を治め、世界にわずかでも安寧をもたらすために努力し戦い続けることであり、すなわち、彼ら自身。そんな風に私は考える。(・・・・考えたい。すくなくとも本質は。。。)

彼らは希望をなくさない為に、自由を守ることを選び、戦った。
自由とは、単に”勝手気まま”ということではない。
また、夢や希望、未来でもない。
自由とは、物事の始まり、原点に過ぎない。

「自由の代償」とは、常に「自由」そのものなのかもしれない。

2006年12月 9日 (土)

ニュータイプ1月号の付録~ちびアス&キラ

買っちまった、ニュータイプ。
少し前に1度だけ、Gフェスの応募の為だけ「ガンダムA」は買った。
今度は「ニュータイプ」。正真正銘の”アニメ雑誌”の購入は、彼此20数年ぶり??
NTをフライングゲットしたお友達から、『こんなのあるけど・・』とケータイに写メール付でメールを貰ったのがことの始まり。
         Athkira_1
見た瞬間絶句!というか、見事に、オチた、やられた、とろけた、って感じ。
ケータイ画面は小さかったけど、小笠原さんの絵だとすぐにわかった。
(SEEDがらみで何かお仕事をしている・・というお話もされていたしね。)
この絵、付録のカレンダーだということ。オマケに図書カードとして全プレになるということがメールのメッセージに添えられていた。(↑は付録デス)

「ふぉぉ~」(のだめ風)
これは買いです!応募です! 即決(爆)
すっかりオタク業も板に付き、30年ぶりでもテーコーすら感じず。ヘッチャラさぁ(^^;)

NT本誌でのSEED関連記事は、『ファンディスク』なるものが発売されること、”種きゃら”がアニメになることなどの情報が少々、白服キラが表紙で別カットも添えられていたくらいのもので、劇場版の情報らしきものは一切なし。やはりスペエディⅣの放送が終了するまで秘密なままかな?(という事は、放送終了後のNT他、アニメ雑誌2月号は狙い目?)

月曜に早速郵便局へ直行し、ちびアスキラの図書カードを心待ちにすることにしよー♪

2006年11月29日 (水)

スペエディⅣ

なーんだ、いつの間にTV放送日が発表されていたんだね。
1月7日(日) 26時20分~(TBS)ってことは、事実上8日(月)だね。
成人の日、ハッピーマンデー♪ 
お休みの日じゃん。らっきぃ~! 今回もまた遠征決定!!

追記:スペエディ視聴雑感は 本宅 にてどうぞ。(1/8)

2006年11月26日 (日)

『機動戦士ガンダムSEED~SEED DESTINY「THE BRIDGE」 Across the Songs from GUNDAM SEED&SEED DESTINY』

Brideg 発売日の前日に到着。ベスト版ではあるので、曲に対する大いなる期待はないけれど、やっぱりビクター担当の曲はどれも良いからキチンと1枚のCDに纏められているのは嬉しい。でもそれはちょっと古い思考での延長線上かな?(^^;) 今はお気に入りのCD何十枚も全部ひとつに纏めてしまえるし、オリジナルを制作するのだってお茶の子さいさい。同じ曲ならCDを何枚も持つ必要なんて全くないわけで。
さて、楽しみにしていたのが特典のブックレット。200Pというからさぞかし楽しい話題が満載かと思えば、読み物の部分はいいとこ1/3くらいかな?ちょっとがっかり。そのうちの半分は『月刊ガンダムSEEDスーツCD通信』”声優グランプリ”の再録だったしね。私は殆ど読んだことがなかったものだったけれど、それでもやっぱり時間が経ち過ぎた過去のインタかなーという印象だった。
それでも、音楽プロデューサー野崎圭一氏のインタ記事はとても面白かった。(目新しさ・・も含めてなのだろうケドw) ちゃんとディスク毎に、しかも曲のひとつひとつに対しての制作秘話や裏話、想い入れがたっぷりと語られていた。
(以下内容に触れます)

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2006年11月13日 (月)

呪縛はどーした?(完結編)

2回に分けるほどのものではなかったハズなのに、書き出したら止まらなくなってしまった。とにかく本題に入らずにタイトルだけ先行してしまったので、今度こそ本題へ突入し完結を。。。なんだけど、2回になった分で、やや濃い目に(笑)

『手紙』という映画を観た。 ・・・・いきなり脱線(汗)

兄はやんごとなき理由から強盗殺人を犯し、現在無期懲役にて服役中。
弟は兄の所業により、素性の知れた周囲からは偏見と差別の目で見られ、嫌がらせも後を絶たない。(名前こそ変えられないけれど)極力他人との関わりを避け、素性がばれないように、とにかく平穏に暮らすことを望む。それにもかかわらず素性がバレてしまえば元の黙阿弥。周囲の自分に対する理不尽とも思える差別に、諦めと苛立ちの両面で苦悩する弟。「兄は犯罪者かもしれない。けれど自分は兄ではない」
営業成績を上げ昇進するはずだった弟は、突然倉庫番へ配置転換となる。素性がばれたから。弟は職場の会長から直々に「差別されるのは当然」と諭される。
何故当然なのか・・・偏見であろうとなんであろうと、人は、マイナスなモノには関わりたくない、同じに見られたくないという自己防衛本能に近いものを持っているからだろうと会長は言う。マイナスイメージのある者を会社の顔には出来ない。そのまま会社のマイナスイメージに直結してしまうから。君の家族が犯罪者だという事実はすなわち君の評価となる。当然差別の対象となる。兄は、自分以外の何かに及ぼす影響も考えなければならなかったのだ。罪を償わなければならないのは自分ひとりだけではない、ということを失念してはいけなかったのだ。
・・・とまぁ、そんな感じのお話。

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2006年11月12日 (日)

呪縛はどーした?

本宅にて 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY スペエディⅢ「運命の業火」、TV視聴直後雑感。』 を書いて以来「スペエディ3」については放置。このモチベーションの低下はなんだろう・・・と我ながら苦笑い。
アスラン視点になりきれない”アスラン不在”な部分であり”繋ぎのⅢ”と位置付けてしまったから、というのはある。そんな状態でも唯一(?)アスラン視点として描かれていたのが”悩まないアスラン”というのがまた微妙。アスランは、傍目に自分が”悩み王”として見られていたという自覚が無かった、ということなのか?ってね(汗) 私に言わせれば、悩んでこそのアスランだったりして(笑) と言いつつ”苦悩するアスラン”には私自身も一緒に苦しむくせに、いざ悩まないとあらら?と思ってしまうという矛盾に苛まれてはいる。(まぁそれは、悩まない人間なんていないし、けれど前向きに悩むことを肯定し、成長していくアスランが好きだから、ってことでヨシとして!w)

さて、TV視聴から随分と時間がたってしまったのだけど、私の中で一番引っかかったのが”∞ジャスティス受領”でのラクスとアスランのセリフの変更。巷(特にアスカガ派)では「ラクスが優しくなった」という感想が多かった。(言い回しが、って意味だと思うけど) また会話の意味がわかりやくすなった、という感想も多かった。基本的にラクスの言葉の意味は同じ。アスランも同じ。なんだけど、言い回しの変更によって本編で感じた、根底にあったハズのものが若干変化した(もしくは消えた?)ような印象になってしまったと感じるのは私だけだろうか?
※(注)好みの問題はあっても、決して良し悪しを言っているのではない。

それはともかくとして、あの場面では、まず、肉体的にはもちろん、より精神的に傷ついているアスランという印象が薄くなった(「身体のことではない」というラクスのセリフがカット及びアスランの苦悩の表情がカットされたから)。そして、ラクスの言葉(セリフ)はラクス自身の言葉だけれど、”キラ”を強調した(代弁的な)言葉になったように思う。更に”アスラン”にこだわらなくても、アスランはアスランであり、もしかして呪縛が薄らいでいる?など。

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2006年9月23日 (土)

勝手に卓上カレンダー

Seedd2007calendar 2006年も残すところあと3ヶ月余。2007年のカレンダーも既に予約が始まっているのだけど、さすがにA2サイズのSEED DESTINYカレンダーを飾るつもりはない。
今年の”日めくりカレンダー”は思いのほか重宝した。2006年が終わっても資料として保存予定。
果たして2007年も”日めくり”が発売になるのか?というと、DESTINYの年表が公式発表されない以上は望めないかなぁーと。

ところでSEEDこだわらず、毎年必ず仕入れているのが卓上カレンダー。CDケースくらいのもので、書き込みが出来るものを日常に使っている。前後の月が載っているものが好ましい。
探すと意外に気に入ったものが見つからない。そこで作ってみた。

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某”青い店”にて11月に発売される”バースディアクセ”なるものから画を”個人的使用”の為に流用。なかなか良い出来だと自画自賛。(ご希望の方にはもれなく差し上げません。どうしても、というならば・・・・?)
暇人だよなぁ~私って。
※”バースディアクセ”は一目惚れするくらいにカワイイぞ。

2006年8月30日 (水)

白キラ。

キャラホビでポスターが貼り出されてからというもの、「白服キラ」が注目の的になっている。その辺は(画像も含めて)本宅で確認してもらうとして、「アンタはなんなんだっ!」とシンでなくても言いたくなりそう、と思うのは誰しも同じような気がする。
だけどさ、キララク組はどう思っているのだろうか?やっぱ手放しで大喜び??(確認するのをすっかり忘れていた。2.3あたってみよう)

しかし今時点ではこれだけで、何とも言いようがないわけでもあり、その先の話は時期尚早として今回はやめておく。
ただ、この事実について、この世界の住人たちはどう思ってるだろう?と想像してみた。

まず、当事者であるキラ。
「キラ、あなたはわたくしの元にいて欲しい・・・」とかなんとかラクスに請われて即決断だったのか?
「もう2度と君と離れたくない(君を離したくないっ)」とかなんとか自分から名乗りでたのか?
まぁ、コイツらのことはどっちでもいいけどさ(笑)。ラクスにはそれだけの権限がある、ということなんだろうしね(ってことは、当然”FAITH”だよね)
しかしオーブの、一国の軍の准将を引き抜くってさぁ、そんなんでいいの?しかも国家元首の弟だよ?
人事をそんなに簡単に覆しちゃうような(見事に派閥の世界だ!)頭首に国(軍)を任せてしまっていいのだろうか??(ぃゃ、そこはアスランも逆の立場で似たようなものだったけど・・^^;)
それにキラって、”ストライク”時代のこと忘れてない??
ひっくるめてそんな連鎖を断ち切る為に、誰しもがそんな悲しみにくれることのない世界の為に頑張る、って話ではあるけどさ。でもそれは自分→仇はそうであっても、一般人の逆はそうそうねぇ。

100歩譲って、まぁそこは良しとしよう。次に気になるのは、イザークVSキラ。
かつての因縁の二人であることは間違いない。けれどこちらの場合は、アラスカで”フリーダム”に命を救われたイザークであり、その後ヤキンも含めてイザークにとってキラは、アスランと同様に一目置く存在だったのではないかと勝手に思っていたりする。(二人の会話は皆無だから不明だけど)
日常でのキラ。そのギャップにイザークは耐えられるだろうか?果たして会話はちゃんと噛み合うのだろうか?心配だ。
「やっぱりアイツの幼なじみだっ!」とナンダカンダ言いながら矛先をアスランに向けそうで恐いかも(爆)

ディアッカはある程度キラと関わりがあったから分ってるだろうし、慣れちゃってるよね。やっぱりアスランとイザークの間に挟まれるディアッカがイザークとキラの間で四苦八苦することになるのだろうか?(笑)
(ここら辺はちょっと楽しみだったりする。)

さて、アスラン。
アスランはどう思ったんだろう?キラから相談受けたりしたのかな?異論はなさそうだよね?
キラも少しは自分の立場を理解しているとは思う。自分の決断が与える影響は小さくないはずだと。カガリやオーブのことも気がかりだろうな、とは思う。
やっぱりアスランに託すのかな?でも、もしもその時に

『アスラン、僕はプラントに残るけど、カガリを頼むね。僕はもう守ってあげられないから。今度こそ頼んだよ、お願いだよ、アスラン。』 

とかなんとか言ったら一発御見舞してやりたいと思う。
(※これは、弟のお墨付きで姉を託してくれちゃうのは一応OKだけど、言葉の使い方に気をつけよう、という意味から。)

例えそんな風に言われてもアスランはきっと「ああ、わかってる。」と言うとは思うけどさ。
とはいえ、この時点ではまだ”オーブのアスラン・ザラ”ということなのだろうけど、その後がハッキリしていない今では何とも言えないな。監督発言もあることだし。それに今託されたとしても今のままでは元の黙阿弥と大差ない。それは非常に困る。

・・・ああ、これ以上考えると妄想が膨らみ過ぎちゃいそうだからもうやめよう。
スペエディⅢ~Ⅳの全貌が見えるまで、映画情報はお預けかな?
いいものをしっかり作ってくれるなら、何時までも待つけどね。